本作は、ベストセラー作家吉田修一が、実際に起きた事件から着想を得て書き下ろした短編集です。ここでは、『犯罪小説集』から、映画『楽園』の原作となった2作品を含む短編3作品を紹介します。一部ネタバレを含みますので、ご注意ください。
ベストセラーを連発している吉田修一の手によって書かれた『犯罪小説集』。
注目すべきは、収録された5つの短編小説すべてが、昭和・平成を騒がした誘拐、連続殺人、不審死など実際の有名事件をもとにしている点です。事件を時系列に沿ってなぞるのではなく、人の心の弱さや集団心理の怖さに迫ることで、人が罪を犯す理由を鮮やかに浮かび上がらせます。
- 著者
- 吉田 修一
- 出版日
- 2018-11-22
本作に収められた5作のうち「青田Y字路」(あおたのわいじろ)と「万屋善次郎」(よろずやぜんじろう)をミックスした映画『楽園』が2019年10月18日に公開されます。主演は綾野剛が務め、杉咲花、佐藤浩市らが脇を固めます。
監督を務める瀬々敬久によれば、原作の魅力を「犯罪をめぐって、全員が何かを求めて、生きているように見える点」だとして、映画のタイトルを『楽園』に決めたそうです。
これまで『悪人』『怒り』など、映像化されるたびに大ヒット映画となった著者の作品だけに、今回も期待度大です。
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本作の著者・吉田修一は1968年長崎市出身。1997年、文學界新人賞を受賞した『最後の息子』で小説家デビューを果たしました。
純文学からエンタテインメント小説まで作風は幅広く、芥川賞を受賞した『パーク・ライフ』のような透明感あふれる青春小説や、犯罪事件にかかわる人物を緻密に描いた『悪人』など、どのジャンルもハズレなしといわれます。
- 著者
- 吉田 修一
- 出版日
- 2018-07-06
『パレード』で山本周五郎賞、『横道世之介』では柴田錬三郎賞など、受賞歴も華やか。本作より以前に執筆された『怒り』や『太陽は動かない』においても、実際の事件に着想を得た作品の面白さに定評があります。
著者の作品の多くは、人そのものにスポットを当て、人間模様を描くことに重きが置かれているようです。登場人物の行動やものの考え方、影響を与え合う関係性などを通じて、正直さ、正義、悪意、生きることの意味などを考えさせられます。
本作のモデルになった事件は、誘拐、不審死、背任、強盗殺人などさまざまです。その中には、未解決のものもあります。いずれの短編も、謎解きや犯人捜しの面白さではなく、事件にかかわる人々や人間関係の変化を描くことにポイントが置かれています。
犯罪を犯すことになる当人だけでなく、集落の住人であったり記者であったり、視点を変えながら話が進みます。そのため、現場の空気を間近で吸っているような重い気分や、事件の発生を防げないじりじりした感覚など、特異な臨場感を味わわせられるようです。
ひとつひとつの事件に関連性はありません。ただ、妬み心であったり、ゆがんだコミュニティの関係であったり、ちょっとしたボタンの掛け違いがやがて取り返しのつかない残忍な事件に発展しているのは本作の特徴でもあります。
ワイドショーで日々取り上げられる凶悪事件やトラブルに通じる、社会が抱える病理的なものを感じられるのではないでしょうか。
恐怖、虚脱、救い……、強烈な印象を残す各作品の秀逸なエンディングにも注目です。
映画『楽園』の原作となった一作です。大きな一本杉のあるY字路。物語は、その近くの神社で開かれた祭りから始まります。
ヤクザ者にもひるまない、祭りのもめごとの仲裁役になるような初老の男と、おせっかい焼きで明るい、その妻。偽ブランド品を売るアジア系の母を手伝う寡黙な青年など、さまざまな視点で、コミュニティの人間関係が描かれます。
その祭りから2週間ほどたったある日、唐突に事件は起こります。Y字路で友だちと別れたまま、ある小学生の女の子が行方知れずになったのです。必死の捜索もむなしく、Y字路の用水路で女の子の赤いランドセルだけが見つかります。
それから10年。
再び、同じY字路で小学生の女の子が姿を消します。最初の事件のときに犯人ではないかと疑われた、バッタもの売りの息子が怪しいと声が上がります。正確な証拠はないまま、青年は疑われます。小学生を捜索する人々の行動は、正義感からやがて、怒りに変わり、しだいに殺気に満ちたものになっていきます。
青年は無事、無実を証明することができるのでしょうか……。
本作モデルになったのは、1979年から96年にかけて起きた「北関東連続幼女誘拐殺人事件」ではないかといわれています。実際の事件も未解決のまま。
「青田Y字路」では、周囲によって犯罪がつくられていく、集団心理の怖さを感じることができるでしょう。後味の悪い結末、謎めいたラストに向かって物語は突き進みます。
場末のスナックで起きた保険金殺人。モデルは、2007年から2009年にかけて発生した「首都圏連続不審死事件」だと考えられます。
本作の主人公は、保険金詐欺を行った犯人の女ではなく、彼女を小学3年生の時から知る、その同級生の女性です。年齢はともに48歳。
主人公は、社交的で運動神経もよく皆に人気がありました。対照的に、中学生の時の記憶では、犯人の女は、地味でどんくさかったはず。
弁護士の夫と、大学生の息子とともに平穏な日常を過ごすものの、それだけでは幸福感を得られない主人公は、何かに憑かれたように犯人の女の情報を、元同級生たちのSNSで調べます。さらには週刊誌の記事をあさり、犯罪に至るまでの人生を追うことに。
そこから明らかになるのは、中学時代のださい彼女からは想像できない、大勢の男の影、そしてふしだらな関係……。
心が高ぶる主人公は、やがて犯罪の現場となった町に自ら足を運ぶまでに執着していきます。自分は勝ち組のはずではなかったのか。主人公が思い描く犯人像の変化を通して、普通の幸福とは何かを浮かび上がらせる作者の鮮やかな筆致に惹き込まれる作品です。
映画『楽園』の原作となった一作です。
九州の限界集落で起きた大量殺人。モデルは「山口連続殺人放火事件」と考えられます。実際の事件は、2013年山口県のとある集落で、60代男性が近隣に暮らす高齢者5人を殺害したとされる、殺人・放火事件です。
- 著者
- 吉田 修一
- 出版日
- 2018-11-22
老いた親の介護のため60歳手前で戻ってきた男は、ひと回りもふた回りも年上の住民ばかりのこの村では、力仕事など何でも頼める都合のよい存在でした。
そして、この男が考える村おこしのアイデアは、この限界集落に希望をもたらすはずでした。しかしそれは、ちょっとの勘違いや間の悪さ、妬み心などによって村の中で衝突が生まれてしまいました。一度こじれた人間関係は、やがて残忍な事件として爆発することに。
田舎の濃い人間関係の下では、集団心理は恐ろしいと思わせる作品です。
主人公の男は、ある村人とのちょっとのスレ違いから、村八分どころか村十分のような立場に追い込まれることに。
万屋善次郎では、話の視点が周囲の村人たちに移っていくため、主人公男の考えていることがわからず、不気味さばかりが募っていきます。そしてどんどん重くなる村の空気……。凶行の末の、ぞっとさせられる、ラスト数行。最後まで見逃せないはずです 。
人はなぜ罪をおかすのか。今回は、弱さ、したたかさ、ずるさなど、だれもが抱え苦しむものをリアルに描く、吉田修一の『犯罪小説集』を紹介しました。