『セロ弾きのゴーシュ』は読書感想文にもおすすめ!名言紹介、教訓や謎を考察

更新:2021.11.17

宮沢賢治の人気作『セロ弾きのゴーシュ』。動物がたくさん登場し、小さなお子さんでも楽しめるお話で、読書感想文にもおすすめです。この記事では、あらすじや登場人物を紹介するとともに、物語に込められた教訓や名言、謎も解説していきます。

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『セロ弾きのゴーシュ』の概要とあらすじを簡単に紹介

 

宮沢賢治の童話のなかでも特に人気の高い作品のひとつ『セロ弾きのゴーシュ』。賢治が亡くなった翌年の1934年に発表されました。たびたび映像化がされてきましたが、1982年に高畑勲監督によって映画化されたことで、話題となっています。

主人公は町の活動写真館の「金星音楽団」でセロを弾きを担当しているゴーシュ。「セロ」とは楽器のチェロのことです。

ゴーシュは今度の音楽会にむけて演奏曲を練習しているのですが、あまりにも下手なため、いつも楽長に怒られていました。そんな彼のもとへさまざまな動物たちが訪れ、何かと理由をつけては演奏を依頼します。

動物たちと夜毎の演奏を通してゴーシュの音楽は変わり、町の音楽会は大成功。アンコールの指名まで受けます。

ゴーシュは当初みんなからの嫌がらせだと勘違いをしていましたが、それでも一曲演奏をすると、楽長をはじめ楽団員や聴衆たちから称賛を受け、驚くのです。その後家へ帰ったゴーシュは、これまで訪れてくれた動物たちにひとり思いを馳せます。

 

『セロ弾きのゴーシュ』の登場人物を全員紹介!

 

ゴーシュ

『セロ弾きのゴーシュ』の主人公の青年です。音楽会のために一生懸命セロを練習していますが、いまいち上達しません。本当は優しい心をもっているのに、弱いものに対しては高飛車な態度をとり、聞く耳をもたない性格をしています。

楽長

金星音楽団の楽長です。手を打ち鳴らしたり床をどんと踏んだりしながら楽団員を厳しく叱りますが、その指摘は決して的外れではありません。ゴーシュのセロに対しても厳しく批判をしていました。

三毛猫

最初にゴーシュのもとを訪れた動物です。彼の庭のトマトをお土産に持ってきて、シューマン作曲の「トロメライ」を弾いてほしいと生意気を言い、ゴーシュを怒らせます。憤慨したゴーシュが「印度の虎狩」を弾くと、三毛猫は体が勝手に動いてしまい、あちこちぶつけてしまうのです。

カッコウ

2番目にゴーシュのもとを訪れた動物です。音楽を教わりたいと言い、ゴーシュに基礎練習を反復させるよう導きます。ゴーシュはカッコウと演奏をすることで自分の欠点に気付きますが、続けるうちにカッコウのほうが「本当のドレミファ」をしていると思い、嫌になってやめてしまうのです。その後怒ったゴーシュにびっくりし、窓ガラスにぶつかって怪我をしてしまいます。

狸の子

3番目にゴーシュのもとを訪れた動物です。「おまえは狸汁を知っているか」と脅されても、ぼんやりと首をかしげるのんびりとした子。自分は小太鼓の係だと言って、ゴーシュの演奏に合わせて拍子をとります。セロのリズムがいつも遅れる理由を鋭く指摘し、ゴーシュをハッとさせました。

野鼠の親子

最後にゴーシュのもとを訪れた動物です。子どもの具合が悪いからどうか治してほしい、ゴーシュの演奏を聴けば病気が治ると言って、彼に自信をつけてくれます。帰り際、ゴーシュは野鼠の親子に一つまみのパンを与えました。

 

『セロ弾きのゴーシュ』から学べる教訓を考察!小学生の読書感想文にもおすすめ

 

本作からはさまざまな教訓を得ることができ、小学生の読書感想文にもおすすめです。

まずはじめに考えたいのは、ゴーシュと動物たちとの関係でしょう。『セロ弾きのゴーシュ』は、ゴーシュが毎夜やってくる動物たちの優しさを受けて、少しずつ変化していく物語です。

当初は動物たちを自分より下だと馬鹿にしていましたが、実際に彼らとセロを弾くことで技術が上達していきます。

ここから得られる教訓は「卑屈になって自分より弱い者に八つ当たりをしてはいけない」ということ。そんなことをしていたら、相手の優しさに気が付かず、最終的には自分が後悔することになってしまいます。

