愛知県東海市出身の中村文則は、福島大学行政社会学部応用社会学科へと進学し、大学卒業後はフリーターという立場で、小説家を目指しました。フリーターとして小説家としての活動をしていた中村の懐事情は非常に厳しいもので、当時は1食200円で過ごしながら小説をひたむきに書いていました。その熱意が自身の才能に繋がり、2002年に『銃』で新潮新人賞を受賞したことで作家としてデビュー。さらにその2年後に『遮光』で野間文芸新人賞、その1年後に『土の中の子供』で芥川龍之介賞と、デビュー後はハイペースで受賞をしています。
中村文則の作品は、人が本来見たくないとまで言えるこの世の中の闇ともいえる部分を包み隠さずストレートに、かつ強烈に読者に伝える文が特徴です。
大学時代に多くの本を読んでいた中村ですが、その中でもお気に入りは、ドストエフスキー、カミュ、カフカなどの海外作家の小説です。ドストエフスキーは『罪と罰』に代表されるように、対話のシーン、話者が出来事や回想を語るシーンが多く、カミュは『異邦人』に代表されるように、思想についての描写が多い作家。そしてカフカは『絶望名人カフカの名人論』という本が出版される程、ネガティブな言葉が作品内に多いです。
中村文則の小説にもこの3人の作家の影響は顕著に出ており、対話・回想シーンが多く、思想や、ネガティブな面についての強烈な描写が多いです。特にピース又吉がお勧めをした事で有名になった、『教団X』には、この3要素がギッシリと詰まっています。
中村文則は小学生の頃より周りとの距離を感じていて、高校生の頃にはほとんど学校に通っていませんでした。その時に味わった劣等感や、不条理な気持ちが、現在の中村自身の小説で、目を背けたくなるほど生々しい描写として生かされています。
中村文則の書く小説は海外でも多数翻訳されており、中でも国内で2009年に単行本が発売され、第4回大江健三郎賞を受賞した『掏摸』は、2012年に英訳され、ウォール・ストリート・ジャーナル紙にて、「ベスト10小説」、「ベスト10ミステリー」にも選ばれています。
事故で亡くなった彼女をまだ生きているかのように周りに話す、虚言癖がある人物が主人公です。主人公は、周りの友人に決して話すことができないあるものが入った瓶を持ち歩き、生活をしています。そのあるものが入った瓶に日々翻弄されながら生きていく主人公を軸に物語が展開されます。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2010-12-24
著者中村文則の作風は暗くどうしようもないくらい重い内容が題材になっていることが多いのが特徴。読み始めは、抵抗感を感じたり、気味が悪いなと思ったりする方が多いかと思います。しかし、読み進める内に、次第に著者が引き出す異様な世界観で生きている登場人物に少し共感できるような部分を感じ、読み終えた後には、悲しいでもなく、よかったなでもなく、なんとも言えない感情に支配されるでしょう。
読み始めは主人公に理解できず、読み進めることが億劫になり、嫌になるかもしれませんが、読み終えると今まで感じたことのないような気持ちになり、それは読者の今後の読書の感性にも大きく影響を与えるものになるかと思います。これを機に、中村文則ワールドに足を踏み入れてはいかがでしょうか。
ノワール小説というのは人間の悪意や差別、暴力、闇社会を題材にとった、あるいは犯罪者の視点から書かれた小説です。
2冊目にご紹介する『掏摸』は、2009年に単行本化され、第4回大江健三郎賞を受賞し、海外にまでその名をしらしめた、中村文則の代表作です。前述しましたが、各国で翻訳され、ウォール・ストリート・ジャーナルという世界的な新聞で2012年のベスト10小説にも選ばれています。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2013-04-06
天才的なスリの常習犯である主人公が、主人公以上の犯罪者に弱みを握られ、依頼された仕事をこなしていくというもの。
この作品には本当に救われない人ばかり出てきます。主人公も含め、悲しい運命に支配されている人間が多く出てくるのです。世の中の暗いニュースは報道されないだけで、その日だけでも相当な数に上ると思います。その中でも中村文則が目を付けた凶悪な裏の世界。これを強烈に描写している力作です。
