コインロッカーで生まれた、キクとハシ。養父母とともに島で暮らしていた2人でしたが、ある日、ハシは母親を探しに東京へと消えてしまいます。やがてキクは「ダチュラ」というもので世界を破壊することを目論見はじめ……。同じ場所で生まれた2人の、かけ離れていく運命を描いた、村上龍の傑作小説です。 『コインロッカー・ベイビーズ』は実際にあった事件をもとに、斬新な世界観が描かれています。今回の記事では、そんな本作のあらすじや魅力、結末までの見所をご紹介。キーポイントとなる「ダチュラ」などについても説明します。
コインロッカーに遺棄されていた、ハシとキク。彼らは奇跡的に生き延び、孤児院で育てられます。その後は里親が見つかり、九州の離島に引き取られることになりました。
大きな問題はなく成長していく2人ですが、ある日ハシは、母親を探しに東京へと消えてしまいます。そこで彼は、歌手として活躍するようになるのです。一方キクは、「ダチュラ」というもので世界を破壊しようと目論むようになり……。
同じ場所で生まれた2人の運命は、しだいにかけ離れていくことになります。果たして、彼らの行き着く先とは?
- 著者
- 村上 龍
- 出版日
- 1984-01-09
本作の作者・村上龍は、『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞。その後も精力的な作家活動を続け、テレビやメールマガジンなどでも活躍しています。
本作は、1980年に刊行された話題作。ほとんど改行をしない文体と難しい内容のため、意味がわかりにくいという声も……。しかし、ラジオドラマや舞台にもなっており、発売開始から40年近く経った現在でも、根強い人気を誇っている作品なのです。
舞台作品は2016年に上演され、2018年に再演されました。キャストはA.B.C-Zの橋本良亮と河合郁人、さらに山下リオなどです。演出には、宝塚歌劇団の木村信司が携わりました。
いまだに映画化されていないことが不思議だと言われるほどの傑作です。
本作の内容はさまざまな解釈がありますが、新生児遺棄事件がモデルになっていることは間違いないでしょう。
新生児遺棄事件とは、1971年に起こった事件です。生後間もない子どもをコインロッカーに遺棄した事件で、当時話題になりました。決して許されないことですが、婚姻外出産に対して社会保障が整備されていなかったこともあって、子どもを遺棄せざるを得なかったのかもしれません。
本作では、キクとハシはコインロッカーに捨てられ、運よく生き残ります。しかし、親からの愛情を受けられなかった2人にとって、果たしてそれは幸運だったといえるのでしょうか。結果としてハシは自らの母親を探すために旅に出て、これが2人の運命を大きく変えていくことなります。
捨てられた子供の想い、そして運命。子どもが背負った十字架というのも、本作のテーマの1つでしょう。
本作は、多くの小説家に影響を与えました。ノーベル文学賞候補にもなった村上春樹は、本作を読んだのをきっかけに長編小説の執筆を決意したのだそう。
当時彼はジャズ喫茶を経営する兼業作家でしたが、本作の持つ長編小説的なエネルギーに揺り動かされて『羊をめぐる冒険』を執筆。これを機に専業作家としてデビューするのです。村上春樹は村上龍をライバルとして認識しており、彼を作家として貴重な財産であるとコメントしています。
他にも、芥川賞を受賞したお笑い芸人・ピースの又吉直樹も、「アメトーーク」内で本作をおすすめ。
さらに『蛇にピアス』で有名な金原ひとみは、本作を読んだ後に放心状態に陥るほどの衝撃を受けたと語っています。彼女は、本作の単行本で解説を執筆しました。
村上龍はたくさんの名作があることで知られていますが、本作はそのなかでもトップクラスの作品といえるでしょう。文体や力強いテーマが特徴的で、彼が天才的な作家であることを証明しました。ファンの間でも評価が高く、村上龍を知るならここから始めたほうがいいという声も多いようです。
本作には、実に個性豊かな登場人物が多数登場します。そんな彼らの共通点は、強い意志を持っているところ。彼らのかっこいい生きざまからは、力強さを感じることができるでしょう。
本作の主人公。本当の名前は菊之です。優れた身体能力を持ち、陸上競技で活躍します。コインロッカーに捨てられ、ハシとともに孤児院で育ちました。ハシが東京へと旅だった後は、「ダチュラ」をばら撒いて世界を破壊したいと考えるようになります。
暴力性と危険性を兼ね備えた人物ですが、そんなダークサイドな一面が魅力的な人物でもあるといえるでしょう。
ハシ
もう1人の主人公。本名は橋男。内向的な性格ですが、歌の才能に長けています。孤児院から九州の離島に引き取られた後、母親を追って東京に消えてしまいます。その後はスター歌手として活躍。しかししだいに様子がおかしくなっていき……。
精神的に不安定な人物ですが、自分の歌のレベルを上げるために舌を切り取るなど、歌手としての高いプライドを持っています。
本作のヒロインで、キクの恋人。ワニのガリバーと一緒に暮らしています。モデルの仕事をしており、テレビCMにも出演している売れっ子です。彼女は、キクにとって、ハシと同じくらいに大事な存在になっていきます。
キクの裁判の際には関係者に啖呵を切るなど、かなり強気な性格です。
