本当なら目にすることはできない物事や現象を、想像力と表現力を駆使して人々の心に浮かび上がらせる「幻想文学」。とっつきにくいイメージを抱いている方もいるかもしれませんが、1度ハマればその魅力に病みつきになってしまうはず。この記事では、読んでおきたいおすすめの作品を紹介していきます。
「超自然的・非現実的な事象を主なモチーフとする文学作品」と定義されている幻想文学。本来ならありえないようなこと、目にすることができないような現象などを、実際に形あるものとして表現した文学です。
架空の出来事をテーマに扱うものでいえば、ファンタジーも同じようなイメージがあるでしょう。ファンタジーの定義も「今現在とは異なる時や場所、または現実にはいない生命体をテーマに扱った文学」なので、ほとんど変わりません。
実は、幻想文学とファンタジーの違いに明確な答えはなく、異なるものだと唱える人もいれば、幻想文学のなかの一ジャンルとしてファンタジーがあると考えている人もいます。
そんななかでひとつ違いを見つけるのであれば、ファンタジーが、驚きや好奇心、夢など空想的なテーマでメルヘン文学に近い展開をするのに対し、幻想文学は、恐怖心や怪奇などの感情が根付いた作品であることが多いです。少し嚙み砕きすぎかもしれませんが、大人の物語、といったところでしょうか。
作家の佳子の元には、崇拝者たちから多くの手紙が届けられ、彼女はそれを読んでから仕事をすることが日課でした。本書は、そのなかにあった見ず知らずの男から送られてきた手紙を、佳子が読み進めていく様子が綴られています。
手紙の内容は、この男は気が確かなのだろうかと空恐ろしくなるストーリーと、しかし創作だろうとは言い切れない人間らしい心理描写に、もやもやと葛藤を抱きながら読み進めることになるでしょう。
- 著者
- 江戸川 乱歩
- 出版日
- 2008-05-24
8つの短編が収録された江戸川乱歩の傑作集。表題作の「人間椅子」は、1925年に発表された作品です。
男の手紙に書かれていたのは、椅子職人の彼が、人が中に隠れることができる椅子を作って実際に自分が入り、持ち主の目を盗んで窃盗をしたり、自分の上に女性が座ることに快感を覚えたりするという内容。
椅子の中に隠れながら生活をするなんてありえない、と思うのが当たり前ですが、手紙を書いている男の決して大げさではない語り草や、やけに詳細な描写から、もしかしたら本当の話かもしれないと想像を膨らませてしまうのです。
その姿は、変態や狂人という言葉で表すのはもったいないくらい。物語がこのまま進んでいったらどのような結末を迎えてしまうのか、先を読みたい気持ちと予想が当たると怖いという気持ちが拮抗する、幻想文学らしさを楽しめる作品だといえるでしょう。
太郎とアヤ子の兄妹は、ボートに乗っていたところを波にさらわれ、小さな離れ小島に流れ着きました。一緒に乗っていた船長や乳母の行方はわかりません。
自然がたくさんあり、人は誰もいない島で2人きりの生活。そのなかで彼らは、口に出すことのできない葛藤を抱え、心を悩ませていきます。
- 著者
- 夢野 久作
- 出版日
- 2009-03-25
1928年に発表された夢野久作の作品です。冒頭で、「手紙が入った瓶が3つ海岸に流れ着いた」という村役場の公文書が紹介され、その後に3つの手紙の内容が書かれる構成です。
2つ目の手紙によると、島に流れついた時にアヤ子は7歳、太郎は11歳だったそう。それからどれだけの時間が経ったのかわからないが、10年くらい経っているように感じると書かれています。時が経つにつれて2人の身体は成熟。互いに惹かれあってしまい、そのことに戸惑い、苦しみ、自らを責めるのです。
しかし本作の1番の魅力は、「結局何もわからない」ということでしょう。3つの手紙の時系列、それぞれが書かれる間に何が起きたのか、なぜ3つ目の手紙だけカタカナで書かれているのか……さまざまな推測ができるものの、答えはわかりません。怪奇的な事象は起こらないものの、すべてが靄に包まれているような感覚は幻想文学らしいといえるでしょう。
多くの人に読み継がれてさまざまな書評が書かれているものの、確固たる解釈ができない作品。あたなたはどのように読むでしょうか。
常陸の国に、「うつろ舟」というガラス張りの舟が流れ着くところから物語は始まります。そこには西洋の人だと思われる青い目と金色の髪の女性が乗っていて、彼女は1つの箱を強く抱いていました。
男女の交わりや恐怖を誘う怪奇的な描写が多く、不気味さをまとった短編集。そのなかにもの悲しい美しさを感じられるのが、渋澤龍彦の魅力でしょう。
- 著者
- 渋澤 龍彦
- 出版日
- 2002-09-01
1986年に刊行された渋澤龍彦の短編集です。不気味で目を背けたいのに、頭の中で勝手にイメージが膨らんでいってしまうようなもどかしい恐怖や怪奇をテーマにしていて、まさに幻想文学とはこのようなものだと体現している作品だといえるでしょう。
艶やかで官能的な表現がふんだんに用いられた8つの物語は、どれも恐怖と美しさが入り混じった魅惑的なもの。わかりやすく誰かが死んだりするわけではありませんが、人に襲い掛かる欲望や、それによって心が狂わされていく様子は、十分に読者に恐ろしさを与えるのだと思い知らされます。
幻想文学を読みたいと考えている人には、まず手にとっていただきたい一冊です。
行方不明になった友人の実家に、「家守」として住むことになった綿貫。ある雨の日、床の間に飾られている掛け軸から、亡くなったはずの友人がボートに乗ってやって来ました。
「どうした高堂、逝ってしまったのではなかったか。」
思わずこう声をかけてから、動物や妖怪との遭遇、庭の植物との対話など不思議な出来事を体験していきます。
- 著者
- 梨木 香歩
- 出版日
- 2006-09-28
2004年に刊行された梨木香歩の作品です。物語の舞台は「ほんの100年ちょっと前」だそう。
ありえないことが次から次へと起こる点は、まさに幻想文学らしいといえるでしょう。しかし本作の魅力は、綿貫がそうした出来事を「まあそういうこともあるか」と受け入れていくところです。飄々としている彼の姿がなんとも居心地がよく、穏やかな気持ちになっていきます。
たくさんの植物が出てくるのですが、その描写のみずみずしさは梨木香歩ならでは。恐ろしい、気味が悪いではなく、どこかワクワクしてしまう、明るい気持ちで読み進められる作品です。
シブレ山という山の石切場で、たくさんの謎に包まれた事故が起きたため、世界では火が燃え難くなった……というところから物語が展開していきます。
「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」という関連づいた2つの物語で構成されているのですが、それぞれのなかに場面の繋がりがわからない断片的な文章が入り乱れていて、まるで夢をみているかのような感覚に陥ってしまうでしょう。
- 著者
- 山尾 悠子
- 出版日
- 2018-05-11
2018年に刊行された山尾悠子の作品です。
ひとつひとつの文章の意味はわかるものの、文脈として理解することは難しく、一般的な物語を読むようにストーリーを掴もうとするとうまくいきません。時系列や起承転結を自分のなかで整理することが難しい、もどかしさをはらんだ作品です。
摑みどころのなさや、もやもやする感覚が幻想文学らしさなのはもっともなのですが、これほどまでに「腑に落ちる」感覚を得られないのも珍しいでしょう。しかし一見意味を捕えられない文章の背後に、本質的な何かが啓示されているような気がして、読者はどうしてもその文章を追いたくなるのです。
迷宮のような幻想文学の世界に浸ってみてください。