本作は、最初から海外に向けて発表して評価された小説ではありませんが、amazonにおいてアメリカ人に一目おかれ、そこから半ばブーム的にプロモーションされ、次第に海外のミステリーファンの中でも高く評価されるようになりました。
日本人であっても、海外の人であっても、読み易くてわかりやすい本が読みたいという人は多いでしょう。『掏摸』は中村文則作品の特徴に漏れず、わかりやすく伝えたい事がはっきりと、それでいて適格に強烈に心に響くので、国内外に好まれる小説になったのだと思います。
2009年に単行本化された、6作目の『何もかも憂鬱な夜に』という本をご紹介します。
1週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定する、20歳の未決囚の山井を担当している刑務官の「僕」が、山井とのコミュニケーションを通じて互いに生と死について考え、山井がある事について決意するまでのやりとりを描いた小説です。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2012-02-17
主人公が芸術によって救われ、殺人犯の山井も主人公によって感化されていきます。どちらも少し外れた生き方をしてきた人間であり、その外れた事について理解を深め合っていくのです。
中村文則の小説の特徴である、読者に直接語り掛けるストレートな描写がなされています。その説得部分がまるで読者に直接語り掛けているような描写が多く、読者はこの主人公と山井に共感を覚える事でしょう。
読む人によっては、この二人のやりとりはただの狂人のやりとりにしか思えないかもしれませんが、その場合は完全にエンタメ小説として楽しんでしまいましょう。
2013年に単行本化された『去年の冬、きみと別れ』は、タイトルから少し察しにくいですが、推理小説の分類に入ります。
ある猟奇殺人事件の全貌及び被告の素顔をあぶり出し、ノンフィクション作品として刊行することを出版社から依頼された、主人公でありライターの「僕」が、被告の木原坂雄大の真相に迫っていく、という話です。
二人の女性を殺した容疑で逮捕されて死刑判決を受けていた被告の木原坂雄大が何故猟奇殺人事件を起こしてしまったのか?という心情的な部分が中心となって描写されます。
中心となるのは被写体への異常なまでの執着が乗り移ったかのような写真を撮る、被告の木原坂雄大に関する話です。この男の真相を暴くという単純な話ながら、木原坂雄大の本人と周りを取り巻く狂気が大きすぎて、まるでSF小説でも読んでいるのではないかという錯覚にさえ陥る、そんな内容です。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2016-04-12
全く共感できない話や、感情移入が出来ない話がこの木原坂雄大という男性からたくさん出てきます。しかし、読者からすると、この男性が写真という芸術に夢中になりすぎている、という事は理解できます。
真相も非常にいびつなものです。狂気の人間がするトリックなど、常人には理解し難い、というか、どうにでも出来てしまうので、推理小説としては、ミステリーファンの中ではあまり評価は高くありませんが、それでも、この濃い世界観は魅力的です。
中村文則の小説の特徴として、挫折感や、不条理な思いを抱えて生きてきた経験がある人間が共感したくなる描写を強烈に作品内でするというものがあります。その為、少しでも木原坂雄大の気持ちが理解できると、この作品の見え方は他の人とは断然違うものとなり、評価も高くなるでしょう。
また、木原坂雄大の狂気と相成って全く予想できないどんでん返しが多く出てきます。どんでん返しの展開や、木原坂雄大の狂気の人生のストーリーを読みたいと少しでも思ってくれた方は、是非この『去年の冬、きみと別れ』をお勧めします。
余談ですが、芥川龍之介の『地獄変』という小説を読了前後で読んでおくと、より両作品を楽しむ事が出来ます。青空文庫で無料で読む事が出来るので、もし『去年の冬、きみと別れ』を読むかどうかで迷っている方は、まずは青空文庫で『地獄変』を読んでみてもいいかもしれません。
最後にご紹介するのが、2005年に単行本化され、芥川龍之介賞を受賞した『土の中の子供』という作品です。
