多くの人が小学校で学び、読んだ人に強い印象を残した絵本『モチモチの木』。滝平二郎による表紙の切り絵が、特に印象深いですよね。 この記事では簡単なあらすじ、モチモチの木の正体、さらには初版本と改訂版の違い、作者が伝えたかったことなど、その魅力を余すとこなくご紹介しましょう!
峠に、おじいさん(じさま)と2人で住んでいる少年・豆太。昼間はそんなことないのに、夜になるとモチモチの木がお化けのようにも思えてしまい、表にある「せっちん」、つまりトイレにすら行くことができない臆病者です。
そんな彼は、夜中にトイレに行く際は、必ずおじいさんを起こすのでした。
そんなある日、おじいさんは豆太に「今夜はモチモチの木に灯がともる。その灯は1人の勇気ある子供しか見ることが出来ない。」と教えるのです。
その日の夜、豆太が目を覚ますと、おじいさんが腹を抱えて苦しんでいるではありませんか。医者を呼ぶにも、表に出なければなりません。怖がりで泣き虫な豆太ですが、彼は大好きなおじいさんのために表へ飛び出すのでした。
果たして彼は、おじいさんを救うことができるのでしょうか。
- 著者
- 斎藤 隆介
- 出版日
- 1971-11-21
小学校の教科書でもお馴染みの本作。1度は読んだことがある人も多いのではないでしょうか。
作者は、斎藤隆介。秋田の新聞社に勤めていたこともあり、本作では秋田の方言を元にした印象的な言葉が使われています。
本作は昭和52年度版から光村図書出版や岩崎書店をはじめとした教科書に掲載されており、長い年月、多くの人々から読まれた作品となっています。
主な登場人物は、主人公である豆太と、おじいさんだけです。
豆太は、臆病で泣き虫な少年。何かあると、すぐに「じさまぁ」とおじいさんを呼び出してしまいます。もちろん夜中のトイレなんて1人で行くことはできず、おじいさんに付いてきてもらいます。
しかし物語の終盤、おじいさんは腹痛を訴えて倒れてしまうのです。豆太は勇気を振り絞り、おじいさんを助けることができるのでしょうか。
そんな彼を温かく見守るのが、おじいさんです。彼のセリフには、グッとくるものが多くあります。たとえば、物語の最後、彼が豆太へかけるセリフがあります。
「自分で自分を弱虫だなんて思うな。
人間、やさしささえあれば、
やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ。」
(『モチモチの木』より引用)
豆太は、自分を弱虫だと思っていました。きっとおじいさんは、そんな彼の思いを知っていたのでしょう。だからこそ彼に、弱虫でも優しければそれが1番だ、ということを教えたかったのではないでしょうか。
優しさがあれば、やらなければならない場面で行動に移せる、と言ったおじいさん。そんな彼の思いを受け、豆太はそれを実行に移すことができるのでしょうか。
『モチモチの木』といえば、ダーク色を基調とした版画絵が印象的。教科書に載っていることもあり、ほとんどの日本人が1度は読んだことがあるのではないでしょうか。たとえ内容は覚えていなくとも、あの表紙のおじいさんと豆太の版画絵の迫力は、覚えているという人も多いはず。
しかし、その版画絵が怖いという意見もあることをご存知でしたでしょうか。豆太が夜のモチモチの木に対して恐怖心を抱いたように、読者にもそのイメージが植えつけられたのかもしれません。
黒が基調であること、迫力に満ちているところが、子供の目からしたら、やや不気味に映ったのでしょう。
- 著者
- 斎藤 隆介
- 出版日
- 1969-12-30
その版画絵を担当したのが、滝平二郎です。彼は斎藤隆介作品で挿絵を担当することが多く、多数の版画を残しています。たとえば本作同様、教科書に掲載されたこともある『花さき山』の彼岸花などは、目にした人も少なくないと思います。
こちらも『モチモチの木』と同じく、優しさをテーマにした作品。機会があれば、こちらもぜひ読んでみてください。