読書感想文を書く際は、この教訓を自分の境遇と具体的に結び付け、「ゴーシュのおかげで自分のこういう部分に気が付いた」などと結ぶとよいでしょう。

次に考えたいのは、ゴーシュと楽長の関係です。金星音楽団の楽長は、ゴーシュのセロを「感情が乗っていない」「周りの人と合っていない」と指摘しました。楽長は厳しいですが、この指摘自体は何も間違っていません。

リズムがずれるのは楽器のせいでしたが、曲に感情を乗せることは三毛猫が教えてくれました。そしてカッコウ、狸の子、野鼠の親子のおかげで、他の楽団員ともうまく合わせられるようになります。

しかし当初のゴーシュは、はじめから楽長の指摘に耳を傾ける気がありませんでした。教えを無視して闇雲に練習をしたところで、上達するはずはありません。

ここから得られる教訓は「人から指摘されたり叱られたりした時は、耳が痛くてもきちんと受け止める」ということです。傲慢な態度で無視してはいけません。

読書感想文では、かつて自分が独りよがりだったことや、誰かの指摘を受けて改善できたことなどを正直に書いてみるとよいでしょう。

 

『セロ弾きのゴーシュ』の謎を考察!なぜカッコウにだけ謝った?

 

物語の最後の場面で、ゴーシュは遠くの空をながめながらカッコウに対し「すまなかったなあ」と呟きます。しかし彼は、三毛猫にだってひどいことをしていたのに、なぜカッコウにだけ謝ったのでしょうか。

1:宮沢賢治が猫嫌いだったという説

『セロ弾きのゴーシュ』に登場する動物のなかでも、三毛猫に対する扱いは飛び抜けてひどいです。ゴーシュは、自分の演奏を聞いて体が勝手に動いてしまいあちこちにぶつかる三毛猫を見て、面白がったり、ざらざらの舌を使ってマッチを擦ったりするのです。

実は、宮沢賢治初期の随筆『猫』には、はっきりと猫が嫌いだと書かれています。このことから、もしかしたら賢治が猫を嫌っていたからカッコウにだけ謝る展開にしたと推測されているのです。

しかし賢治の作品にはこのほかにも猫が登場するものがたくさんあり、やや信憑性に欠けています。

2:最後のセリフは謝罪ではないという説

ゴーシュは「すまなかったなあ」と言っていますが、これは謝罪ではなく、カッコウのことを思い出しているうちにふと口から出てしまったと考えてみましょう。

動物たちを見下していたゴーシュでしたが、カッコウとの演奏が自身を大きく変えるターニングポイントでした。きっとその記憶が印象深く残っていたのでしょう。あえて三毛猫に謝らなかったのではなく、心に強く残った場面を振り返った時に、カッコウとの出来事が思い浮かんだのかもしれません。

 

『セロ弾きのゴーシュ』の名言を紹介!

 

宮沢賢治が使う言葉は、読んだ人をハッとさせたり反省させたり、自分の過去を振り返らせたりする力があります。『セロ弾きのゴーシュ』にも、心に残る名言が多数。ご紹介しましょう。

「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ」(『セロ弾きのゴーシュ』から引用)

これはカッコウのセリフです。音楽に対して覚悟をもっているカッコウ。真剣に向き合うのであれば、血が出るまでやるくらいの気持ちを持たなきゃいけないという強い思いが伝わってきます。

「ああカッコウ。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」(『セロ弾きのゴーシュ』から引用)

こちらは先述した、ゴーシュの最後のセリフです。遠くの空を眺めながら昨夜までの出来事を思い返し、何かに気がついた青年の成長する心をとらえた、素敵な場面だといえるでしょう。

 

作者の宮沢賢治もチェロを弾いていた!

 

1926年に、教師として勤めていた農学校を辞職した宮沢賢治。「羅須地人協会」という、農民の生活向上を目的とした私塾を設立します。農民による楽団の結成を構想し、自らもチェロを買って練習をしていたそうです。

独習本を筆写したものが現存していることから、熱心に取り組んでいたといわれています。しかし技術的にはほとんど上達することなく、練習するだけにとどまったようです。

 

『セロ弾きのゴーシュ』は絵本で読むのもおすすめ

著者
宮沢 賢治
出版日
1966-04-01

 

茂田井武がイラストを手掛けた絵本です。 茂田井は昭和時代に活躍した童画家で、素朴ながらも独自の世界観を醸し出していると高い評価を受けています。

イラストは派手過ぎず落ち着いていて、物語を引き立てています。ゴーシュをはじめ登場する動物たちが素朴な表情で描かれているので、ゆっくりと心を変化させていく主人公の気持ちに寄り添うことができるでしょう。

文字だけで読むよりもより具体的に物語をイメージできるので、絵本で読むのもおすすめです。

 

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