誰もがいずれ迎える「死」。しかし経験者の声を聞くことはできません。だからこそ抱くイメージの個人差も大きく、これまで多くの作家が作品のテーマに取り上げてきました。この記事では死をテーマにした小説のなかでも特におすすめのものを紹介していきます。
主人公は、刑務官の「僕」。児童養護施設で育ちました。担当している山井という男は、18歳の時に強姦目的で女性とその夫を殺した未決囚です。控訴期限は1週間後、過ぎれば彼には死刑が確定します。
僕は山井と接するうちに、どうしても自分と似た何かを感じずにはいられませんでした。自分の母親を想像のなかで殺したこと、自殺をした友人のこと、施設長の言葉……僕の抱えるさまざまな思いがよみがえります。
- 著者
- 中村 文則
- 出版日
- 2012-02-17
2009年に刊行された中村文則の作品です。中村は2005年に『土の中の子供』で「芥川賞」も受賞しています。
主人公の僕は、自分のなかで抑えきれない衝動を何度も感じながらも、理性で抑え込んで生きてきました。それは、施設長が彼にたくさんの言葉を送ってくれたから。一方の罪を犯した山井は、世の中を卑下することで自分の心を守っている人間です。
人間は誰しも、苦悩を抱えながら生きています。何かの拍子に、一線を超えてしまうかもしれない不安定さや、世の中に対する絶望を、刑務官と囚人の交流のなかで見事に描いた作品だといえるでしょう。死刑という「死」をテーマにして、どのように生きるべきなのかを考えさせてくれる一冊です。
老境に差し掛かった主人公のもとに、急逝した友人からの遺贈として1枚の絵地図が届きました。そこに描かれていたのは野川の散歩道で、端のほうでは、大人が子どもの手を引いて歩いています。
その絵を見た主人公の意識には、大空襲に襲われたあの日のことや、母親に手を引かれて歩いた荒川の土手などさまざまな風景が浮かびあがりました。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
- 2007-08-11
「芥川賞」の選考委員を長年務めた文学界の重鎮、古井由吉の作品です。2004年に刊行されました。
老いた主人公の意識と現実の境界線があいまいになり、時系列もバラバラ。実際に体験したことなのか、幻想なのか、誰の体験なのか、誰の回想なのかがしだいにわからなくなっていくのです。まるで無重力空間にいるかのように、静かに意識が浮遊している感覚を味わえます。
本書で描かれる死は、けっして生の逃避先ではなく、はたまた別世界にあるものでもありません。むしろ生と同じ次元にあり、生と死がひと続きであることを物語をとおして読者に教えてくれているのです。
物事の濃淡を表現できる、日本語の美しさを実感できるのも魅力的。精神の深い深いところを書く古井文学のなかでは比較的読みやすく、おすすめです。
早くに両親を亡くした主人公のみかげ。祖母と2人で暮らしていましたが、祖母が亡くなりとうとうひとりぼっちになってしまいました。
そんな時、同じ大学に通う雄一から声を掛けられます。彼は、祖母の行きつけだった花屋でアルバイトをしているようで、オカマの父親と暮らしているそう。そしてみかげは、彼の家に居候をすることになるのです。 雄一の家のキッチンで眠り、彼らの優しさに触れながら、少しずつ祖母の死を受け入れていきます。
- 著者
- 吉本 ばなな
- 出版日
1988年に刊行された吉本ばななの代表作です。
唯一の身内の突然の死に絶望し、激しい喪失感を覚えるみかげ。それでも日々は過ぎていくし、ご飯を食べなければいけないし、眠らなければいけません。雄一親子とともに日常を取り戻していく様子が、あたたかくも鋭い文章でつづられていきます。
誰かが死ぬということは、とても辛いし悲しいし、納得がいかないこと。それでも世界は続いていきます。死を乗り越えさせてくれるのは愛だと教えてくれる、多くの人の救いになる物語です。
ある日舞踏会に出かけた主人公のウェルテル。シャルロッテという娘に恋をします。その美しさに夢中になり、家族も含めて親しくなっていきますが、やがて彼女の婚約者が現れました。耐えきれなくなったウェルテルは、その土地を去ることにするのです。
ウェルテルは新たな場所で仕事に就きますが、同業者たちの低俗さに嫌気が差し、放浪の後に再び元の土地に戻ってきました。しかしシャルロッテと彼女の夫に冷たく扱われてしまいます。
時を同じくして、ウェルテルのよく知る男が未亡人への想いを募らせたすえに殺人を犯す事件が発生。ウェルテルはは男に自分を重ねて擁護をするのですが、冷たくあしらわれ、ついに自殺を決意するのでした。
- 著者
- ゲーテ
- 出版日
1774年に刊行された、ドイツの作家ゲーテの作品。ウェルテルという青年が、友人のヴィルヘルムに充てた手紙でストーリーが進んでいく書簡体小説です。婚約者のいる女性に恋をしたことと、人妻に恋をした友人が自殺したというゲーテの実体験にもとづいて書かれたそうです。
ウェルテルの生きがいにもなっていたシャルロッテへの恋心は結局実らず、彼はひとり死ぬことを選択します。書簡体小説なので彼の葛藤がダイレクトに伝わってきて、だからこそ読者は、死以外の選択肢はなかったのかと頭を悩ませることになるのです。
どんどん冷静さを失っていき、自ら哀しみの底へと沈んでいくさまに、尊さすら感じられるのが不思議なところ。刊行から200年以上が経ちますが、多くの人に衝撃を与えた物語を読んでみてください。
コピーライターとして働いていた主人公の羽仁男。睡眠薬を飲んで自殺を図るものの、失敗に終わります。自分の命に対して執着がなくなったため、新聞に「命売ります」と広告を出して死に方を模索することにしました。
彼のもとにはさまざまな依頼が届くのですが、死んでもおかしくない危機的な状況に何度も陥りながらも、そのたびに羽仁男は助かってしまうのです。そのうち死に対して恐怖を感じるようになるのですが……。
- 著者
- 三島 由紀夫
- 出版日
1968年に刊行された三島由紀夫の作品です。軽やかで読みやすい文体と、ハードボイルド調な作風が魅力的。死にたいと思っていた主人公が、やがて死ぬのが怖い、命が惜しいと考えるようになる死生観がユーモラスに描かれています。
最終的に交番に逃げ込んだ羽仁男ですが、その時彼はすべてを失っていて、何を話しても警察官から信用されません。さらに、命を売るということは罪を犯しているわけではないけれど、人間の屑だと言われてしまうのです。
高いエンターテインメント性がありながらも、読後は生きる意味を考えさせられる哲学的な一冊です。