【第20回】「遊ぶ金欲しさにやりました」の話

あっ、世界から自立を迫られている。と思った。

手元には235円しかなく、口座にあるお金も1000円を切ってしまったので口座からお金を引き出すことさえできない。26歳、春を前に何度目かさえ数え切れないほどの貧乏だ。

これまでずっと死なない程度には生きていけている。ただ、それは食う寝るところも住むところもあるから「死んでいない」だけである。

すねた言い方をしたけれど、大なり小なりしたくないことは出来るだけしないようにして、したいことはほどほどしているので、20代後半になってから、これまでよりも小さく小さく好きなことを積み上げている手応えがある。どちらかというとたのしい人生だ。

けれど、このぼんやりたのしくいつも不安な生活を支えてくれているのは、わたしの稼ぎではない。収入はいつも不安定かつ一緒に大学を出た友達とは比べるもなく低く、いつも雨の前のつばめみたいな飛び方をしている。わたしは一人で生活が出来ない。

大人になってもこんなに自立できていないとは思わなかった。

けれどアルバイトをする気が起きない。全然やりたくない。

本当に、心から、できるだけ働きたくない、けれどご飯はいっぱい食べたいしお酒も好きなときに飲みたいし、本は欲しいし舞台も観たい。したいことに制限をかけないでいたい。

欲深いわたしを満たすためにきっとさらなる労働からは逃れられない。残念でならない

高校生の頃、人生初のアルバイト先に選んだのはバイパス沿いにあるファミレスだった。

中学生の頃に弟の飼っていた小鳥を不注意で逃してしまったときに人生で初めて泣きながら「やけ食い」をした大きなチョコレート・パフェのある店だ。

子どもの頃はその店の「おこさまパンケーキ」が大好きで、くまさんの顔の鼻のところに置かれたバニラアイスや、目のところに置かれた丸いグミを愛していた。

「仕事」はしたことがあったけれど、自分で履歴書を書いて面接を受けに行ったのは初めてだった。こわごわと働きだしてから2月も経たず、労働に挫折した。

皿を運んだり下げたり、コップを静かに置いたり元気に挨拶したりしてお金をもらうことがこんなにも大変で退屈だなんて。たしかに不器用なほうだとは思っていたけれど、わたしはここまでポンコツだったのか。

それでもお金は欲しかったので、あまり客の来ない曜日の夜にばかりシフトを入れた。

店ではできるだけいい姿勢で立ち、暖色の店内のどこにも焦点が合わないようにしながら、客がこれ以上来ないことを強く念じながら時間を潰していた。

高速の下道を走る車のライトを眺めながら、強盗が来たらこわいけれどバイトは一瞬でお開きだろうなあと様々なパターンの強盗について思いを馳せる。

退勤までの数時間がおそろしく長い。

ある日、バイトの先輩から「石山さん、時計ばっかり見ないで」と言われた。

この店では本当に時間が流れているんだろうかと、半ばのけぞるようにしながら頭上の時計を数分おきに監視していたのがバレてしまったのだ。それから「文化祭の準備」を理由にシフトを入れなくなり、後ずさって逃げるようにバイトを辞めた。

それ以来、飲食店やレジ打ちのバイトのひとには絶対的なリスペクトがある。

コンビニでも薬局でも、バイトの人がどんなにおたおたしようと多少愛想が悪かろうと腹は立たないし、できればもっと楽に働いてほしい。わたしに出来ないことをしっかりやって、ひとによっては自立までして生きている。すごい、本当にすごい。この原稿はあのファミレスの別の店舗で書いている。

253円だった全財産は、できるだけしたくないこと以外の、おおむね好きなことをして働いてもらったお金によってにわかに息を吹き返した。とんかつ御膳もハンバーグもデザートも臆せず頼めるが、自立した生活はできない程度の額面だ。

あの店で一番仕事のできないわたしが担当していた、水や飲み物をコップに注いで持っていく仕事はセルフサービスになっていた。

アルバイトの研修で習ったことも覚えきる前に辞めてしまったけれど「水の入ったコップを置くときに机とコップの間にすっと小指を差して音をミュートさせる」ということだけは覚えている。

自分のために注いだ水を机にそっと置く。

机とコップの間で、小指は無様に挟まってすっと引けない。「ゴツン」。音がする。もう一度、小指をそっと抜いて、「コツン」。やっぱり音がする。

たしかに小指を差し込まずに普通にコップを置いたときより幾分音は静かになるけれど、これってやってもやらなくても音がするんじゃないか。

そもそもこんなこと、誰かは喜ぶんだろうか。

会計は2000円ちょっとだ。なにをやってもやらなくても、生活にはお金が要る。

でも、やっぱり、バイト、したくないなー。

「ものするひと」オカヤイヅミ

著者
オカヤ イヅミ
出版日
2018-03-12

主人公は、文学賞を受賞した経歴がありながらも警備員のアルバイトで生活をする若手の純文学作家・杉浦紺。「ポメラ」でぽつぽつとものを書きながら食べ、働き、遊び、眠る。

小説に興味のないアルバイト先の同僚との会話から始まるこの物語は、稼ぎに直結しないことを職業にするある種の「へんなひと」とそれを取り巻く人々との会話や、やわらかな緊張感がたしかにリアルでおもしろい一冊です。

1巻の巻末にある著者・オカヤイヅミさんと小説家・滝口悠生さんの対談「ものするひとたちのリアリティ」もおすすめ。

撮影:石山蓮華

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  • 電線読書

    趣味は電線、配線の写真を撮ること。そんな女優・石山蓮華が、徒然と考えることを綴るコラムです。石山蓮華は、日本テレビ「ZIP!」にレポーターとして出演中。主な出演作は、映画「思い出のマーニー」、舞台「遠野物語-奇ッ怪 其ノ参-」「転校生」、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」テレビ「ナカイの窓」など。

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