作者・今村 昌弘がデビュー作ながら「このミステリーがすごい!」をはじめとした各ミステリ賞で3冠を達成し、注目を集めた本作『屍人荘の殺人』。ある映画研究部の夏合宿で起こる、凄惨な連続殺人事件を描きます。「クローズドサークル」で「パニックホラー」……今までにない舞台設定やトリックなど、魅力にあふれた作品です。 2019年には神木隆之介が主演で映画が公開予定。そんな話題作の魅力を、考察いたしましょう。
『屍人荘の殺人(しじんそうのさつじん)』は作者・今村昌弘のデビュー作。東京創元社が開催している公募のミステリ新人賞、鮎川哲也賞を受賞しました。ミステリではあまり見られない舞台設定や驚きのトリックが話題となり、そのほかにもさまざまなミステリ賞で1位を獲得。注目のミステリ作品となりました。
主な登場人物は、大学生たち。夏の合宿が惨劇の舞台となります。
物語の語り手で主人公でもあり、探偵の助手たるワトソン役を務めるのが、葉村譲。神紅大学ミステリ愛好会に所属しています。「神紅大学のホームズ」と呼ばれる会長・明智恭介や、警察の捜査にも協力する探偵少女・剣崎比留子とともに、映画研究会の夏合宿に同行することになるのでした。
- 著者
- 今村 昌弘
- 出版日
- 2017-10-12
ミステリ愛好会は、明智の「事件の匂いがする」という直感で同行することになりますが、比留子には映画研究会の合宿に同行しなければならない明確な理由がありました。部員のもとに、一通の脅迫状が届いていたのです。
「今年の生贄は誰だ?」という、意味深な脅迫状。昨年の合宿で何が起こったのか。そして、この脅迫状を送った人物は誰なのか。さまざまな謎を抱えながら、合宿がスタートします。
季節は夏。ペンション紫湛荘(しじんそう)での合宿は和やかに進んでいました。しかし、誰も想像できなかった出来事が、1日目から発生してしまうのです。
肝試しをしていた映画研究会のメンバーと葉村たちは、なんとゾンビの群れと遭遇(!)。
世間ではバイオテロが発生。ペンションにほど近い自然公園で開催されていたロックフェスの観客の多くが感染し、ゾンビ化してしまっていたのでした。事態収拾のために現場は隔離。電話も通じないなか大量発生したゾンビにペンションを包囲され、籠城を余儀なくされてしまいます。
ペンションの1階もゾンビに占拠され、外には一切出られず、また外からの協力者を得られない完全密室の状況。そんな緊迫した状況のなかで、凄惨な殺人事件の幕も上がるのでした。
本作を手に取った読者の多くは、いわくつきの洋館が登場する、いわゆる「館もの」を想像したのではないでしょうか。しかし本作は、ゾンビが登場するホラーミステリ作品でもあるのです!
かつて本格ミステリに、ゾンビが登場したことがあったでしょうか。タイトルの「屍人」とは、まさしくゾンビを指しているのです。
ミステリ作品には探偵の助手であり、時に語り手も務めるワトソン役と、事件を解決するための探偵役となる人物が登場します。まれに事件捜査を手助けする役割を持った人物も登場しますが、多くの作品の場合、探偵とワトソンの他は事件に関わる人物で占められるでしょう。
危険な目に遭うことはあるものの、この役の人物たちは死にません。読者を導き、事件を解決するという役目があるからです。しかし、本作で探偵役を務める1人になるかと思われた明智恭介は、なんとゾンビに襲われてあっさりと退場。まさかの展開です。
通常は死ぬことはない探偵ですが、本作の場合、敵は犯人だけではありません。外にはゾンビ。ペンションの中でもゾンビの襲撃から身を守る必要があります。いつ自分が死んでしまうかわからない。まさしく生と死が隣りあわせという、極限の状況が描かれているのです。
嵐のなかの孤島や、猛吹雪のなかの山荘など、自然現象など何らかの事情により外界から隔絶されてしまった状況下で起こる殺人事件。ミステリ作品で人気のシチュエーションは「クローズドサークル」ものと称されています。
本作もゾンビが大量発生してしまったことにより、ペンションに籠城。電話も通じず助けも来ない、まさしく外界から隔絶された状況です。過去さまざまな状況のクローズドサークルものが描かれてきましたが、ゾンビが大量発生したという状況は、おそらく他に無いでしょう。
クローズドサークルものは、外からの協力者の可能性を完全に除外することができます。まさしく、犯人はこのなかにいる、という空間なのです。
本作の場合、外に出れば死。そして、仲間内では殺人事件が発生。外はもちろんのこと、仲間も心から信用できないという状況は、もはや恐怖以外の何者でもないでしょう。この閉塞感のある空間で起こるやりとりから、目が離せません。
ゾンビが大量発生したことにより、紫湛荘に立てこもりを余儀なくされた葉村や映画研究会のメンバーたち。パニックホラーならばゾンビとの格闘が描かれるところですが、本作はあくまでも本格ミステリ。緊迫した状況下で、第1の殺人が起こってしまいます。
被害者となったのは、映画研究会部長・進藤歩。自室で無くなっているところを発見されました。遺体は噛み千切られてボロボロで、一見ゾンビに襲われたように見えます。