モチモチの木に灯が灯るのは、おじいさんのセリフによると霜月三日の晩の丑三つ時(午前2時から2時30分ころ)だということがわかります。
「シモ月のミッカのウシミツにゃァ、
モチモチの木に ひがともる。
おきてて 見てみろ、そりゃァ キレイだ。
(中略)それは、ひとりの こどもしか みることは できねえ、
それも ゆうきのある こどもだけだ」
(『モチモチの木』より引用)
しかし、豆太が夜中に走り抜けるなかでモチモチの木に灯が灯っている名場面、その挿絵が1971年に出版された初版では三日月だったのです。
三日月というのは、夕方に西の空に見え始め、夜には沈んでしまう月。ですので、丑三つ時に三日月が見えるのはおかしいという指摘が出てきました。それを受けて、1977年の改訂版では滝平が、三日月ではなく半月くらいの月に描き直したという事実があるのです。
また、三日という言葉も、二十日と改訂版では変更。三日の晩だと三日月になることが多く、豆太が走っていく場面では月が出ているはずがないという指摘が出てくる可能性があったからでしょう。
初版本と改訂版、比べ読みしてみるのも面白いかもしれませんね。
さて、表題にもなっている『モチモチの木』ですが、これは一体何の木のことなのでしょうか?答えは「栃(とち)の木」です。これは日本特有の木で、縄文時代から食用にされてきたのだそう。
大きく成長すれば高さは30m、幹の直径は2m。大木に育つため、1本の木からたくさんの実を取ることができます。とちの実はアクが強く、虫に食べられることも少ないようです。このようなことから人々の非常食にもなり、飢饉の時などには多くの命を救ったとも言われています。
前述したようにアクが強く、そのままでは食べられませんが、手間暇をかけることで美味しく食すことも可能。もち米と一緒について、「とちもち」にすることができます。
物語に出てきた食材を使った食べ物を実際に食べてみるのも、読書の楽しみ方の1つかもしれませんね。
おじいさんはある晩、腹痛を起こします。それがきっかけで、臆病者の豆太は夜中に1人で麓まで走り抜けることになるのです。
ここで、ある疑問が浮上します。果たして、このおじいさんの腹痛は本当だったのか。豆太に勇気を持たせるためについた嘘ではないのか。その真相について考察してみましょう。
実際に小学校の授業でこのことを問題として投げかけると、子供たちの意見は分かれるようです。また、ネットなどでも当然意見は分かれるのですが、仮病だと考える人が若干多い様子。子供のころは本当だと考えていたけれど、大人になって読み直してみると仮病だと考えを変える人もいますね。
どちらにせよ、豆太はおじいさんを助けたいというその優しさで、勇気を振り絞って外へ飛び出します。その勇気は、嘘偽りのない本物です。
皆さんはどうでしょうか?実際に本文や挿絵を見て、自分なりの答えを出してみるのも面白いでしょう。
豆太は、自他ともに認める臆病者。しかし彼の父親もおじいさんも、肝の座った人間です。
豆太は、父親もおじいさんも、モチモチの木に灯がともるのを見たことがあるのならば、自分も見てみたいと思うものの 「……それじゃあ、おらは、とってもだめだ……。」と諦めてしまいます。
そんななか、おじいさんにピンチが訪れるのです。彼はおじいさんを助けるため、勇気を振り絞って医者の元へ走ります。
その彼の勇気を讃えるように、モチモチの木が変化して……。
- 著者
- 斎藤 隆介
- 出版日
- 1971-11-21
おじいさんを思い、臆病者の豆太がとった行動。これこそが、作者の伝えたかったことなのではないでしょうか。
真の勇気とは、何か。
夜中に1人でトイレに行けないから弱虫なのではない。真の勇気というのは、優しさの中にこそあるものなのだということが、本作には込められているのです。
果たして、おじいさんの運命は?そして、豆太はどのようになるのでしょうか?その微笑ましいラストは、ぜひご自身でお確かめください。