幼い頃に両親に捨てられて、預けられた遠い親戚に酷い虐待を受ける主人公の「私」が山に埋められるもなんとか生き延びようとする、というストーリー。生々しい虐待描写が多く、ひたすら主人公が暴力に晒されるのを読者視点で見ることになります。『教団X』では生々しい性描写が多く出てきましたが、暴力というジャンル上、『土の中の子供』の方が読んでいて心に刺さるものがあります。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2007-12-21
中村文則の作品を2、3冊読んで、「もう強烈なメッセージが心に来る本を読むのは疲れたよ」という方がいたら、ちょっと敬遠したくなるかもしれません。
ですがご安心下さい。この『土の中の子供』を読んだ人の感想は、「深い」「確かな救いがある」と、前向きな感想が非常に多いです。むしろ、今までの中村文則作品を読んできて、少し疲れたと思った時に、救いのある作品として、本作をおすすめします。
「昨日、私は拳銃を拾った」という一文からこの物語は幕を開けます。平凡な男子大学生である主人公が、その文章通り、ある日川岸で拳銃を拾い、持ち帰ります。彼はその美しさに魅せられ、徐々に壊れていくのです。
「その拳銃を発砲したい」という欲望と、「日常から逸脱したくない」という抑制の間で揺れ動く心が淡々とした文章で綿密に織り成されます。そうして進む日常シーンが克明に描かれるのです。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2012-07-05
主人公は徐々に日常から逸脱していきながら、それに気づかずにもう戻っては来られないところまで行ってしまいます。しかしそれは物語的なものではなく、誰にでも起こりうることなのです。この物語の魅力は、そんな主人公の心情の変化は実は非凡なものではないのだ、ということが自然に描かれているところにあるでしょう。
それまで全く異常な世界とはかかわりあわずに生きてきたような人間であったにもかかわらず彼は、ただひとつの異常との邂逅から、その果てまで引きずり込まれてしまいます。
読了後の感覚としては、気味の悪さと居心地の悪さが同時に襲ってくるようなものがあります。その後味が悪さは疑いようもないのですが、それがこの作品の欠点ではなく、魅力として感じられるというのが面白いところです。
自分の日常がいかに貴重なのもので、平凡であるということがどれほどありがたいことなのか、それを一度考えてみたくなる作品となっています。
2014年に単行本化された『教団X』は賞をとる事こそ出来ませんでしたが、異例のベストセラーとなり、世間でも話題にもなりました。
平台で一度手に取ったものの、その分厚さに少し敬遠してしまった方もいるかもしれませんが、567ページとはいえセリフ描写が多く、ライトノベルのようにスラスラと読める作品です。
主人公は楢崎という男。彼女の立花が突如姿を消したので気になって調べた所、公安から身を隠すカルト宗教団体の『教団X』というのに突き当たり、その正体を探っていくと……。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2017-06-22
本作は、1人称視点が主人公や教団員の中で変わり続けながら話が進みます。時間は進み続けたまま、監視カメラの切り替えを一日中しているようなイメージです。ストレスなく最後までスピーディーに読めます。
性描写が非常に生々しく、セリフが多いのでストーリーが薄いと感じてしまう方もいるようですが、しっかり読んでみればキャラクター1人1人の個性が非常に強く、セリフの部分ではまるで中村文則自身が伝えたい事をそのまま読者に向けて言っているような説得力を感じます。
セリフが多いとはいえ、この本の特徴として科学的な話と政治的な話をこれでもかと盛り込まれ、さらに容赦のない重い描写が多くあるので、挫折してしまうという方もいらっしゃるようです。ですが、読み切った時にはすっかり中村文則のファンになり、オードリー若林とピース又吉のように他人に宣伝したくなるはずです。
国内外で評価される中村文則の作品はどれも心に来るものが多く、ご紹介した作品以外でも、読んだ意味を感じる事の出来る本ばかりです。最近読んでいる本の内容が思い出せないという方でも、一度読んだら忘れられない強烈なインパクトを味わって頂きたいです。