純文学小説と評論作品を対象に贈られる「野間文芸賞」。これまで数々の有名作家が受賞をし、活躍の幅を広げています。この記事では、歴代受賞作のなかから特に読んでおきたい名作を厳選。賞の概要も解説していきます。
財団法人野間文化財団が主催する「野間文芸賞」。講談社の初代社長である野間清治の遺志を継いで、1941年に第1回が開催されました。「野間文芸新人賞」「野間児童文芸賞」と並ぶ野間三賞のひとつとして有名です。
受賞作は選考委員による合議で決定され、受賞者には正賞として賞牌が、副賞として300万円が贈られます。当初は作家個人へ贈られていましたが、戦後に一時中断した後再開された1953年からは、個別の作品に対して与えられるようになりました。
「野間文芸賞」の特徴は、純文学小説のほか、評論作品も選考の対象となることです。川端康成や井伏鱒二といった誰もが知る文豪をはじめ、現在も文学界で活躍する村上龍や町田康、奥泉光、山田詠美など、これまでそうそうたる作家が受賞しています。いわゆる中堅の、一定のキャリアを築いた作家にとって非常に名誉ある賞だといえるでしょう。
2018年に「野間文芸賞」を受賞した、橋本治の長編小説。大正の終わりから平成までの時代が描かれています。
登場人物は10歳ずつ年の離れた62歳から12歳までの6人。物語は時にそれぞれの両親、祖父母までさかのぼり、彼らが必死で生きた戦前戦中や、戦後日本の目まぐるしい変化が凝縮された作品です。
- 著者
- 橋本 治
- 出版日
- 2018-03-30
太平洋戦争、敗戦、高度経済成長、オイルショック、バブル崩壊、そして2つの大震災……日本人が生きてきたそれぞれの時代を見ることで、私たちが生きている現代が浮かび上がってきます。
タイトルになっている『草薙の剣』は、終盤に印象的なエピソードとして挿入されています。ヤマトタケルが剣で草を薙ぎ払い、火を点じて敵を迎え撃つシーン。そこには「事態を打開できるかもしれない剣を誰もが持っている」という作者のメッセージが込められているのです。
サーカスの花形だったものの、腰を痛めてしまったため事務職に転身した「わたし」。自伝を書きはじめました。
ドイツに在住している作者の多和田葉子が、ベルリンの動物園で生まれ育った実在するホッキョクグマ「クヌート」から着想を得て、クマの目線から三世代の物語が描かれます。
- 著者
- 多和田 葉子
- 出版日
- 2013-11-28
2011年に「野間文芸賞」を受賞した多和田葉子の作品です。
祖母、子、孫それぞれの視点で描かれる三部構成になっています。第1章は、人間のように働き自伝を書く「わたし」、第2章はサーカスで動物使いの女性と心を通わせる「トスカ」、そして第3章が、育児放棄をしてしまった母の代わりに、人間に育てられて動物園の人気者となった「クヌート」です。
動物が出てくるのでほんわかとしたユーモアを感じつつ、その裏には彼らから見た人間の姿の滑稽さや、国家や国境などの概念に対する問いかけがなされています。
ただ文章は堅苦しくなく、むしろ美しい日本語を堪能でき、くすりと笑える部分もあるあたたかいもの。クマたちが語る言葉によって、だんだんと不思議な世界に惹き込まれていく体験をしてみてください。
2011年、北朝鮮の反乱軍を名乗る武装コマンドが作戦名「半島を出よ」を実行。プロ野球の開幕試合がおこなわれていた福岡ドームを占拠し、さらに約500人の特殊部隊が福岡市中心部を制圧しました。
日本政府が混乱するなか、動き出したのは……。
- 著者
- 村上 龍
- 出版日
2005年に「野間文芸賞」を受賞した村上龍の作品。執筆にあたって作者は脱北者へ綿密な取材をし、膨大な資料を参照したそうです。
日本政府の要人から北朝鮮特殊部隊員まで、ストーリーは多彩な人物の視点から描かれます。不測の事態に困惑するばかりの日本政府は徐々に国民の信頼を失い、その一方で武装コマンドが人気を高めていく現実。そんななかで立ち上がったのは、社会から爪弾きにされていた前科者たちでした。
一方的に武装勢力を悪、日本政府を善とせず、単純な物差しでは測りきれないストーリーに没頭できるでしょう。緊迫した展開が続きますが、それは現実で日本が抱えている経済や外交の問題によるもの。生々しい文章で綴られる「起こりうる非日常」に、リアリティをもって一気読みできる作品です。
誰もが知る中国の思想家、孔子の人間像を描いた長編歴史小説です。
2500年前の春秋戦国時代に生きた孔子。『論語』に書かれた言葉はどのようにして生まれたのか、14年にわたる旅の目的は何だったのか……孔子が亡くなった30年後に、彼が生を受けた小さな村で開催された研究会で、弟子が語ります。
- 著者
- 井上 靖
- 出版日
- 1995-11-30
1989年に「野間文芸賞」を受賞した井上靖の作品です。
孔子という名は知っていても、その生きざまや人となりについては知らない人が多いのではないでしょうか。晩年、弟子とともに諸国を旅した彼の姿を架空の弟子が語ることで、そのベールが剥がされ人間像があらわになります。
くり返し語られるのは、「天命」と「仁」の尊さ。その言葉のもつ意味を、研究会に集った人々が掘り起こしていきます。彼らと一緒に孔子の生き方を学ぶことができる、一風変わった、それでいて濃い読書体験ができるでしょう。
家族とともに鎌倉に住む初老の信吾は、とある会社の重役を務めています。
ある夏の夜、深夜に響く山の音に死の予兆を感じました。自身の老いを恐れる一方で、息子の嫁である菊子に昔憧れた妻の姉の姿を投影し、しだいに思いを寄せていくことになるのです。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1957-04-17
1954年に「野間文芸賞」を受賞した川端康成の作品。戦後文学の最高峰といわれてます。
信吾の息子の修一は復員兵だったり、修一が戦争未亡人と浮気をしていたりと、物語には敗戦のムードを色濃く漂わせる人物が登場。その一方で信吾は、還暦を迎え、物忘れをするようになり、山の音に怯えながら徐々に老いていくのです。失ったもの、失いつつあるものが鮮やかに描かれているのが魅力だといえるでしょう。
信吾が菊子との心の交流をとおして、いかに老いを受け止めていくのか、心のゆらぎが繊細に描かれた不朽の名作。川端文学の入門としてもおすすめです。