2019年2月に公開された『メリー・ポピンズ リターンズ』には、原作の児童文学書があるということをご存知ですか? 実は、原作は魔法使いでも、ハッピーエンドでもないのかも!? 映画とは、また違う魅力を持つ原作『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を、ここでじっくり解説しましょう。
桜町通りで暮らすバンクス家には、ジェーンとマイケル、それから赤ん坊の双子ジョンとバーバラの4人の子どもたちがいます。しかし彼らの世話係が突然いなくなり、困ったバンクスさんと夫人は、新聞に求人広告を出しました。
それを見てやって来たのが、黒い髪と青い目を持つ女性、メアリー・ポピンズだったのです。
ジェーンとマイケルには、彼女が風に乗って空を飛んできたように見えましたが……彼女に問いかけてみても、真相は教えてもらえませんでした。
そんな彼女は気難しくて、うぬぼれやで、冷ややかな対応をよくする人物でした。
- 著者
- P.L. トラヴァース
- 出版日
- 2000-07-18
でも、時折見せる優しさや「正しいこと」を貫きとおす姿、そして彼女といると巻き込まれてしまう非日常的な体験に魅了され、バンクス家の子どもたちはみんな彼女の虜となってしまうのです。
冷たくあしらわれながらも、メアリー・ポピンズがバンクス家の子どもたちを大切にしているということが、きっと彼らにはよく伝わっていたのでしょう。
踊りをやめられない牛や、針を回すと世界中のどこにでも行ける方位磁針、夜空に貼り付けるジンジャーパンの星、満月の夜だけに現れる人間が檻の中にいて動物が外にいる動物園など、バンクス家の子どもたちがメアリーとともに味わう非現実は、この物語の大いなる読みどころです。
「ずっと僕たちのところにいてね」という子どもたちに、彼女は「風が変わるまではいましょう」と答えます。非日常的な世界と、現実の世界を自由に行き来する、彼女ならではの答え。
はたしてメアリーは、ずっとバンクス家にいるのでしょうか。
映画『メリー・ポピンズ』のイメージは、なんといっても、あの口ずさみ踊りだしたくなるような名曲の数々!楽しくて、ハッピーで、カラフルなシーン……それが映画版ならではの魅力ではないでしょうか。
キュートで、ちょっと厳しくて、でも彼女と接した人たちはみんな幸せ!という空気は、見る者を巻き込んでしまうでしょう。何気ない日常も、ルーティーンワークも、見かたを変えれば楽しいもの!というやや強引な理論も、納得してしまうほどのパワーがあります。
しかし原作では、日常をバラ色にはしません。彼女と接した人はハッピーになるのではなく、自分が彼女に対して失礼なことをしたかな?とか、自分は彼女よりも劣っているのかも?という気分になってしまうのです。
なぜなら、原作に登場するメアリー・ポピンズは、高慢で、自信家で、うぬぼれやだから。
でも、それこそが原作ならではの彼女の魅力なのです。メアリーは人の思惑を気にしません。自分が「こうする」と決めたことは絶対にするし、自分の発言を撤回することもないのです。
人生が素晴らしいものではなくても、それを自分の手で変えようとすること。毅然と生きること。そういったことの大切さを、メアリーは言葉ではなく、その背中で教えてくれるのです。
また、彼女と子どもたちはさまざまな非現実的空間を訪れますが、メアリーはどこに行ったってメアリー・ポピンズです。おとぎの国に行っても、さかさまの国に行っても、海の中にいても、彼女がそちらの世界に馴染むということはありません。
非現実世界のなかで、現実と変わらぬ状況を維持し続ける特殊なヒロインであるというところもまた、原作ならではの魅力だといえるでしょう。
1910年のロンドンが舞台となっている『風にのってきたメアリー・ポピンズ』では、メアリーはいなくなったナニー(乳母)の代わりとしてやって来ます。しかし、彼女は子どもたちの教育もおこなっているので、家庭教師ともいえる存在。
そういった存在を、19世紀初頭では「ガヴァネス」と呼びました。この役割はナニーよりも地位が高く、雇用主と対等であることが当然であったそうです。
19世紀初頭は、まだまだ働く女性は珍しい時期。そんななかでカヴァネスたちは、自身の立場をしっかり守り、プライドと品位を保って働いていたのです。バンクス夫人にもはっきり自分の意見を述べ、しっかりと休日を取るメアリーの姿は、まさしくカヴァネス。
