文芸

森茉莉のおすすめ文庫作品!彼女の才能が感じられる6選

更新:2016.12.4 作成:2016.12.4

森茉莉は、文豪にして軍医でもあった森鴎外の長女です。父鴎外の話や、身の回りを題材にしたエッセイは、独特の美学と感性で語られ非常に面白いです。 また、森茉莉の小説は耽美で官能的な世界観で、昔暮らしたパリでの生活の影響が色濃く出ています。森鴎外の娘というだけではない彼女の魅力を、これを機に体験していただけたらと思います。

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鴎外の愛娘にして、永遠の少女・森茉莉

森茉莉を語る上で、やはり父、森鴎外の事は外せません。1903年に生まれ、父が軍医総監だったおかげで生粋のお嬢様育ち。父鴎外には溺愛され、さらに茉莉も父を心から愛して尊敬していました。父の影響はエッセイにも小説にも強く表れています。

このような生い立ちの彼女が、世間知らずで生活能力のない、子供のような人であったことはエッセイでもしばしば見られます。ハンガーにぶら下がったセーターは虫に食われ放題で、穴だらけになっても自分では直せないので川の中にそっと捨てる、などというシーンなど、そのだらしのなさは折り紙つき。親交が深かったという室生犀星が、部屋が散らかりすぎているのを心配して寝付けなかったという逸話があるというのも、納得です。

甘やかされて育ってしまったお嬢様茉莉は、父の死や離婚を経て、貧乏生活を体験せざるを得なくなってしまいます。しかし、培った純粋で美しいものを愛する心と想像力が彼女に貧しい生活の中でも楽しみを見いださせ、華麗なエッセイや小説を綴らせることを可能にしました。

鴎外の育て方は、一般的に言えば茉莉のためにはならなかったと言えるでしょう。しかしその愛情と父の影響が作家としての才能の一端になったとも言えます。親子としても師弟としてもつくづく縁の二人なのだと感じます。

父鴎外との思い出の数々

森茉莉のデビュー作であり、父の思い出を綴ったこのエッセイは、日本エッセイストクラブ賞を受賞します。

私の父は頭が大きかったので、から始まる冒頭の話は、帽子を購入しようとする鴎外が頭の大きさのために店員から冷笑をみせられるという、家族でしか知り得ない鴎外の貴重な私生活の一場面が描かれています。

他には裕福だった幼年時代の思い出、母との思い出も記されていますが、なんといっても多いのはやはり父鴎外との思い出です。『父の帽子』の中で、茉莉は鴎外をしばしば獅子に例えます。それは孤独で怒りっぽい部分をなぞらえたもの。そんな鴎外の精神をあらわし、精神と外面両方で、強く孤独に耐える父を尊敬していたのでしょう。

「泥棒をしても、おまりがすれば上等よ」というほど茉莉を甘やかしていた鴎外の育て方は必ずしも良いとは言えません。しかし、このように大きな愛情を鴎外から注がれた彼女は、父を絶対的な存在として自分の中に持ちつづけます。

著者
森 茉莉
出版日
1991-11-01

その後のエッセイのみならず、小説にもしばしば出てくる、絶対的庇護者としての父のような年上の男性像。鴎外の影響の強さは生活の描写でも感じられます。

54歳で発表されたこのエッセイは、彼女が鴎外の印税が入らなくなり、生活のために書いたものでした。他のエッセイで千円が毎日空から降ってくるのならば、原稿など書かないかもしれない、

とも言っており、ともすればこれらの傑作が読めなかったと思うと、今彼女の作品が世に出ているのは、天のめぐりあわせとしか思えません。

作家としては遅いデビューですが、茉莉はそのみずみずしい感性で多くのエッセイや小説を書き続けていきます。それらに良く出てくる父と結婚時代のヨーロッパ生活、美味しい食べ物、家族の思い出など、彼女を作り上げてきた原点が、この本には全て詰まっています。

