小説『四畳半神話大系』あらすじから結末までネタバレ紹介!アニメ化の魅力に迫る

更新:2021.12.10

京都のオンボロアパートの四畳半に暮らし、薔薇色とは、ほど遠いキャンパスライフを送る「私」。「こんなはずじゃなかった」と言いますが、果たして本当にそうなのか。違う選択をしたら、違う道筋を辿れていたのか……。 本作は、テレビアニメ化されたことでも有名な森見登美彦の人気小説です。4つの平行世界を通じて描かれる「私」の物語と、それを彩るのキャラクター、怪しさと笑いに満ちた作品の見所をご紹介していきましょう。

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小説『四畳半神話大系』とは?あらすじをネタバレ解説!

森見登美彦の青春小説。2005年に太田出版から、2008年には角川書店から文庫版が刊行されていて、中村佑介による美麗なカバーイラストが印象的です。

2010年には湯浅政明監督によるテレビアニメが、フジテレビのノイタミナ枠で放送。ストーリーや構成の巧みさはもちろん、原作のイメージがそのまま絵になったようなかわいらしいの絵柄や「私」の語り口を再現した演出から、「ノイタミナ史上最高傑作」「神アニメ」として今でも名が挙がるほど。

アジカンのOP『迷子犬と雨のビート』も、相対性理論で有名なやくしまるえつこがヴォーカリストとして参加しているED『神さまのいうとおり』も、それぞれ人気の楽曲です。

原作から数えても13年、アニメから7年半が経過した2018年春には喫茶店「文房具カフェ」とのコラボイベントが実現するなど、根強い人気を誇っています。

著者
森見 登美彦
出版日
2008-03-25

 

主人公「私」は薔薇色のキャンパスライフを夢見て大学(作中で明言はしてませんが京大です)に入学したものの、3回生になっても恋愛経験なし、学業もおぼつかなず友達もロクにいない「くされ大学生」へと落ちぶれています。

本作では4つの短編で、大学入学後の選択によって枝分かれした平行世界の出来事を描いています。つまり短編は同じ時系列の、違う世界での話・パラレルワールドを描いているのです。そのすべてで「私」は、だいたい似通った状況に陥ってしまいます。

どの世界でも「私」は妖怪じみた同輩・小津とともに悪巧みし、振り回され、「責任者はどこか」と我が身を嘆き、占い師の老婆から「コロッセオ」という謎の予言を受け、黒髪の乙女・明石と最終的には恋仲になります。

アニメ版では11話構成に合わせて10通りの平行世界が描かれ、「私」がそれぞれの世界を生きては時間が巻き戻り、また別な平行世界の道筋を歩む、ある種のタイムリープ、ループ物のように描かれていました。

大筋の設定は守りつつもかなり大胆な改変も加えられているため、「原作を読んだからアニメはいいや」で済ませるのはもったいない名作です。


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京都のオンボロアパートの四畳半に暮らし、薔薇色とは、ほど遠いキャンパスライフを送る「私」。「こんなはずじゃなかった」と言いますが、果たして本当にそうなのか。違う選択をしたら、違う道筋を辿れていたのか……。 本作は、テレビアニメ化されたことでも有名な森見登美彦の人気小説です。4つの平行世界を通じて描かれる「私」の物語と、それを彩るのキャラクター、怪しさと笑いに満ちた作品の見所をご紹介していきましょう。

魅力1:登場人物がクセモノ揃い!! 