ハシのマネージャーであり、後に妻となる人物。複雑な家庭環境で育ちました。
本作の重要な舞台として、薬島という場所があります。東京にありながらもスラムよりもひどい場所で、犯罪や麻薬が蔓延。ここに犯罪者や浮浪者が集まることで、周辺の治安がよくなるという皮肉な結果を招きました。
薬島は毒物に汚染され、売春や犯罪が日常的におこなわれています。村上龍の筆致で描かれるその様子は、グロテスクでスリルに満ち、とてもリアルに迫ってきます。
この島の周辺は、気の違った人間ばかりの、常軌を逸した状態です。そこでタクシー運転手から襲われているアネモネをキクが助けたことで、2人は出会いました。
この薬島の場面から、物語の雰囲気がガラリと変化。その世界観は、まさにSF映画やゲームのよう。読者をより一層惹き込んでいくのです。
本作で重要なモチーフとして、「ダチュラ」と「心臓の音」があります。これは、どのような意味を持っているのでしょうか。
心臓の音は、キクとハシの幼少期に治療で使われました。その音は、子供が1番最初に聴くであろうもの。母親というものの象徴であり、安心や安全を意味するものでもあるでしょう。
この音は、全編を通して度々登場します。そしてキクとハシは、この音を頼りに行動していくことになります。そして母の存在を求める過程で、2人は大人になっていくのです。この音は、ハシが歌手になるときなど作品のターニングポイントでも登場します。
幼少期の治療で心臓の音が使われたのは、2人の暴力衝動を封じ込めるためでした。しかし、彼らに完全に衝動がなくなったわけではありません。この暴力衝動こそが本作のテーマでもあります。そのため重要な場面で、心臓の音は出てくるのです。
ダチュラは、殺人衝動を催す兵器として描かれています。これに触発されると、暴力的に変化してしまうのです。このダチュラはラストシーンでも重要な役割を果たしていますが、いったい何を象徴しているのでしょうか。
破壊衝動をもたらすダチュラは、生の象徴である心臓の音とは対照的な存在です。壊すことと生きることという構図を作るために、ダチュラは使われています。最後の場面で、ハシは破壊衝動にかられながらも、心臓の音を聴くのです。
何かを壊していくことは、本作では肯定的に描かれていますが、壊してはいけないものもあります。それこそが、村上龍が伝えたかったことなのではないでしょうか。それを描くためにも、心臓の音とダチュラは必要だったのです。
本作には、生と死にまつわる名言が多く登場します。そこから感じ取れるのは、生きるというメッセージと、力強さです。本作の数多くある名言のなかから、厳選してご紹介しましょう。
何一つ変わってはいない、
誰もが胸を切り開き新しい風を受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている、
渋滞する高速道路をフルスロットルですり抜け疾走する
バイクライダーのように生きたいのだ、
俺は跳び続ける、ハシは歌い続けるだろう、
(『コインロッカー・ベイビーズ』より引用)
作品の終盤で出てくる言葉です。「渋滞する高速道路」は現代社会を象徴しており、誰にもとらわれずに生きたいという衝動を表しています。ここでも心臓の音が使われており、生きる力強さが表現されているのです。
生きろ、そう叫びながら、心臓はビートを刻んでいる。
(『コインロッカー・ベイビーズ』より引用)
本作を代表する言葉といっても過言ではありません。破壊や殺人を描いている本作ですが、本作が伝えているのは生きることです。それを強く肯定している名言でしょう。
ヘルメットの顎紐を締めて、いや違う、とキクは言った。
俺達は、コインロッカー・ベイビーズだ。
(『コインロッカー・ベイビーズ』より引用)
オートバイに乗ったキクがいったセリフ。「コインロッカー・ベイビーズ」という言葉が使われたのはここだけで、まさに本作最大の見せ場といってもよいでしょう。
本作最大の山場は、終盤でダチュラを撒き散らす場面でしょう。キクとアネモネは、さまざまな問題を乗り越えて、ダチュラを東京に撒き散らすと決意します。
コインロッカーで生まれたキク、そして複雑な家庭環境で育ったアネモネ。彼らは過去や生い立ちを乗り越え、オートバイに乗って街に向かいます。彼らが2人で橋を走るシーンは、読んでいて心揺さぶられるもの。
その一方で、ハシには別の運命が待ち受けていました。歌手として成功していた彼。周りの人間は、より成功させるために、彼の生い立ちを利用しようと考えます。そして、彼を母親と会わせるというドッキリが仕掛けられるのです。その時、ハシは……。
それぞれの生き方を選択した、キクとハシ。まるで表と裏にように対極の道を歩む2人は、一体どこへ行き着くのでしょうか。
- 著者
- 村上 龍
- 出版日
- 1984-01-09
本作の結末は、決してハッピーエンドといえるものではないかもしれません。しかし、読後に感じるのは、不思議な高揚と力強さでしょう。本作では一貫して、生と死を描いています。
キクとハシが懸命に生きる姿からは、強い生命力を感じられるはずです。そして、それが私たち読者にも力強さを与えくれるのです。
村上龍はさまざまメディアで自身の考えなどを発信していますが、「好きなことをして生きていけ」というメッセージは一貫しています。本作のラストシーンでも、そのような気持ちが伝わってくるはずです。