大切なものの死を受け入れられない、少女と老人の短くもあたたかな心の交流を描く表題作をはじめ、じんわり、しみじみ、すかっと……人気作家・伊集院静の短編集『駅までの道をおしえて』には、泣けて笑えて、心が洗われるような作品たちが収録されています。 今回はそのうちの3編をご紹介。表題作である『駅までの道をおしえて』の映画化についても取り上げます。ネタバレも含まれますので、苦手な方はご注意ください。
伊集院静の『駅までの道をおしえて』は、人の優しさとあたたかさに満ちた短編集です。
愛犬ルーの突然の死を受け止められない8歳の少女と、時間が止まっているような喫茶店の老マスターとの心あたたまる交流や、じんわり泣ける奇跡のストーリーを描いた表題作をはじめ、どこか懐かさをおぼえる全8本が収録されています。
ネットの感想を見ても、「ポロポロと泣きながら読んだ」「犬を失った自分のダメージが消えていくよう」「切ないけれど、心の中に残る作品」など、読者の心にすーっと入ってくる作品であることがうかがえます。
- 著者
- 伊集院 静
- 出版日
- 2007-03-15
2019年10月18日には『駅までの道をおしえて』の映画が公開されます。主人公の少女を新津ちせ、老マスターを笈田ヨシが演じます。主演の新津ちせは、『君の名は。』や『天気の子』の監督として知られる新海誠の娘だということが分かり、大きな注目が集まっています。
その他キャストには、10年後の少女を有村架純が務め、そのほかに坂井真紀、滝藤賢一、柄本明、余貴美子など、人気俳優や演技派が多数集結することが発表されています。監督は『四十九日のレシピ』の橋本直樹。主題歌は大ヒットアニメ『この世界の片隅に』のサウンドトラックを製作したコトリンゴが担当し、ぜひ注目したいポイントです。
本作では湘南の海に続く赤色の電車がストーリーのカギを握っていますが、それはまさに京急電鉄のこと。映画化に共感した同社が創立120周年記念とのことで、製作に全面的に協力しています。ロケ地としては、物語の舞台である湘南をはじめ、八王子市上壱分方町の大柳用地でも撮影が行われたそうです。
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現代を代表する人気作家といえる伊集院静さん。最近は、生き方指南の著書「大人の流儀」シリーズも大評判です。
大酒をくらい、ギャンブルをやり、女性との浮名を流してきたイメージも強く、無頼派と呼ばれることもあります。ただし、本人はインタビューで「無頼派では小説は書けない」と否定。姿勢を正すように、真摯に創作に取り組んでいるのだそうです。
無頼派でないにしても、人間的な魅力が溢れています。ビートたけしもテレビ番組で「伊集院静はかっこいい。好きだな」と語ったそうです。女優夏目雅子との出会いと別れ、さまざまな人生経験、幅広い交友関係、歯に衣着せぬ物言いなどもあってみれば、「大人の流儀」シリーズや人生相談のエッセーが大人気になるのもうなずけます。
- 著者
- 伊集院 静
- 出版日
- 2018-11-07
短編、長編、エッセーと幅広いジャンルで執筆していて、今までに受賞した文学賞も数多くあります。吉川英治文学新人賞(『乳房』)、直木賞(『受け月』)、柴田錬三郎賞(『機関車先生』)、吉川英治文学賞(『ごろごろ』)、司馬遼太郎賞(『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』)。そのほか、『羊の目』『いねむり先生』『なぎさホテル』など、それぞれの作品にファンがいるような作家といえるでしょう。
小説家だけでなく、伊達歩名義での作詞家としての顔も持ち、『愚か者』『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲もあります。
野球好き、花好きとして知られる作者。本作でも、野球や花が物語の随所でいい「仕事」をします。
表題作の舞台は、夏の終わり、海に近い町。もうすぐ9歳になる少女サヤカの成長と奇跡のような体験をみずみずしく描いた短編です。孤独だったサヤカは、ルーといれば喜びを分かち合えたのです。まだ少女の彼女は、愛犬ルーの突然の死を受け止められません。
