フランスの文学賞「ドゥ・マゴ賞」の精神を受け継ぎ、先進性と独創性にあふれる新しい才能を世に出すことを目的とした「ドゥマゴ文学賞」。後に大活躍することになる作家のデビュー作が受賞することも多く、注目の賞だといえるでしょう。この記事では、歴代受賞作のなかから特におすすめの作品をご紹介していきます。
東急グループが運営する大型複合施設「Bunkamura」が主催する「ドゥマゴ文学賞」。フランス文学がお好きな方なら、同じ名前の文学賞がフランスにあることをご存知かと思います。
フランス版「ドゥ・マゴ賞」の創始者は、パリにあるカフェ「ドゥ・マゴ」の常連客だった画家や作家、ジャーナリストたちでした。当時から権威のあった「ゴンクール賞」に対抗し、どこの派閥にも属さない自分たちで、アバンギャルドな精神に満ちた若い作家に賞を送ろうというコンセプトのもと作られたそうです。
今回ご紹介する「ドゥマゴ文学賞」は、そんな「ドゥ・マゴ賞」の精神を受け継ぎ「先進性と独創性」のある新しい才能を発掘することを目的に、1990年に日本で創設されました。
対象となる作品は、前年7月1日から当年7月31日までに発表された日本語の文学。興味深いのは、選考委員がたったひとりだというところでしょう。任期は1年間で、その年の選考委員が受賞作を決定します。毎年バラエティに富み、既成の概念にとらわれることのない作品が発掘され、読者を楽しませてくれているのです。
2018年に「ドゥマゴ文学賞」を受賞した九螺ささら(くらささら)のデビュー作です。「体と心」「魔法」など84のテーマそれぞれに、短歌、自己解説、短歌と三段階の構成で綴られています。
九螺ささらは、2009年から独学で短歌の作成を始めたそう。本書は従来の歌集とも随筆とも異なり、同一テーマの2つの短歌の間にエッセイのような文章を入れ込むことで、起承転結をつけるという手法をとっています。
テーマごとにひとつの完結した物語に仕上げ、チャレンジ精神あふれる作品として賞賛を受けました。
- 著者
- 九螺ささら
- 出版日
- 2018-06-13
「読み進むうちに、慣れ親しんできた言葉が別の相貌をまとい、ふだん使っていない頭の部位がマッサージされるような不思議な感興がわきおこる」(「ドゥマゴ文学賞」選評より引用)
84のテーマはバラエティに富んでいて、同心円やゲシュタルト崩壊、アナグラム、質量保存の法則など短歌のテーマとしては想定外のものも含まれています。また黒柳徹子や岡本太郎など個人に焦点をあてたものがあるのも興味深いでしょう。
九螺ささらが何を見て、何を思い生きているのかが体現された一冊。言葉の力を強く感じられます。新しい読書体験を求めている方にもおすすめです。
時は2033年。宇宙飛行士の佐野明日人は、有人宇宙船「DAWN」で人類初の火星探査に成功し、ヒーローとなっていました。
しかし、実は火星にてある事件が起きていたのです。そして消し去られたはずのその事件が、アメリカ大統領選挙を左右する事態に発展していき……。
- 著者
- 平野 啓一郎
- 出版日
- 2012-05-15
2009年に「ドゥマゴ文学賞」を受賞した平野啓一郎の作品です。
「真のエンターテイメントには何よりも驚きがあり、どんでん返しがある読者を安心させる物よりは翻弄する物の方が魅力がある。また、読者は不安を通じて、作者からのメッセージを受け取る。『ドーン』にはそれらの要素が盛り込まれていることはいうまでもないが、この作品の最大の魅力は、作者のまなざしの射程の長さにある」(「ドゥマゴ文学賞」選評より引用)
物語には未来的なテクノロジーが舞台装置として散りばめられていますが、描いているのは今も昔も、そして未来も変わらないであろう「人間」そのものです。なかでも本書の根幹をなしているのが、「ディヴィジュアル(分人主義)」という概念です。
私たちはさまざまな人との関わりのなかで生きていますが、家族や恋人、友人など誰に対しても同じ「自分」を見せているわけではありません。相手に応じて異なる自分がいます。作者の平野は、「自分」はひとつではなく複数存在し、分けることができない「Individual(個人)」と対比させて「分人」と呼んでいるのです。
宇宙という壮大なテーマと、「ディヴィジュアル」という個のテーマをうまく融合した、密度の濃い作品だといえるでしょう。
