「泣くな赤鬼」は、『せんせい。』という文庫本に収録されている重松清の短編小説です。 かつて赤鬼と呼ばれていた教師・小渕は、病院の待合室でかつての教え子・斎藤と再会する。この出会いをきっかけに、あらためて教師という職業について考えるように。 ここでは元教師と元問題児という特別な絆を持つ2人の姿を描いた「泣くな赤鬼」について、その魅力を紹介していきます。 2019年6月には実写映画も公開。映画では、小渕が余命半年の斎藤のために野球の試合を再現する姿も描かれています。
日に焼けて赤く染まった顔と、鬼のように厳しい指導から「赤鬼」と呼ばれていた高校教師の小渕。かつての熱量をなくした赤鬼は、病院の待合室で元教え子の斎藤と出会う。斎藤は、通称「ゴルゴ」と呼ばれる元不良少年で、高校を中退していました。
病院での再会をきっかけに、ゴルゴが末期ガンだと知った赤鬼は、自分の教師人生をあらためて見つめ直すようになったのです。
かつては生徒を切り捨てることに戸惑いのなかった赤鬼と、先生に切り捨てられたと思った不良少年ゴルゴ。当時は相容れなかった2人の、数年後の出会いと別れを描く作品です。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2011-06-26
「泣くな赤鬼」は『せんせい。』という文庫本に収録された短編のひとつ。単行本版では『気をつけ、礼。』という題名でしたが、文庫にはもっとおおらかな装いを、という思いで文庫版は『せんせい。』という題名で刊行されました。
実写映画化も決まっており、赤鬼役に堤真一、ゴルゴ役に柳楽優弥、ゴルゴの妻である雪乃役に川栄李奈という豪華なキャストを迎え、兼重淳が監督を務めます。ロケ地は群馬県内の前橋、高崎、安中でした。
赤鬼がゴルゴのために、彼が出場できなかった甲子園予選の決勝を再現しようとする姿など、原作にはないエピソードも収録された映画は、2019年6月14日(金)に公開となります。
きみの友だち (新潮文庫)
2008年06月30日
本作の作者は、『きみの友だち』や『恋妻家宮本』など多くの映画化作品の原作を記してきた、作家の重松清。重松は、人と人との繋がりを非常にていねいに描くことが特徴です。また、本作のような先生をモチーフにした作品も多く執筆しています。
重松の描く人間は、身近に存在しているかのように平凡な登場人物でありながら、感動すると名高い作品を多数発表しています。
読了後、その物語について考えさせられるような、余韻の残る作品が魅力的です。
「赤鬼」というあだ名は、かつて港南高校に在籍していたときについたあだ名です。野球部の監督をしていた小渕は、日に赤く焼けた肌と、常に怒ったような表情、部活での厳しい指導などから、生徒の間で「赤鬼先生」と呼ばれていました。
彼が野球部に力を入れていたのは、「野球」と「野球部」が好きで、努力し強くなっていく選手を見るのが好きだからでした。どんなあだ名で呼ばれようと、恐れられようと、野球や選手の育成に対して強い情熱持っていたのです。
港南高校は県内での実力は高く、甲子園出場まであと一歩という学校だった分、余計に指導に熱が入っていたのでしょう。本気で野球をやりたい生徒にとってみれば、とてもよい先生だったのではないかと思います。ただ、その情熱のせいで、部活を辞めてしまう者も多かったよう。
現在彼が着任している高校の野球部は弱く、生徒のやる気もなく、赤鬼自体も熱量を失っていました。そんななか、かつての教え子に出会ったことで、赤鬼は再び「赤鬼先生」の顔を思い出し、生徒の望む自分であることを貫こうと思うのです。その姿は、ただ怖いだけではない教師らしさが見て取れます。
ゴルゴというあだ名は、『ゴルゴ13』の作者の「さいとう」という苗字から来ており、彼自身がゴルゴに似ているという訳ではないようです。ゴルゴは、港南高校在学中、野球部に所属していました。体格は小柄なものの、野球のセンスがあり、赤鬼も将来を有望視していました。
しかし、ゴルゴは赤鬼の期待通りには成長せず、練習への顔出しもまばらになり、練習していても気の入らないことが多くなっていくように。そしてついに部活も学校も辞めてしまったのです。
学校を辞めたあとは、警察にも逮捕されてしまったゴルゴ。そんな彼も20半ばになり、就職して妻と子どもがいる大人になり、幸せな生活を送っていました。手のかかっていた生徒が、家庭を持ち、幸せに暮らしている姿は、教師として嬉しいものですよね。
言葉遣いや態度は、相変わらず乱れているもの、立派な大人へと成長したゴルゴ。赤鬼はそんな彼が、余命半年の末期ガンと知らされ、物語が動きます。
高校時代のゴルゴを知る赤鬼から見る、ゴルゴがやせ細っていく姿には、なんとも胸を締め付けられるような思いになります。
本作の主人公は赤鬼であり、赤鬼のゴルゴに対する想いや、自分の教師人生を考える部分がメイン。それに対し、ゴルゴの思いは、ゴルゴの妻である雪乃を通して非常に多く描かれています。
赤鬼は、元教師として、たくさんゴルゴと接し諭して来ましたが、最終的には見限ってしまいました。もちろん、教師として生徒を想う気持ちはありましたが、彼のすべてに応えることは難しかったのです。
そしてゴルゴも、自分の弱さやかっこ悪さを受け入れることができず、赤鬼の言葉にきちんと耳を傾けることができなかったのです。赤鬼は、そんな彼を「弱い人間」と認識しており、またこんな自分を彼も恨んでいるだろうと思っていました。
しかし大人になり、実は彼が自分のことを本当に慕っており、「赤鬼先生」として好いていてくれたことを知るのです。そして赤鬼は心が弱かったゴルゴに対して、別の対処があったのではないかと考えるようになります。
不器用だった赤鬼と、厳しくても赤鬼が好きだったゴルゴ。数年越しに、やっと腰を据えて話せるようになった2人の姿は、読者の心を揺さぶってきます。
ゴルゴの容体はしだいに悪化し、身体もろくに動かせないような状態になっていきます。「意識のあるうちに来てほしい」という雪乃の願いを受け、ゴルゴに会いに行った赤鬼。彼はそこであらためてゴルゴの成長と、「赤鬼」に対する想いを感じます。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2011-06-26
最後までかつての赤鬼でいようとする姿は、まさに先生そのもの。その彼らしさこそ、ゴルゴが望んだ姿だったのです。「赤鬼先生」でいようとするのは、彼の教師としてのプライドではなく、生徒に対する想いからだということが非常に伝わります。
赤鬼にとって、ゴルゴは高校を中退してしまったものの、かけがえのない生徒の1人。先生と生徒の期間が短くても、言葉にしなくても、赤鬼とゴルゴの間には、たしかに絆があったのだと思わせてくれる結末に、涙すること間違いなし。
2人が、どんな別れを見せるのか。気になった方はぜひ、本作を手にとってみてください。
かつての教師と教え子の、数年越しに結ばれた縁と絆を描いた「泣くな赤鬼」。再開した時には数年の月日が流れていたものの、「教師」と「生徒」という関係は、いつまでも続くのだと感じさせてくれる作品です。