この作品の登場人物はみんな大変個性豊か、というかクセモノ揃いです。

筆頭の小津(アニメ版CV吉野裕行)は、どの平行世界においても「私」と宿敵兼相棒のような間柄。精力的に悪行に手を染め、「私」をその道に引き込み、樋口景子なる女性を騙って「私」と数ヶ月にわたって文通をおこない、見事に勘違いさせるなど陥れること多数。

「運命の黒い糸で結ばれている」と自称する通り、どの世界でも変わらない腐れ縁から、真のヒロインは彼ではという説もあります。 

「私」の真上の部屋の住人・樋口清太郎(CV藤原啓治)は小津から「師匠」と呼ばれる、ナスのようなしゃくれ顔で常に着流し姿の8回生。

弟子には、自分の部屋の汚れを落とす高級亀の子たわしをはじめ生活用品全般を貢がせたり、2話では弟子入りした「私」に、同期で因縁ある城ヶ崎先輩が大切にしているラブドール・香織さんを盗みに入らせたりしています。

「よくて仙人、悪くて貧乏神」と言われ、時に「縁結びの神」を自称しますが、同作者の作品『夜は短し歩けよ乙女』に登場した際は、本当に超自然的な能力を発揮したりもしています。

著者
森見 登美彦
出版日
2008-12-25

ヒロイン・明石さんにはモデルがいる!?

樋口師匠と同期の歯科衛生士・羽貫さんはエッチな雰囲気のお姉さんで、酔うと他人の顔を舐める奇癖があり、そんな彼女の姿を前にした童貞の「私」は股間に宿っている別人格・ジョニー(CV檜山修之)を抑えるのに苦労する羽目に。

「私」(CV浅沼晋太郎)自身もかなりのひねくれ者で、彼の視点で語られる薔薇色とは程遠いキャンパスライフや、「人間の居住スペースは四畳半が最適」という独自の哲学は面白おかしく、頻繁に大変な目に遭っているはずなのに読んでいて楽しげです。

「私」が思いを寄せる一学年下の黒髪の乙女が明石さん(CV坂本真綾)。「もちぐま」というぬいぐるみが好きだったり、蛾が苦手で触った時は悲鳴をあげたりとかわいい面もありますが、基本は歯に衣着せぬ物言いで恐れられています。

森見登美彦曰く彼女は、友人の妹さんがモデルなのだそう。ニーチェの著書を読破している才女で、「いつ友人宅に遊びに行ってもいないので実際に会ったことはなく、会ってみたいと友人に伝えたら『なんであなたにそんなこと言われなくちゃいけないんですか』と返された」のだとか。

本当に森見作品に出てきそうな人物ですね。

 

魅力2:他の森見登美彦作品とリンクしている?

 

森見作品は京都を舞台にしていることが多いのですが、同じ地名が出てくるだけに留まらず過去作品のキャラクターが再登場するなど、同じ世界観を共有しているらしき作品も珍しくありません。

本作『四畳半神話大系』のキャラクターでいえば2006年の『夜は短し歩けよ乙女』には樋口師匠羽貫が、その外伝作品である『恋迷走の裏路地』には小津が、2007年の『新釈走れメロス』には映画サークル「みそぎ」が登場し、そこに所属する鵜山が、『四畳半神話大系』の城ヶ崎、相島と合わせて三羽烏と呼ばれています。

また 同一人物でこそないのですが、『夜は短し歩けよ乙女』の「古本市の神様」というキャラクターの映画版のデザインはアニメ版の小津にそっくり(原作では美少年の設定)で、声優も同じく吉野裕行です。

 

著者
森見 登美彦
出版日
2010-08-05

 

また、『夜は短し歩けよ乙女』に高利貸しの老人・李白と、千歳屋の若旦那というキャラクターがいるのですが、2010年の『有頂天家族』ではそれぞれ寿老人、大黒という、明言されないものの同一人物であろうキャラクターが登場しています。

『四畳半神話大系』と『夜は短し歩けよ乙女』の世界観が繋がっているので、そうなると『有頂天家族』とも同じ世界ということでしょうか。

『有頂天家族』は人間に化けた狸が京都のあちこちに出没するというファンタジーな世界観なのですが、『四畳半神話大系』でも「私」たちは知らぬ間に狸とすれちがっているのかもしれません。

ちなみに『四畳半王国見聞録』という2011年に出た短編集があり、いかにも『四畳半神話大系』の続編かスピンオフと思われそうなタイトルですが、基本的に内容面での関連はほとんどありません。作者いわく、「本作のテレビアニメ化に便乗しようとした」とのこと。

森見作品は本作以外にもテレビ・劇場アニメ化、コミカライズ、舞台化などメディアミックスが多く、2018年夏には劇場アニメ『ペンギン・ハイウェイ』がヒットを飛ばしました。今後も作品がメディアミックスでより多くの人の目に触れ、新たなリンクが発見されるかもしれません。

 

魅力3:健康食品会社「ほんわか」って?