1960年。主人公の志摩は、父親の仕事の都合で、チェコのプラハにあるソビエト学校に通っていました。そこで舞踊を教えてくれているオリガ・モリソヴナという女性教師に魅了されます。彼女の踊りは天才的で、しかしその行動には理解できない部分も多く、謎に包まれた女性でした。
父親の転勤にともない、志摩も日本に帰国。そして30数年が経ち、子育ても終えた彼女は、ソ連が崩壊した後のモスクワへ旅行をしようと決めるのです。
かつての友人たちに会いに、そしてオリガ・モリソヴナの謎めいた過去を知るために……。
- 著者
- 米原 万里
- 出版日
- 2005-10-20
2003年に「ドゥマゴ文学賞」を受賞した米原万里の作品です。米原はロシア語通訳の第一人者でもあり、実際に9歳から14歳までの5年間、プラハのソビエト学校に通った経験があります。
「つまりこれはある天才的な踊り子の数奇な運命を辿ると同時に、ソ連という実に奇妙な国の実態を描く小説であって、この二重性が実におもしろい。たてまえと本音の間が遙かに遠い「反語法」的な社会であり、主人公は一国の社会全体が見える要の位置に立っています」(「ドゥマゴ文学賞」選評より引用)
志摩が少女時代を過ごした1960年代のチェコ、彼女が大人になった1990年代のソビエト崩壊後のモスクワ、そして1930年代のスターリン時代のソビエトという3つの舞台で物語が展開されます。読者は、オリガ・モリソヴナという女性の謎を追いながら、ソ連という国家の過酷な歴史を目の当たりにすることになるのです。
シンプルながら力強い文章が魅力的。体制に翻弄されながらも自分を見失わずに生きる人の姿が描かれた一冊です。
表題作「神様」の登場人物は「わたし」と「くま」だけ。わたしは、雄の成熟したくまに誘われて散歩に出かけます。河原で捕った魚を干物にしたり、弁当を食べたり、昼寝をしたり……。
そのほか梨を食べる3匹の小さなものに出会う「夏休み」、河童に声をかけられる「河童玉」、人魚を預かる「離さない」などちょっと不思議な9つの物語が収録されています。
- 著者
- 川上弘美
- 出版日
- 2001-10-01
1999年に「ドゥマゴ文学賞」を受賞した川上弘美の作品。表題作の「神様」は彼女のデビュー作でもあります。
「この人の文章からは、いつも音楽が聞こえる。それは、とても素敵なことだ。「離さない」はフォーレかもしれないし、「河童玉」の夢の中で近づいたり遠のいたりしているのはべルリオーズかもしれない。文中の《愛恋の病》などというふざけたフレーズには、「幻想交響曲」が意外に似合ったりするのだから、文学と音楽は、男と女みたいで面白い。こうした音のある文章に、私は久しぶりに出会ったような気がする」(「ドゥマゴ文学賞」選評より引用)
全体的に幻想小説のようでもあり、夢の中の世界のようでもあります。描かれているのは日常なのですが、そのなかに人間と同じように、あたかも当たり前にくまや河童が登場するのです。彼らはみなかわいらしく描かれていますが、どこか底知れない奇怪さをはらみ、物語に色を添えています。
空想の世界に紛れ込んだ気分にさせてくれる一冊です。
主人公の楠木は、元映画俳優。働きたくなくなったので仕事を辞めて自堕落な生活を送っていたところ、妻に家を出ていかれてしまいました。
ひとりきりの家に転がっている15センチほどの金属製の大黒が邪魔で、捨てようとするのですが、いざ捨てようとするとどうしてもうまくいきません。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
1997年に「ドゥマゴ文学賞」を受賞した町田康のデビュー作です。「野間文芸新人賞」も受賞し、「芥川賞」や「三島由紀夫賞」にもノミネートされました。
「この作品が芥川賞候補になった時には、軽い饒舌体イコール下品という短絡も含めてずいぶん無理解な選評が出たと記憶しています。(中略)前記芥川賞の選評に対する反撥もあり、これを越す作品が現れない限りはぜひともこの作品にドゥマゴ文学賞をと心に決めていました」(「ドゥマゴ文学賞」選評より引用)
主人公の楠木は、骨太の精神と確固たる意志のもと、いい加減な生活をしています。物語のなかで大きな変化が起こるわけではなく、特段の成長もしません。いわゆるダメ人間で空回りが多く、災難続き……しかし彼はそのすべてを受け入れていくのです。
時にストーリーを乗り越えてしまいそうなほどリズミカルな文章が、ぐいぐいと読者を引っ張り、楠木と大黒を愛嬌たっぷりに描いています。最後には、タイトルの『くっすん大黒』の意味も明かされ、不思議と充実した読後感を味わえる作品です。