お金がなくとも、心はいつも優雅で高貴

森茉莉の生活や文壇との交わり、室生犀星との親交などが、独特の奔放で歯に衣着せぬ文章で書かれたエッセイです。

しかしこれはただのエッセイではなく、「黒猫ジュリエットの話」という章では飼い猫の黒猫ジュリエットを主人公に見立て、自分の日常を面白おかしく描いています。

自己愛が強いのかと思えば、この章で自らを突き放した目線で滑稽に描き、話におかしみを添えています。しかし鴎外の事になれば筆を尽くして絶賛するのも、父に対する愛がよくわかって、ほほえましくなるほど。彼女の奔放な様子はまさに少女、お嬢さまという趣きです。

著者
森 茉莉
出版日
1992-07-03

他に「マリアはマリア」という日常エッセイでは、茉莉のおくる貧しい生活も過去の優雅な記憶と美しい描写で彩られ、身をやつす貴族のような貫禄すら感じさせます。

表題作の「贅沢貧乏」の、金銭的に不自由していても、好きなものには金をかけ、良い匂いの紅茶と本物のバターをたしなみ、イングランド製のチョコレートを好む毎日に、もっと考えて生活しろと思う方もいるでしょう。

しかし、精神的に豊かであり、好きなものを我慢しない彼女だからこそ、このように魅力のある文章を書くことができ、人を引きつける作品を生み出すことが出来るのだと思うのです。

お金のない生活を書いてはいても、読み手はそこに惨めさや悲惨さをあまり感じません。それは、お金が出来るとそれらを全て缶詰のビーフシチューや平目の刺身、外国製のチョコレートなどの贅沢品に当て、空の紅が部屋に差し込む様に「まあ、綺麗」と素直に感嘆する、茉莉の精神の無邪気さと柔らかさのおかげなのでしょう。

美食家な茉莉の、美味礼賛な日々

自分を「美味礼賛」を記したフランスの美食家ブリア・サヴァランになぞらえる茉莉は、自分の食へのこだわりに必要な、ダイヤ氷を買い忘れたのに気づいて憤ります。彼女の文筆生活には、最新の注意を払って淹れた冷紅茶がどうしても必要なのです。

このようなシーンで始まる『貧乏サヴァラン』は、美味しいものが大好きで、料理を作るのも得意な茉莉が、幼い頃の父との食の思い出や、若い頃のパリの下宿での食生活、そして現在のお金がないながらもこだわり抜いた美味の数々など、食にまつわる日々と思い出を、あますところなく書き切っています。

著者
森 茉莉
出版日

また、本物のお嬢様であった彼女は、その経験をふまえて「贋ものの贅沢」をする者達、品性のない若者達に厳しい目を向けることも。

老人が今時の若者はけしからん、と言っているような雰囲気もないではないですが、生粋の良いとこ育ちの森茉莉の放つ一撃は、一般人では思いつかない面白さがあります。「銀座を歩くというのは、いわば散歩である。近所の散歩の延長である」それにお呼ばれのようななりでいくのは「貧乏贅沢」だと言い切るお嬢様ぶりは、もはや脱帽するしかありません。

他、風月堂のシュウクリイム、父鴎外の好きだった生卵御飯と饅頭茶漬け、自分でこしらえる牛肉と玉ねぎのバター焼き、息子ジャックと食べるロシア料理……。茉莉の生い立ちを考えると切なくもなる食の記憶も、悲嘆などかけらもない柔らかい文章で、美しく素敵なものとして描きだされています。

毒舌かつ思うがままに芸能界を批評する

週刊新潮に1979年から1985年まで連載されたテレビや芸能人に対するエッセイ『ドッキリチャンネル』を、コラムニストの中野翠が精選し、より読みやすくなったものが本書です。

著名人が戦々恐々としていたとあるように、芸能人が実名でバンバン登場し、歯に衣着せぬ論調で思うがままに批評されていきます。苦情がこないのかと思うほどの毒舌は、クスッと笑わされたり、爽快感さえ感じさせられたりするほど言いたい放題。

「私は嫌いな人がいません」と言ったある映画評論家は、偽善だと切り捨てられ、ある国民的歌手は、白い歯を見せる笑いには、私の見る限り品がない、とこきおろされます。これは全て実名で書かれているので、詳細をお知りになりたい方は本でご確認ください。