 

本作はそれぞれ「私」の選択で枝分かれした平行世界を舞台にしていますが、その選択というのは「私」がどこのサークル、団体に所属するかというもの。

1話「四畳半恋ノ邪魔者」

所属した映画サークル「みそぎ」は、8回生の城ヶ崎がサル山の大将として君臨していること以外は割と普通のサークルなのですが、3話4話ではかなり怪しげな組織を舞台にしています。

3話「四畳半甘い生活」

ではソフトボールサークル「ほんわか」に入り、当初ほんわかした雰囲気でソフトボールをやっているだけかと思いきや、宗教団体の下部組織として学生の信者を集めるため、怪しいセミナーを開いていたのでした。

アニメ版では描写がヒートアップしていて、教団は「健康食品会社『ほんわか』」という体裁で詐欺まがいの商法をおこなっているなどやたらと生々しく、原作以上にアングラな空気になっています。 

大学サークルに宗教団体が絡んでいるのは現実でも割とあるようですね。

4話「八十日間四畳半一周」

秘密組織「福猫飯店」に入ります。大学を影で支配する3つの団体からなる秘密結社です。

図書を延滞している学生から力ずくで本を回収していたのが肥大化し、回収のための個人情報収集が諜報機関の域に達した「図書館警察」

単位用のレポートを生産し、「私」のようなぐうたら学生相手に商売をしている「印刷所」

構内の自転車を整理するボランディア団体から肥大化し、一時駐輪スペースを外れただけでも即強制撤去、アニメ版では駐輪スペースを外れた自転車を強制撤去してサイクルショップに売り飛ばしてまでいる「自転車にこやか整理軍」の3つから成ります。

1つでも巨大な権力といえるこの3つの団体が集まって、大学を裏から牛耳っているというマフィアのような様相を呈しているのが「福猫飯店」なのです。

どれもロクなものではないのですが、特に団体に属さず樋口師匠に弟子入りした2話でも散々ロクでもないことをやらされているので、「私」はこういう運命から逃れられないのでしょう。

アニメ版では鳥人間コンテストを目指す「バードマンクラブ」サイクリング同好会「ソレイユ」ヒーローショー同好会などオリジナルのサークルも登場しています。

 

魅力4:猫ラーメンとカステラは実在する奇妙な食べ物!?

 

本作には食事シーンがたびたび登場しますが、なかでも印象深いのは「猫ラーメン」と「カステラ」でしょう。

「猫ラーメンは、猫から出汁を取っているという噂の屋台ラーメンであり、
真偽はともかくとして、その味は無類である。
出没場所をここで明らかにするには何かとさしさわりがあろうと思うので、
細かくは書かない。
しかし下鴨神社の界隈であるとだけ述べておく。」
 (『四畳半神話大系』より引用)

「猫で出汁」が本当だったらちょっと食べるのが躊躇われそうですが、そんな噂があってもなお食べたいという美味しさの裏付けかもしれません。

この猫ラーメンは河原町に実在したはらちゃんラーメンというお店がモデルでしたが、残念ながら2018年9月に閉店してしまったとのこと。ちなみに猫は使っていなかったそうです。

カステラは『京銘菓大極殿本舗』というお店のもので、1885年創業の老舗。予約しないとなかなか買えないほどの人気商品だそうですがネットで取り寄せも可能なので、「私」や樋口師匠に思いを馳せながら頬張ってみてはいかがでしょうか。

 

魅力5:下鴨神社、賀茂大橋など京都での聖地巡りが楽しい!