そして、子どもを甘やかさず、積極的にかかわっていこうとはしない姿には、子どもの教育に携わるプロフェッショナルとしての品格が漂っています。彼女が子どもたちに対して冷ややかに見えるのも、教育を終えたら去っていくカヴァネスとしては、当然の姿だったのでしょう。
メアリー・ポピンズは作者のP・L・トラヴァースそのものだといわれています。トラヴァースも、19世紀初頭には珍しい、働く女性でした。彼女は作家となるまでに、自身の家族を養っていくため高校卒業後すぐ、タイピストとして働いていたのです。父は、彼女が7歳の時に亡くなっていました。
彼女はこの父に、アイルランドの不思議な話を聞かされて育ったそう。そのことが、彼女の作風に大きな影響を与えたかもしれませんね。
そんな彼女とメアリーが特に似ているのは、意志がとても固いところ。
数少ない働く女性として、時代のなかで強く生きていたトラヴァース。どんな時も、誰が相手であっても、自分の意志を貫き通していきました。
彼女は本作の映画化をオファーされた際、すでに大企業であったディズニーからの申し出にもなかなか首を縦に振らず、最終的に了承する際もさまざまな条件を提示しました。しかも結局、完成した映画が不満で、続編企画の打診を断固として拒否。そしてその後も、アメリカ人による映像化や演劇化を許しませんでした。
まさに、メアリーと瓜二つといったところでしょうか。
『風にのってきたメアリー・ポピンズ』には、とても魅力的な登場人物が。バンクス家の子どもたちのなかでも、双子の赤ちゃんたちはとっても魅力的。
彼らが「今見えているものや聞こえている音が、成長とともにわからなくなってしまう」と知って嘆くシーンでは、思わず彼らを抱きしめたくなるはず!
わからずやで古典的な一家の大黒柱バンクスさんや、その夫をうまく扱っているバンクス夫人、ご近所さんで犬をかわいがりすぎているご婦人、毎日大砲を鳴らしている提督……。
そんな風変わりな登場人物の中で、バートは普通でありながら、とても素敵。気難しいメアリーが、唯一心を許せる相手でもあります。
彼は、角を1つ曲がって非日常に出会っても、まったく驚きません。それをごく普通に受け入れてウィットに富んだ一言をかける彼は、メアリーとは旧知の仲。1人の女性としての姿を見せられる相手は、バートだけなのです。
彼はいつのまにか桜町通りにいた人物。しかし。もともとバンクス家の近所に住んでいたのではなく、もしかするとメアリーとともに、彼女が元いた場所から一緒にやってきた人だから、こんなに息がぴったりなのかもしれませんね。
映画でメリー・ポピンズは「ハッピーな魔法」とされており、彼女自身が魔法を使っていました。しかし、原作のメアリー・ポピンズは、魔法の品を使いこなしてはいますが、自身が魔法を使ったりはしません。
彼女がバンクス家に来て以来、曲がり角を1つ曲がるとそこに非日常的な世界があったり、公園に行くと不思議な人が待っていたりします。でも、角に星がささった牛や、笑いガスで空に浮かんでしまうおじさんは、彼女が作り出したわけではありません。ただ出会っただけなのです。
- 著者
- P.L. トラヴァース
- 出版日
- 2000-07-18
また、彼女がいなくても、子どもたちがお話を読んでいくうちに、その物語のなかに入り込んでしまうという出来事が何度も起きます。それは、つまり彼女がいなくても、子どもたちは非現実のなかに行くことができるということなのです。
では、メアリー・ポピンズの正体は、いったい何なのでしょうか。
「非現実世界の住人」だという考え方もできます。
もちろん、それを「魔法使い」と呼ぶのだという人もいるでしょう。でも彼女は、非現実の世界からバンクス家の子どもたちのところにやってきて、「非現実的な世界」を見せただけなのです。
魔法で彼らをかえてしまうようなことは一切していません。魔法で彼らをしつけたり、彼らにいうことをきかせているわけではないのです。
彼女はもしかすると、「非現実的な世界が存在するんだ」ということを、子どもたちに知らせる役割を担っているといえるのではないでしょうか。バンクス家の子どもたちだけでなく、世界中の子どもたちのもとへ「非現実的な世界の存在」を伝える女性……それがメアリー・ポピンズの正体だと考えてみると、彼女の不思議さをそのままに受け入れられて、さらに物語が面白く感じられるかもしれません。
映画にはない原作「メアリー・ポピンズ」の魅力と謎。原作を手に取って見たくなった方は、ぜひ本屋に足を運んでみてください。英国のセンスに満ちたおしゃれな表紙や挿絵にも、きっと心をくすぐられますよ。