しかし、部屋はオートロックなうえに、ゾンビの侵入を防ぐためにバリケードが築かれていました。ゾンビがたまたま彼の部屋にだけ侵入したとは考えにくい状況です。
そして、誰かが殺したともいえるようなメッセージも残されていました。部屋の扉の内外にあった、「いただきます」と「ごちそうさま」と書かれた紙。ゾンビにそこまでの行動能力はなく、やはり人間の手が加えられたと考えられるでしょう。
しかし、人間の手による犯行だとすると、遺体の損傷具合の説明ができず……。
本作はいわゆる「読者への挑戦」を含む作りとなっており、謎を解き明かすためのヒントは、作中に明確に提示されています。第1の殺人の謎を解くカギは、ゾンビが大量発生してから殺人が起きるまでに提示されていました。
周囲の状況や生存者など、小さな情報も精査していけば、正解にたどり着くことができるでしょう。
第1の殺人は密室状況下での殺人でしたが、第2の殺人は方法もさることながら、犯人の意図が不可解であると言わざるを得ません。殺害されたのは大学OB・立浪波流也。サーファー風の伊達男です。
彼はエレベーターを利用して殺害されました。睡眠薬で眠らされた状態でエレベーターに乗せられて、1階へ。到着すれば自動的に扉が開きます。その1階はゾンビに埋め尽くされている状態。襲われてしまうことは、想像するに易いでしょう。
しかし、そのままエレベーターが停止したわけではありません。ゾンビに噛まれた彼を乗せたエレベーターは再び動き出し、2階に到着しました。犯人はあらためて彼を鈍器で殴り、頭部を破壊したのです。
ちなみにゾンビに噛まれた人間は時間が経過するとともにゾンビ化しますが、頭部を完全破壊することで、活動を停止させることができます。
第2の殺人の不可解な点は、なぜゾンビに殺させた立浪を、再び2階に戻す必要があったのか。そして、彼の他にゾンビがエレベーターに乗っていなかったのはなぜなのか、という点です。
なぜそこまで手間をかける必要があったのか。トリックを解き明かすことで、犯人の被害者に対する深い恨みを知ることができるでしょう。
進藤、立浪が殺害され、ついに第3の殺人も起こってしまいました。殺害されたのは、七宮兼光。紫湛荘のオーナーの息子であり、大学のOBで立浪とも友人です。彼は自室にずっとこもっていたのですが、発見された時にはすでに亡くなっていました。
部屋にこもっていたということは、完全なる密室ということ。紫湛荘はカードキーを差し込んで扉を開けるシステムになっているため、彼が生存中に外から無理やり開けることはできず、彼が誰かを招き入れなければ侵入することはできません。
七宮殺害の機会は、2階の南エリアがゾンビに奪われた際、取り残された比留子を助けるために、3階の七宮の部屋からはしごを下した時だけでした。しかし、怪しい行動をしていた人間の目撃情報がありません。そのうえ七宮は潔癖症で、自分が摂取する食料や飲料は厳重に管理していたため、毒物などの混入も難しいでしょう。
遺体には目立った外傷がない以上、何らかの毒物が使用されたと考えられますが、混入する手段や機会もかなり少なく難しい状況です。彼はコンタクトが合わないため頭痛を訴えていたらしく、目薬を常用していたという情報があり、これが謎を解くカギになってきそうです。
ゾンビに追い詰められながら殺人事件の謎を解き明かすという、前代未聞のミステリ。やはり物語の謎を深め、また緊迫感や臨場感を与えるといった意味でも、ゾンビの存在は大きいでしょう。ただクローズドサークルという状況を作り出すだけではなく、実にゾンビらしい方法で事件に関わってくるのです。
犯人にとっては、完全にイレギュラーな事態だったはずのゾンビの存在。しかし、うまく利用することで自身の恨みを晴らし、目的を果たすことに成功しました。最後には不測の事態が起こってもなお殺害を諦めなかった理由が明かされます。
犯人の深い悲しみと恨み……読者は「因果応報」という言葉を思い浮かべることでしょう。
- 著者
- 今村 昌弘
- 出版日
- 2017-10-12
殺人事件の犯人も気になりますが、犯人が見つかっても全員が死んでしまっては意味がありません。ゾンビだらけの紫湛荘から無事に脱出できるのでしょうか。
そう、犯人がわかっても死の恐怖からは逃げられないという状況が、本作最大の見所なのです。最後まで緊迫した展開で、ページを捲る手が止まりません。
読者としては、バイオテロはなぜ起こったのか、誰が起こしたのか。そんな謎も気になるのではないでしょうか。果たして彼らは無事に生き延び、すべての謎を解き明かすことができるのでしょうか。
ぜひご自身の手で、彼らの結末を見届けてください。
ミステリは人気のあるジャンルで、数多くの作品が刊行されています。すでにトリックは出尽くされた……と思いきや、ミステリではあまり見られない斬新な存在が投入されたことにより、作品に今までにない魅力が生まれました。パニックホラーでありながら、本格ミステリ。『屍人荘の殺人』で、極上のエンタメを味わってください。