『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、それ以来何度も芥川賞候補となっている山崎ナオコーラ。心理描写が光る彼女の作品に、多くのファンがいます。今回は、そんな山崎ナオコーラの作品に初めて触れようという方におすすめしたい5作品をご紹介しましょう。
1978年に福岡県北九州市で生まれ、埼玉県で育った山崎ナオコーラ。2004年、会社勤めの傍ら執筆した『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞を受賞し、デビューしました。
特徴的なペンネームは、コーラ好きであることに由来するそうです。オフィシャルサイトの名前も「微炭酸ニッキ」というユーモラスなもの。
デビュー以来、多くの作品が芥川賞を始めとする、いくつかの文学賞候補となっている実力派で、登場人物の心理描写を高く評価する読者も数多くいます。
彼女の目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」というものです。一見やさしそうでありながら、実は困難なこの目標に、文章を綴ることへの山崎ナオコーラの意欲が見てとれるように思います。
作品には、「人と人との距離」や「なにかが終わること」といった共通のモチーフがしばしば登場します。文章は平易でありながらも、読んでいて不意にハッとさせられることがあります。異なった考えの人間や、大勢に馴染めない人間を描き、様々な価値観を提示する山崎ナオコーラの筆は、社会に生きる人々への穏やかで温かい眼差しに縁取られたものといえるでしょう。
19歳の「オレ」・磯貝みるめと、39歳のユリとの恋愛を透明感ある文体で綴った山崎ナオコーラのデビュー作です。文庫版には短編「虫歯と優しさ」も収録されています。
少年と、年上の女性との一つの恋の終りを描く表題作は、タイトルから受けるであろう印象ほど尖ったものではなく、むしろふんわりとした柔らかさと、さっぱりとした切なさを併せ持った作品です。
- 著者
- 山崎 ナオコーラ
- 出版日
- 2006-10-05
美術の専門学校に通う「オレ」は、講師をしていたユリから「私、君のこと好きなんだよ」と言われます。その後、何度かユリから絵のモデルを頼まれ、ほどなくして身体を重ねます。それは、「恋に落ちた」というにはあまりに淡々としていて、殊更に二人の付き合いをドラマチックな恋愛に仕立て上げようという作者の意識は感じられません。
それでも「オレ」は、20歳年上のユリに惹かれていきます。目は一重で顔は丸顔、薄い唇はいつもカサカサという、本来の好みとはかけ離れているはずのユリに恋をするのです。「オレ」はそこで理解します。形に好みなどなく、好きになるとその形に心が食い込むのだと。
終わりゆく恋の切なさを追ってゆくとき、ふと振り返ってみると自分の恋がどんなものだったかわかる――これはきっと、そんなお話です。
芥川賞にもノミネートされた本作は、40代にして余命僅かな妻と、彼女を介護する夫の日々を描きます。死にゆく妻を前に、夫は様々な葛藤に囚われます。重そうな題材を扱うわりに、作者の淡々とした筆の運びは健在です。
- 著者
- 山崎 ナオコーラ
- 出版日
- 2016-07-11
インタビューで、作者は「コーヒーを飲むのと同じくらいの軽さで、人が死ぬような話を書きたいと思いました」と語ったといいます。「人の死は重いものだ」と思っていた自分にとっては衝撃的でした。
もちろん、人はいつか死にゆく存在です。その死は重くもあり、軽くもある。けれども、そこに解釈や物語性を付与するのは、いつだって生きている人間です。山崎ナオコーラが描こうとしたのは、殊更に重くも軽くも演出しようとしない、当事者や近親者にとっての「死」なのではないでしょうか。
作中で、他者からの物語の押し付けに、語り手である夫が苛立つくだりがあります。様々な価値観の存在を肯定する作者だからこそ、物語、すなわち価値観の押し付けに反発を抱いてしまうのではないか、と思います。
