石橋は叩いて叩いて叩き落とすタイプ。小心者なのに、不思議なところで肝が据わる。王道は歩かなかったけれど、テクテク歩いてたどり着いたこの場所が好きだ。何者になれるかはまだわかっていない。そんな私の、思うこと。
「さおりちゃんは、大きくなったら何になりたいのかな?」
幼い頃、大人のひとから投げかけられたこの質問によって、私に「大人になったら《何か》になるものなのだ。」という認識が生まれた。極度の人見知り、内弁慶タイプのひとりっ子、おまけに3月生まれ。こんなお姉さん向けの質問に、勢いで即答できるスキルは無い。
とにかく、この時まだ幼稚園にも通っていないくらいの私は、そもそも”何になりたいか”という質問の意味が分からなかった。返答に窮していると、そのひとのほうから「ケーキ屋さん?お花屋さんかな?」と、提示された。
あぁそういう感じのことを言えばいいのかと理解はできたが、そんな事たったいま人生で初めて聞かれたのだし、すぐには思い浮かばない。けれど、返答を待って注目されているのがなんとも居心地悪くて、苦し紛れに、そのひとが言ったうちの一つをオドオドと復唱してみると、「あらぁそうなの〜!(笑顔)」という反応が返ってきた。よかった、この答えで合っていたんだ、とホッとしたのを今でも憶えている。
そのあとは、ケーキを食べたらケーキ屋さんになりたかったし、可愛いお花屋さんもいいなぁなんて思った。少し大きくなって、ヒロインがデザイナーの卵として奮闘しているような少女漫画を読むと、それに憧れて毎日洋服のデザイン画を描いて遊んだ。フラワーアレンジメントに憧れた頃は、お花とオアシスを買ってもらって遊んだりもした。
色々と習い事をさせてもらったり、割と趣味の多い子どもだったと思う。今になって考えると、この頃が”興味”や”憧れ”、”好き”と”なりたいもの”が、最もイコールだった時期だ。
より具体的に職業としての憧れを意識するようになったのは、たぶん中学生の頃。将来なりたい職業について、B5サイズくらいの用紙に小さな作文を書いて発表する授業がきっかけだったと思う。私は「アナウンサーか客室乗務員」と書いた。
客室乗務員と書いたのは、幼い頃から飛行機が好きで、美しくて優しい客室乗務員さんに憧れたから。その頃は英語の勉強も頑張っていたので、英語を使う機会がある仕事という魅力もあった。
それに、毎日きちんと整った姿で颯爽と働く大人になりたいと思っていたから、そんなところもイメージにぴったりの職業だった。
もう一つはアナウンサー。私は小学5年生の頃から中学卒業まで、学校内の放送業務を担当することが多かった。上級生も先生も、校内にいる全員が一斉に自分の声に耳を傾けたり、その声を合図に動き出したりする事が、少し不思議で、楽しかった。
放送室の特別な雰囲気も好きだったし、先生から褒めてもらえたり、学校行事の度にアナウンス役に指名してもらえることが嬉しく、とてもやりがいを感じていた。それで、もっとたくさんの人にもっとたくさんの何かを伝えられるようになったら楽しいんじゃないかと考えたのが、最初だったと思う。
そしてこの職業もまた、私が思う颯爽と働くかっこいい女性像としてしっくりきた。
夢を書いた小さな作文は、全員分が廊下に掲示された。なりたい職業を2つも書いていたのは私くらいしかいなくて、みんなと同じようにはっきり1つに決められなかった事を、初めは少しだけ恥ずかしく思ったけれど、どちらも同じくらい本当に憧れていたものだったから、もう少し大人になってから決めればいいかと納得することにした。
毎日学校から帰宅してテレビをつけると、夕方のニュース番組でひときわ毅然とした女性キャスターが日々の事柄を伝えていた。どんな状況でもどんな相手でも負けない、戦っているという印象だった。
声が大きくて恐そうな政治家のおじさんにも、バシッと切り込む。その強い女性を私はなんとなく「鉄の女」みたいだと思って、この人と、この職業が持つ雰囲気に憧れていた。
そんな頃、夏休み前になると学校で配られる推薦図書の一覧に、あのキャスターさんの名前を見つけた。タイトルは『あの娘は英語がしゃべれない!』。鉄の女の著書にしてはちょっと意外なものだったけれど、迷わず注文した。
本の中には、16歳の少女の冒険記が、柔らかな言葉と素直な表現で心情豊かに綴られていた。鉄の女にも不器用な少女時代があったなんて。もしかしたら自分の中にも鉄の女になれる種があるかもしれない、なんて根拠のない、けれど強烈な追い風を感じた。
- 著者
- 安藤 優子
- 出版日
- 2001-02-20
大学に入ると、竜巻のような目まぐるしさや透明な箱の中に閉じ込められたような息苦しさを感じた。そんな日々と格闘しているうちに、夢がぼんやり遠くなってきてしまった。”憧れていたもの” や ”なりたいと思っていたもの” が、自分の延長線上でどう実現しうるのか、そうしたいのかどうかすら分からなくなっていた。
恥ずかしい事だが、私の人生の中で最も思考停止していたのは大学生時代だったと自認している。思考停止しているくせに、しっくりこないと動かない。
大人と子どもの境目で、頑固な子どもだった私はピンとくる何かを待っていた。
大人になったらならないといけない《何か》は、本当に思っているものにしてみよう。
しっくりこない選択肢をいくつも巡らせたあと、とてもギリギリのところで、いつかの追い風が甦ってきた。地中深くに潜っていた”興味"と”憧れ”の小さな種が、風に吹かれて少しだけ空気にふれた。久しぶりに吸い込む酸素は、飛び出して芽を出そうという活力になった。
こうと決めると、不思議なほど前向きに行動力を発揮するタイプだ。
旅行用のコンパクトカメラでスナップ写真を撮り、募集もしていないアナウンサー事務所3社に、手書きの履歴書を送った。芸歴無し、アナウンススクールにも通ったことが無い23歳。今になって思い返すと、実質的にほとんど真っ白と言える内容だったなと寒気がしてくる。それでもたくさんの人のおかげで種を植える場所をもらえた。運が良かったと思う。
こうして、今が始まった。
現在私は、フリーアナウンサーとも名乗れる職業に就いている。
鉄の女のように強くない、ぐにゃっと曲がる針金のようだけれど、細い針金だって何千本も集めたら壁にもなるだろう。根気強く編んでいけば、使い勝手の良いバスケットになれるかもしれない。
この本を十数年ぶりに読み返して、どんな扉もたたいてみればいいのだ、人生の可能性は無限だ。と、当時の自分に湧き起こったエネルギーを思い出した。10代のあの感覚は簡単には忘れないものだ。
30歳を迎えた今、あの頃想像したものとはちょっと違う種類だったけれど、自分の中にも不思議な面白い種を見つけたと思える。B5用紙に正直な夢を書いたあの子を、がっかりさせるわけにはいかない。この種は大切に育てたい。
- 著者
- 出版日
- 2009-04-09
おやつのじかん
毎月更新!荒井沙織がおすすめの本を紹介していきます