加賀乙彦のおすすめ作品5選!精神科医であり小説家

更新:2021.10.29

その重厚で壮大な物語と、リアリティのある作風で人気の加賀乙彦。彼は東大医学部を卒業した精神科医でもあるという一面を持ちます。 そんな加賀乙彦のおすすめ作品をご紹介いたします。

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精神科医という顔も合わせ持つ、作家・加賀乙彦とは?

加賀乙彦(かがおとひこ)は1929年生まれ東京都出身の作家で、1968年にデビューしました。学生時代に戦争を経験しており、中学2年生になる年に100倍の倍率を突破して名古屋陸軍幼年学校へ入学しています。しかし加賀乙彦が在学中に終戦を迎えたため、軍人になることはなく高等学校に進み、東京大学医学部を卒業して精神科医となりました。

拘置所での勤務経験も持ち、そういった特殊な経験が作品のテーマとしても取り上げられています。

1968年に加賀乙彦の代表作でもある『フランドルの冬』の第1章を太宰治賞に応募し、候補作として取り上げられました。それがきっかけとなり、作家としての道を歩んでいくことになります。非常に重厚でリアリティーのある長編作品を書く作家であり、加賀乙彦本人の体験に根差した作品も多くあります。

加賀乙彦の実体験に基づいて書かれたデビュー作『フランドルの冬』

加賀がフランス政府給費留学生として精神病院に勤務していた時の実体験に基づいて書かれた作品が『フランドルの冬』です。第1章のみで応募した太宰治賞で次席となり、加賀乙彦のデビュー作ともなった作品です。

フランドル地方の精神病院に勤務する日本人留学生・コバヤシは、異国人である患者たちと接するうちに、次第に狂気にむしばまれていきます。異国で働くことの孤独感が患者たちの不安と相まって、コバヤシの自己を壊していきます。孤独や不安、愛の不在などを実存的にとらえた作品として、加賀乙彦の作品の中でも、非常に評価の高いものとなっています。

著者
加賀 乙彦
出版日

心に闇を抱くのはコバヤシだけではありません。フランス人であるのに自分が異邦人であるかのように感じるクルトン、コバヤシを愛しているのに疎ましくおもってしまうニコルなど、この作品には様々な闇を抱えた人間が登場します。精神病院という特殊な環境で、彼らが狂気にむしばまれる様がリアリティを以て描かれています。

軍国主義を叩き込まれたエリート少年が終戦にて取った行動とは?『帰らざる夏』

太平洋戦争時から終戦を迎えるところを加賀乙彦が描いた作品が『帰らざる夏』です。主人公は陸軍幼年学校へ入学して訓練を積むエリート少年で、加賀の名古屋陸軍幼年学校での体験が反映されている作品です。

主人公・省治は陸軍幼年学校に入学し、軍国主義を叩き込まれて厳しい訓練を行っていました。陸軍幼年学校は100人に1人の倍率の超難関で、そこに入学した省治はエリート中のエリートです。卒業すれば当然軍人となり日本のために戦うはずでしたが、日本は終戦を迎えてしまいます。天皇の玉音放送を聞いても日本の敗戦を信じられない省治は、己の義に殉じて自害することを決意します。

著者
加賀 乙彦
出版日
1993-08-04

実際に戦争時代を生き、終戦を経験した加賀乙彦だからこそ書ける作品です。今では信じられないことかもしれませんが、戦争時代には国のために命を懸けることが忠義とされたのです。特にこの『帰らざる夏』で描かれている太平洋戦争後期は非常に戦況が悪化し、日本のために死ぬ事が求められた時代でもありました。

日本のために死ねと教えられたのに、その死に場所が1日にして消え去ってしまったことへの戸惑いと憤りはどれほどのものだったでしょうか。特に、省治のような10代の少年たちにとって、絶対であった教えが崩れ去ってしまったことは大きなショックだったでしょう。これは、筆者である加賀乙彦が実際に体験したことでもあります。

陸軍幼年学校の内情も含め、加賀の体験がふんだんに盛り込まれた『帰らざる夏』は、軍国主義教育が終戦によって崩れ去った影響をリアルに、そして静かに描いた作品となっています。

死刑囚が獄中にて考える生と死『宣告』

殺人者であり死刑囚である楠本他家雄が主人公である加賀乙彦の作品が『宣告』です。こちらは日本文学大賞を受賞した作品でもあります。

この作品は加賀乙彦が小菅の東京拘置所に赴任していた際の経験が元になっており、死刑囚の心情や精神状態、実際に死刑が執行される様子などが正確に描かれています。主人公の楠本他家雄のモデルとなったのは、死刑囚の正田昭だそうです。