本作には実在する京都のスポット、あるいはそれをモデルにした場所や建物が数多く登場します。ファンの間ではそれらを尋ねる聖地巡礼旅行が人気。この記事でも「聖地」の一部をご紹介したいと思います。

まず「私」や樋口師匠が住んでいる、幕末の頃に建てられたともいわれるオンボロアパート「下鴨幽水荘」ですが、こちらは京大の学生寮「吉田寮」がモデル。

築100年を越える木造の学生寮は日本最古の学生寮として有名で、原作での「大学生協で案内されて初めて来た時は九龍城に迷い込んだのかと思った」という「私」の形容もあながち冗談ではなさそうです。しかも現役の学生が、未だ寮として使用しています。

ちなみに、以前まで吉田寮は学生でなくとも200円を払うと宿泊可能でした。現在は任意のカンパ制になっているようです。下鴨幽水荘の暮らしをちょっとだけ体験してみたいという方は、チャレンジしてみるのもいいかもしれません。

明石さんと「私」の出会いの場となった「下鴨納涼古本まつり」の会場、また各話で賀茂大橋に襲来する謎の蛾の大群の出現場所とされている「糺の森」、2つのスポットを擁するのが下鴨神社。正式名は賀茂御祖神社といい、京都に数ある寺社のなかでも最古級、ユネスコ世界遺産にも登録された有名な神社です。

『夜は短し歩けよ乙女』にも古本まつりが登場する他、『有頂天家族』では主人公の狸の一族は糺の森に住んでいるなど、本作のみならず森見作品ファンなら、京都を訪れた際はぜひ尋ねておきたいところでしょう。

しかし、本作でもっとも注目のスポットといえば、やはり賀茂大橋でしょう。

自虐的代理戦争の決戦の場であり、本作の印象的なクライマックスがくり広げられた舞台です。アニメのOPでもたびたび登場し、物語序盤、浮かれた学生たちの宴会場になっていた鴨川デルタも橋の北側にあります。

この他、「私」と小津が並んで歩いた哲学の道や、桜の名所としても知られ、アニメ3話で桜が美しく咲き誇っていた蹴上インクラインの桜並木など、やはり京都ですので数多くの観光スポットが登場します。 そもそも大学モノなので、舞台である京都大学も欠かせませんね。

 

魅力6:数々の名言が面白くて深い!迷言も?

「大学三回生の春までの二年間、
実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、
社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、
異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。 
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。」
(『四畳半神話大系』より引用)

 

本作の4つの短編はすべてこの独白(実際はもっと長く続き、「でも、いささか、見るに堪えない。」で結ばれています)に始まり、入学からこれまでを振り返る形で本編がスタートします。

最後まで読んでも「昔はいい子だったのにすっかり非リア充になってしまいました。なんで!?」くらいの内容なのですが、独特の言葉のセンスとリズム感で、この小説の雰囲気を印象づけています。

ほぼ自業自得なのに「責任者はどこか。」と言い出すあたり完全にダメ人間なのですが、でもこう言いたくなるダメさに共感してしまうところもあるのです。

「樋口師匠が「闇鍋」を提案した。
たとえ闇の中であっても鍋から的確に意中の具をつまみだせる技術は、
生き馬の眼を抜くような現代社会を生き延びる際に
必ずや役に立つであろうと言うのであるが、
そんなわけあるか。」
(『四畳半神話大系』より引用)

 

闇鍋が始まることを語る台詞。たしかに「そんなわけあるか」としか言いようがなく、つい笑ってしまいます。

「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。
我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、
我々が持つ不可能性である。」

 「我々の大方の苦悩は、ありうべき別の人生を夢想することから始まる。
自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。
今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。
君がいわゆる薔薇色の学生生活を満喫できるわけがない。
私が保証するからどっしりかまえておれ。」
(上下とも『四畳半神話大系』より引用)

 

自分の現状を嘆く「私」が「もっと別な選択をしていればマシな可能性があったんじゃないか」と樋口師匠に零した際の、樋口師匠の言葉。おそらく作中でただ1度の「師匠」らしいセリフです。