愛犬との悲しい別れのなか、少し偏屈なフセ老人と偶然、出会います。彼も、最愛の息子を亡くしていました。少女は、フセ老人と交流するなかで、大きな悲しみと向き合い、やがてそれを乗り越えていくのです。
この作品の見どころは、主人公の少女サヤカが魅力的なこと。悲しみの中にいながら、それを気取られないように健気に振る舞います。愛する息子を亡くしたものの、それを認めたくないフセ老人の心の内を敏感に感じ取り、子どもなりに工夫をし、老人との距離を縮めていこうとする彼女の優しさに、気持ちがあたたかくなります。
やがて、別れや死が悲しいだけではないことを知っていく、その心の変化が濃やかに描かれており、引き込まれてしまうでしょう。
物語のカギを握るのは赤色の電車。少女と老人は赤色の電車に乗って海に向かう途中、少女は車内で夢ともうつつともつかない体験をします。そしてサヤカは、もう逢えないとわかっていても、もう一度逢えるならこういう再会がいい、と想像するのでした。
フセ老人の存在も魅力的です。はじめは嫌なひとと思ってしまうかもしれません。しかし、少女と出会ったことで、かたくなだった心が少しずつ開かれ、フセ老人はほんとうの気持ちを表しはじめます。だれもが何かを抱えて生きています。その重石をどうおろすか。彼の変化も素敵に描かれています。
そして、タイトルの意味が最後に明かされます。「駅」とは、「駅までの道」とは何か、これは本編を読んで確かめてみてください。
千葉外房の海の町、それぞれの少年時代を過ごした、14歳の少年3人が、短い夏に偶然出会います。微笑ましい友情、ヒマワリの花のような女の子との恋、地元の不良たちとのケンカ。短いからこそ輝く青春の日々。
三人は、210歳になる6年後のこの日、何があってもここで再会すると誓って別れます。その約束は果たされるのか。郷愁誘う青春ストーリーです。
約束の6年後から物語はスタートします。主人公のレイは約束通りに戻ってきました。あとの2人ヨウとタクヤと無事再会できるのか、不安と期待で読むほうもどきどきさせられます。
昔を思い出すシーンでは、3人が同時に恋するヒロインが登場。しかし、土地の暴走族たちから、よそものである3人がちょっかい出すのが気に入らないと、けんかを売られますが……3人はやられっぱなしですが、最後の決着の付け方はなんともほのぼのとしたもの。
自分が体験したわけではないのに、懐かしさを、そして少しのうらやましさをおぼえるのではないでしょうか。
そして本作でも、タイトルに秘密が隠されています。シカーダとは何か。その正体は、短い一瞬に凝縮された素敵な思い出と重なります。
だれかれかまわず借金を繰り返し、それを踏み倒したまま、あの世に行ってしまったチョーさんこと長尾徹。野球好きで、特に長嶋茂雄の大ファンだったチョーさん。ああやっと死んでくれたかとみなに言われ、どうして死んだのかわからないが、どうせろくでもない死に方をしたに違いないと思われる、ダメ人間です。
東京の下町を舞台に、そんなチョーさんの愛すべき人間性が徐々に明らかになる、奇跡のようなヒューマンコメディです。
- 著者
- 伊集院 静
- 出版日
- 2007-03-15
斎場に集まってきた面々は、チョーさんにいかに迷惑をかけられたか、やいのやいのうるさい限り。落語のようににぎやかに話します。しかし、主人公の11歳の少女だけは、チョーさんはそんなに悪い人ではないと思っています。
しかし、読み進めていけば、オトナもまた悪口を言いながらも、チョーさんに愛情をもって悪態をついているのだということがわかってきます。悪口を言いながらも、決してチョーさんを憎んでいたわけではないのでしょう。
物語は、少女が、棺桶の中のチョーさんに着せようと、野球のユニフォームを取りに行くところから大きく動き出します。
チョーさんがなぜ死んだのか、そして、人をだまし続けたようなチョーさんの真実の姿とは。あっけにとられる展開に、これも落語に例えるなら、見事なオチのような爽快感をおぼえるはず。震える人さえいるかもしれません。
今回は伊集院静の『駅までの道をおしえて』を紹介しました。別れは悲しくても、もう一度会いたいと思えるなら、その出会いと別れは。素敵なものだったのではないでしょうか。もう会えないはずの人と会える、知らなかった本当の顔を見られるのは、小説が起こせる奇跡のひとつかもしれません。