著者
加賀 乙彦
出版日

作品の中で楠本は毎日死刑の「お迎え」の足音におびえ、それでも人としてのプライドを保っています。その様子をつづる文章は余りにリアルで、しかし生々しさを感じさせないのは加賀の静謐な筆致があってこそでしょう。

ロシアの文豪・ドストエフスキーの作品に『死の家の記録』というものがありますが、『宣告』はその現代日本版としても名高い加賀乙彦の作品です。心理学、カトリック、死刑囚本人の視点など様々なベクトルから洞察された死刑を待つ者の心理を深く知ることができる貴重な作品だと言えるでしょう。

昭和という怒涛の時代を生きる一家の物語『永遠の都』

昭和10年から22年までの東京を舞台とした物語が『永遠の都』です。こちらは全7巻にわたる長編小説なのですが、多様な登場人物と場面展開で飽きることなく深く味わえる加賀乙彦の作品となっています。

外科医・時田利平をはじめとする一族の日々が描かれ、明治・大正から昭和まで移り変わる時代と時田家の世代、目まぐるしく変わる情勢、そして戦争が瑞々しさを以てつづられています。また女性の生き方が丁寧に描かれているのも特徴的で、色恋に関しても登場人物たちを対比させつつ様々な形の恋愛模様を登場させています。

昭和初期の時田一家の様子から物語は始まります。平和な上流階級の日常がリアリティを以て描かれています。利平の娘である初江は夫との間に4人の子供がいますが、夫には満足しておらず第一高等学校に通う生徒の晋助と不倫関係になっています。次女の夏江は一度結婚するも離婚、その後ノモンハンから帰還した菊池透と結婚することになります。しかし菊池はキリスト教信者として迫害を受け、マルクス主義者と混同されてしまい投獄されてしまうのです。

著者
加賀 乙彦
出版日
1997-04-25

このように時田一族とそれにまつわる人々の日々が鮮やかに描かれた加賀乙彦の作品ですが、この作品はそれだけではありません。関東大震災や2.26事件など、日本史上の重大事件の数々についても登場人物の視点から生々しく描写されています。日本史の授業で習ったという人も多いでしょうが、『永遠の都』はそれが現代につながる過去の出来事であり、今を生きる人々にとっても決して無関係なことではないのだと教えてくれます。

戦争による不条理さや人間の精神の脆さなど、重厚なテーマを扱うことの多かった加賀乙彦ですが、こちらの作品は時代や世代の移り変わりや人間模様を純粋に楽しめる要素とともに、加賀らしい重厚さも持ち合わせた作品です。

実在したキリシタンの旅路を描く『殉教者』

江戸時代初期に実在したキリシタン・ペトロ岐部カスイの旅の記録を描いた作品が加賀乙彦の『殉教者』です。こちらの作品はなんと構想に30年かかったそうで、加賀自身も実際に巡礼の旅に行った末に書き上げた大作となっています。

ペトロ岐部カスイは江戸時代初期にローマへ渡って司祭となった人物で、日本人として初めて聖地エルサレムを訪問するなど世界をわたり歩いたことでも知られ、「日本のマルコ・ポーロ」とまで呼ばれる人物です。当時日本ではキリシタンへの迫害が激しく、日本にいたキリシタンは国外追放されていました。そんな中彼は追放令が出てから半年もの間日本にとどまって宣教を続けたと言われています。

そしてローマにわたった後司祭としての修練を経て、キリシタン弾圧が過熱する日本に危険も顧みず帰国します。捕えられてからもどんな拷問を受けようが決して棄教せず、自らが死ぬまで信徒たちを励まし続けたのだそうです。

著者
加賀 乙彦
出版日
2016-04-26

加賀乙彦も遠藤周作の影響を受けてカトリックの洗礼を受けており、敬虔なクリスチャンであることでも知られています。加賀の他の著作にもカトリックの影響を受けた部分が随所に見られます。

加賀はカトリックの洗礼を受けた当時からペトロ岐部カスイを知っており、彼の立場に立って聖地を巡礼することでキリスト教を理解するようになったと述べています。自らの信仰を深めてくれた存在だからこそ半端なものは書けなかったのかもしれません。危険を顧みず、自分の命が尽きるまで信徒の為に尽くしつづけたペトロ岐部カスイの生き方は、「人の役に立ちたい」と常に第一線で活躍する加賀に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

30年という長い歳月を以てしてようやく書き上げた『殉教者』は、加賀のペトロ岐部カスイへの敬意と、彼の信仰心が詰まった作品となっています。

精神科医であり、敬虔なクリスチャンであり、小説家である加賀乙彦。様々な一面を持つ彼の作品は、彼の人生そのものが詰め込まれています。ぜひ作品を読んで、加賀乙彦の貴重な体験を共有してみてください。

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