気取りのない死の軽さを描いてみせた本作は、今まさに介護に直面している人や、死は重いと思い込む人にこそ読んでもらいたい作品です。
大学のマンドリンサークルに所属する四年生の小笠原は、マンドリンの練習に打ち込み、技量もそれなりにある反面、協調性に欠けるため、役職を与えられずにいます。就職活動に代表される自分の未来にも、サークル内の人間関係にも、興味を持たない小笠原は、同学年でサークルメンバーでもある田中に恋をしています。これは、そんな小笠原の痛々しくも鮮やかな青春の日々を綴ったお話です。
- 著者
- 山崎 ナオコーラ
- 出版日
- 2011-10-14
作中で小笠原は、終わりの感覚が分からない、と語ります。音楽を聴いていてもセックスをしていても、おそらくは人間関係においても。青春というのは、それ自体が終わらない円環のようなもので、サークル活動は、その象徴でもあるのかも知れません。
マンドリンに打ち込んでみたり、友達ごっこや思い出作りに興じているように見えるサークルメンバーを軽蔑してみたり、就職活動や卒業演奏に際して妥協してみたりと、小笠原の行動はふらふらしています。彼の一貫性のなさ……というより、なにかを貫けない「ままならなさ」も、そのことに傷つく繊細さも、一つの青春のあり方なのだろうと頷かされます。
終わりをそれとなく意識しながらも終われないでいる人たちに、読んでほしい一作です。
本作では、以下の6篇が収録されます。
・マレーシアのクアラルンプールに住む68歳の老夫婦を描いた「慧眼」
・パリへ旅する22歳の女子大生とその3人の男友達を描く「スカートのすそをふんで歩く女」
・32歳の会社員が上海の取引先へ赴く「邂逅」
・東京の17歳と18歳の高校生カップルの話「膨張する話」
・42歳の独身男性と同い年の子持ちの幼馴染がニューヨーク旅行をする表題作「男と点と線」
・28歳の小説家が同性の友だちと最果ての町ウシュアイアへ飛ぶ「物語の完結」
並べてみるとわかるように、各短篇とも舞台が世界中に散らばっていて、さながら旅行記の様相を呈しています。読み終えると、旅をしたような気持ちになれること請け合いです。
- 著者
- 山崎 ナオコーラ
- 出版日
- 2012-02-27
登場人物の年齢も舞台の場所もバラバラな6篇ですが、表題作の中で語り手の宇都宮惣次郎は「自分とものすごく違う人というのは、この世に存在しない」ことを実感します。
本短篇集が示すことの一つは、人と人との出会いは、どんなに異なっているように思えても、案外似通っているのではないか、ということではないでしょうか。差異が示す同一性のようなものが、作品を通して浮かび上がるように感じます。
出会いがふと恋しくなった時、傍らにあると元気の出る一冊です。
著者初のエッセイ集です。エッセイを集めた第Ⅰ章の「指先からソーダ」、書評・解説を収録した第Ⅱ章の「アイスカフェモカショートサイズ」、その他受賞の言葉などを収めた第三章の「硬くて透明な飴」からなります。
- 著者
- 山崎 ナオコーラ
- 出版日
- 2010-08-04
学生時代の話や子供の頃の話、人との出会い、あるいは恋愛の話と、小説作品と照らし合わせて読むことで、作者の体験や思考が、どのように作品に反映されているかを知ることができます。
エッセイ中に「あきらめるのが好き」という作品があります。「あきらめ」という後ろ向きに感じられるテーマが、なにかキラリと光るもののように扱われています。個人的には、学生時代、提出日に追われ、不本意ながらも完成させたレポートを思い出しました。あきらめて、だけど生きてゆく、前に進む。単なるポジティブさだけでは括れない前向きさが、そこにはあるような気がします。
指先からシュワシュワと弾けるソーダは、キーボードを打ち、筆を動かす、作者自身の思考の泡をイメージしたのでしょうか。読了後はソーダ水を飲み干したときのような爽やかな気分を味わえる一冊です。
気取らない文体で紡がれる山崎ナオコーラの作品は、文章に引っ張られることなく、テーマに向き合える物語です。世の中の価値観や閉塞感に苦しんでいる人は、手に取ってみてください。優しいだけではないけれど、温かい眼差しが確かに向けられています。