たぶん誰もが共感する「私」の言葉ですが、実際この小説では平行世界が存在することで「他の可能性の世界」を描き、無限の可能性の1つに過ぎない「私」が、他に選びようのない今の自分を肯定するまでのお話を描いています。

樋口師匠の言葉は万人が至りたい境地だと思いますし、彼の自由過ぎる生き方はそれゆえなのかもしれません。

「僕なりの愛ですわい」
「そんな汚いもん、いらんわい」
(『四畳半神話大系』より引用)

 

「責任者はどこか。」と対をなす、短編の〆で交わされる「私」と小津のやり取りです。「私」がどのサークルを選んでも必ずそこにいて悪の道に引きずり込む小津は、間違いなく「私」と「運命の黒い糸で結ばれている」のでしょう。

今ある自分の世界を肯定する物語である本作は、どんな可能性の世界にもついてくる小津のありがたみに気づく物語でもあり、4話で四畳半の世界を彷徨いながら、やがて「私」は彼を「唯一の友人」と認めるようになります。

そして最終4話の結末では、これまでのやり取りが逆転した、なんとも泣ける形でやり取りが交わされるのです。

 

小説『四畳半神話大系』結末をネタバレ!アニメ版との違いも考察

 

小説では4話「四畳半恋ノ邪魔者」、アニメでは10話から11話にかけて、「私」は自分の部屋の四畳半が並行世界で無限に繋がる世界(ドアから出ても窓から出ても床下や天井、壁を破壊してもそこにあるのは別な四畳半)へと迷い込みます。

無限に続く自分の部屋を彷徨い歩いて疲れ果て、「不毛だと思っていた世界のなんと豊穣なことか」と気付かされた「私」。

そこから脱出を果たし、自分の唯一の友人である小津の窮地を救いにいって――というのはアニメも小説も大筋で同じなのですが、しかし実際に比べてみると、そこにはかなり大きな印象のちがいがあります。

描かれた平行世界の数や脱出のきっかけとなるキーアイテムもそうですが、小説で描かれる平行世界があくまで独立しているのに対して、アニメでは1人の「私」が「巻き戻したい」と願ったことで時間がリセットされて選択をやり直してきた、連続したループものとなっているのです。

小説は1~3話の「私」もそれぞれ明石さんと恋仲になっていますが、アニメ版は自分の世界の価値に気づいた「私」がこれまでなら巻き戻っていたはずの先へ踏み出し、トゥルーエンドとして明石さんとの恋や小津との友情に行き着く成長物語に。実に分かりやすくなっています。

 

著者
森見 登美彦
出版日
2008-03-25

 

小説でも、ある短編ではよくわからなかった部分が他の短編で補完されている、という手法が取られているのですが、アニメでは記憶はリセットされても連続した「私」の物語になっているため、これまでの伏線に怒涛の回収がなされ、クライマックスへ至る大きなカタルシスを生み出すことに。

湯浅監督いわく、アニメ版は「リア充にならないラストにしました」とのこと。

「好きだった相手との恋愛がやっと成就する」という話より、
自分を駄目にする悪友でしかないと思っていたやつが、
実はかけがえのない親友であったという話のほうが面白い、
いいオチだと思ったんです。(中略)
脚本の上田さんが言ってたことなんですが……
“リア充”というか、最後に主人公がガッツリ明石さんの方にいっちゃうと
(視聴者が)みんなガッカリしちゃうんじゃないかと。」

実際は明石さんと付き合えてるのは完全にリア充に他ならないのですが、恋愛が成就したこと以上に小津との友情で〆るエンドにしたことで、アニメは友情により大きくフォーカスした内容となったのです。

しかし、小津との友情が強く描かれているのは、小説も同じこと。本作を読めば、友情も恋愛も本当に大事なことは身近に存在するのだという当たり前のことに、ラストの「私」と一緒に気づくことができるかもしれません。

小津を大切な友人であると自覚した「私」は、無事に彼を窮地から救い出すことができるのでしょうか。ぜひ本編でお確かめください。

 

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