「人の目を気にしない生活」を選んだがゆえに「人の目が異様に気になる」。 「ユニークな人になりたい」けど「常識はずれな人にはなりたくない」。 「普通なんてない」といいながら「平均が気になる」。 変わった人だねと言われることに喜びを感じつつも、その裏の裏まで気になってしまう……自意識過剰を順調に育てて来た筆者が送る、「自分との戦い」ならぬ「自分との痴話喧嘩」に悩むあなたにおすすめの新書、ご紹介します。
元号が変わるとあって、「世代」みたいな話が話題にのぼりやすい今日この頃。
私は一応「ゆとり世代」ではあるのだけれど、中学受験対策が音を立てるほどバリッバリな私立小学校に行かせてもらっていたため、また中高も「自由な校風」であることをいいことに、クレイジーなまでにみんな活躍したがりな女性に囲まれてそだったために、「ゆ」の字も感じたことはなかった。
自分なりに、ゆとり、さとりと来て次は何かなと考えると、やはり高齢化社会でもあるし「みとり世代」とか言えるのかなと思ってググったら同じようなことを考えている人がいっぱいいた。
こんな連載をやっていたり、仕事で山ほど本を読む機会があることもあって、これまでの読書遍歴みたいなのを振り返る機会が多いのだけれど、小学校時代『エルマーの冒険』や『おおどろぼうホッツェンプロッツ』『やかまし村の子どもたち』を読んで感じていた「異国の匂い」や、中高時代『薬指の標本』や『グミ・チョコレート・パイン』『私の男』を読んで感じていた「なんだか心の奥以外のところの熱」に出会う機会が最近減って来たように思う。
(『薬指の標本』は床に散らばったタイプライターの文字を拾う描写が素敵)
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 1997-12-24
そもそも「こんな気持ち初めてだわ」ってことがなくなってきた。
人生の折り返しなんていうと、親や熱血系の諸年配の方々に軽く説教をくらいそうなのだけれど、むしろ今まで集めてきたサンプルを追体験して楽しむ自分がいることに気付かされる。
美容室に行けばシャワーを当てられる前に腰が浮くような感じがするように、「この本を読めば気持ちのこの辺りがぞわぞわ波立ってくる感じがする」というか…
亡くなった祖母が、息を引き取る3年前くらいから「家にある本が全部新しく買って来た本みたいな気持ちで読めるのよ」と、聞いているこっちの胸が苦しくなるようなことをよく言っていたけれど、その時が来るまでは、新たな感情体験を探しつつ、集めたサンプルの追体験を楽しんでいたいと思う。
なんだかしんみりした感じになってしまったけれど、そういう意味では新しい感情こそ湧きおこらなかったけれど、これぞ「怒涛」と呼ぶにふさわしい、そしてタイトルとのギャップが面白い新書があったのでご紹介したい。
- 著者
- 諸富 祥彦
- 出版日
- 1997-09-19
すごくざっくり、そして誤解を恐れずにいうと、前半「じじいからみた最近の若者」後半「スピリチュアル的解決法」みたいな論の持っていきかたで、ジェットコースターみたいな、否、パンダの背中に乗ってコイン入れて動かすやつに乗ってたらメリーゴーランド乗ってたみたいな本である。
アマゾンのレビューをみていても、なんとなくみんな「いい本ではあるけれど」と言いつつ面食らっているような感想がある。
前半から後半にかけた急展開の序章が面白いのでご紹介したい。
とはいえ、今ページを見返してみると第2章なので序盤っちゃ序盤なのだが、段落のタイトルが
「ルーズソックス」という生きる知恵
である。
昨今の若者は「ルーズソックス」をはじめとするだらしない格好をすることで、「脱力した生き方」をして、「ありふれた可能性」に満ちた平和な世の中で刺激を感じずとも行きていけるように順応しているのだそうだ。
本当に?
「ルーズソックス」の見た目はさておき、そんな「生きる」に結びつけて、身にまとっているファッションなのだろうか。
たまごっちやプリクラなど現代文化を総括した一文がこちらである。
これらはいずれも、「輝ける未来」を絶たれた「果てしない日常」のなかで、友だちとの「ささやかな幸せ」を享受するのを可能にしてくれる大切な小道具なのである。
え、そんなこと考えてプリクラ撮ってます?
最近撮ったのなんて、酔っ払った勢いですけどそれって「ささやかな幸せ」を享受するためだったの?
翌日、台所の壁に頭を打ち付けたくなる羞恥心くらいしかのこりませんでしたけどね、ええ。
後半の熱血スピリチュアルな雰囲気もあいまって、なんだか小倉智昭氏の着ぐるみを来た松岡修造氏を見ているような一冊である。
最近「むなしさ」を感じて、なにか新しい「人間」や考え方を目の当たりにしてみたいなら、ぜひ読んでみてほしい。