著者
森 茉莉
出版日

今の世なら物議をかもし出しそうな過激なエッセイですが、昔だからこそこの毒舌が怖れられながらも続けていけたのでしょう。

そして、自分の好きではないものは舌鋒鋭く批判する茉莉ですが、自分の好きなものには言葉を尽くして褒めちぎります。色々な思惑や空気など関係なく、相手が大女優だろうが国民的歌手だろうが、思ったままに意見を言うことができる、それもまた、たぐいまれな資質ではないでしょうか。

彼女の生き様を見ると、大人としては色々問題なところがあるように見えますが、結婚しても子供を産んでも本質をゆがめることなく、空気を読むという日本の風土に染まることもなくして育ってこられたのは、むしろ美点だと言っていいと思います。

縦横無尽な筆致で書かれた、森茉莉の目から見た芸能界を、あなたもぜひ体験してみてください。

美しき男達の愛がたどりついた先は

年上の情人を持つパウロは、長いまつげを持つ美しい少年。彼の情人ギドウは、巴里の郊外に家を持つフランス貴族を父に持ち、母に外交官の娘を持つ富豪の男でした。

ギドウに流されるままパウロはギドウと関係を持ちますが、パウロに近づく男・礼門、ギドウの古い情人である女・植田、パウロを愛する女・梨枝という、二人をとりまく男女によって彼らの幸福がおびやかされていきます。

ギドウとパウロを愛する者達の関係は官能的に絡み合い、抱える愛憎の赴くままに、恋人達は破滅の道へと誘われていくのでした。

著者
森 茉莉
出版日
1975-05-02

田村俊子賞をとったこの作品は、森茉莉の煌びやかなイマジネーションがいかんなく発揮されています。フランス貴族とのハーフであるギドウや、敬里という名前を持つにもかかわらず、ギドウにフランス風のパウロと呼び名をつけられた美少年など、少女漫画のような現実離れした綺羅綺羅しい設定は、最初は過剰に感じられても、読み進めるうちに気にならなくなってきます。

それは登場人物達の生々しく人間的な心理描写であったり、自分の思い描いた世界を書き切ろうとしたりする丁寧でリアルな筆致のせいもあるでしょう。特にギドウに捨てられそうな中年女性の植田の造型は、現実的で真に迫っており、なぜ彼女があの行動を選ぶにいたったのか、読者に共感すら呼び起こさせます。

『恋人達の森』の他、『枯葉の寝床』など、華やかで美しい男達の耽美で官能的な関係を書くことが多く、これはBL小説の走りではないかと個人的には思っています。

森茉莉の描く魔性の女

男たちからの愛を貪ることで満足を得る魔性の女性モイラの半生と彼女を取り巻く男たちを描いた話です。

まずページを開いて驚くのは、その圧倒的な文字の量です。登場人物たちの心理や行動が緻密な描写によって、実に丁寧に細かく表現されていて、それがこの小説の魅力となっています。

生まれてすぐに母を亡くしたモイラは、父林作に溺愛されて育ちます。実業家として成功している林作は、贅を尽くしてモイラを自分の理想の女性に育てていくのです。

林作は日頃から「モイラは上等。モイラは善い子」と甘やかし、そしてその言葉はモイラの中で理由のない自信に育っていきました。

著者
森 茉莉
出版日
1996-12-01

『甘い蜜の部屋』というのは、林作とモイラの間にある父と娘の関係以上の恋人のような濃密な関係を表しています。

そんな関係でありながら、モイラがまわりの男たちを虜にしていくのを林作はむしろ満足気に眺めているのです。

モイラは16歳で結婚をしますが、夫となる天上もまたモイラの魅力に絡めとられてしまった一人です。天上は許嫁との約束を破棄してまで、モイラと結婚しました。しかし次第に離れていくモイラの心に耐えかねて、自らの命を絶ってしまうのです。

モイラが実家に戻ってくることを知った父林作は、ひっそりと微笑みを浮かべるのでした。

大正時代の上流階級の豪華な暮らしと、そこで成長していく美しい魔性の娘。世間の常識や道徳などを飛び越えた、父と娘の濃密な物語です。

これから森茉莉を読む方に向けて、読みやすく入りやすいものばかりを紹介しましたが、彼女の作品はエッセイや小説、翻訳などまだまだたくさんあります。感性豊かな永遠の少女の織りなす、華麗にして精神的貴族な世界をご堪能いただけたら幸いです。