人は、積極的に行動して実績を築く時期と、立ち止まって自分の内面を磨く時期を不定期にくり返しているといわれています。今回は、自分を内側から見つめ直す時にぜひ手にとってほしい、哲学がテーマのおすすめ小説を紹介していきます。
事故死した夫の大祐が、名前も経歴もすべて嘘で固めたまったくの別人だったことを知った里枝。
私はいったいどこの誰と結婚していたのか……唯一の頼みである弁護士で在日三世の城戸に、夫の身元調査を依頼します。
- 著者
- 平野 啓一郎
- 出版日
- 2018-09-28
2018年に刊行された芥川賞作家、平野啓一郎の作品です。この年は平野のデビュー20周年にあたり、「三島由紀夫の再来」といわれる端麗な文体も冴え渡っています。
里枝は、我が子を病気で失い、離婚も経験。辛い過去を背負っていましたが、大祐と再婚してからは幸せな日々を送っていました。しかし彼の写真を見た夫の兄が、「弟ではない」と断言するのです。弁護士の城戸が調査をすると、浮かび上がってきたのは、戸籍交換を仲介するブローカーと、日本人社会から疎外された人々の存在でした。
男はいったい誰なのか、どのような人生を歩み、なぜ戸籍ロンダリングをしたのか、もし里枝が最初から男の正体を知っていたら彼を愛することができたのか……哲学的なテーマを社会派のミステリーに織り込み小説にした本作。平野啓一郎がテーマとして掲げている「分人主義」を理解する一助にもなるでしょう。
自分の本質は、脳ではなく奥歯にある。人は奥歯でものを考えるのだ……。そう思いこんだ「わたし」は歯科助手に転職しました。
忙しくて会えない恋人を想いながら、未来の我が子に向けて日記を綴ります。
- 著者
- 川上 未映子
- 出版日
- 2010-07-15
2007年に刊行された川上未映子のデビュー作です。
「私とは何か?」という問いかけに、死にものぐるいで向き合う「わたし」。「わたし」と「私」は同じなのか、「わたし」と「私」が完全一致することで「わたくし」となりうるのか。哲学的な自問自答をユニークな論説で説き明かし、わたくし率を100%に近づけていきます。
ブスでデブというハンデを背負った「わたし」の人生は、子ども時代から悲惨そのもの。彼女は奥歯を噛みしめ、そこへ哀しみを閉じ込めてきました。いじめシーンの回想はあまりにむごく、物語の後半で展開する鋭い感性とほとばしるような関西弁による独白は圧巻です。
タイトルを見てもわかるように、意味不明な部分も多いのは事実。しかしそれだけで終わらせてしまうにはもったいありません。川上未映子の頭の中を覗いてみてください。
ノルウェーの田舎で暮らすソフィーは、ごく普通の14歳の少女。ある日、謎の哲学者から手紙が届きます。そこには、「あなたはだれ?」「人間って何?」「世界はどこからきた?」とだけ綴られていました。
最初は当惑したソフィーですが、やがて質問の答えを考えだし、さらに哲学者の正体をも探ろうとするのです。
- 著者
- ヨースタイン・ゴルデル
- 出版日
- 2011-05-26
1991年に刊行された、ヨースタイン・ゴルデルのファンタジー小説です。ノルウェーの高校で哲学を教えていた作者。本書は「一番やさしい哲学の本」として全世界で2300万部以上を売り上げるベストセラーとなりました。
ソフィーのもとに、今度は絵はがきが届きます。そこにはレバノンにいる「少佐」から15歳になったヒルデという娘に向けた、誕生日のお祝いメッセージが書かれていました。
一方で謎の哲学者からの手紙も途切れることなく、「哲学講座」が続きます。古代ギリシャから始まって、ソクラテスやプラトン、アリストテレスと年代順に続き、歴史と宗教を絡めた西洋哲学の流れが描かれていくのです。
哲学者と少佐は同一人物なのか?ヒルデという少女は誰なのか?なぜ少佐は娘に向けたカードをソフィーに送ってくるのか?このようなミステリー要素を楽しみながら、哲学の世界も学べる、まさに1冊で2度おいしい作品だといえるでしょう。
哲学に初めて触れる中学生から、もう1度学び直したい大人まで、幅広い層に支持されている入門書です。
1970年代のある日、「森屋敷」と呼ばれるパリの富豪ダッソー家で、殺人事件が起こりました。しかし死体のあった部屋は厳重に施錠され、部屋に通じる通路や窓も完全に密閉、さらに監視までいたという三重の密室状態です。
主人公の日本人青年、矢吹駆(やぶきかける)は、家主のダッソーおよび森屋敷に滞在する客の全員が、30年前にナチスのコフカ強制収容所に収監されていたユダヤ人であったことを突き止めます。
- 著者
- 笠井 潔
- 出版日
1992年に刊行された笠井潔のミステリー小説です。現象学探偵「矢吹駆」シリーズの第4弾で、彼に恋をするワトソン役のナディア・モガールも登場します。一時期は「世界一長い推理小説」といわれたほどの、1100ページ超えの圧倒的ボリュームも話題になりました。
矢吹は、森屋敷に滞在する人々の共通点とともに、30年前の第二次世界大戦下でも、同じく三重の密室殺人事件が起きていたことを知ります。時空を越えてリンクする2つ事件を、彼は「現象学的本質直感」によって解き明かしていくのです。
しかし本作の目玉は、密室トリックではありません。ハイデガーの実存哲学「存在と時間」を主題に、戦争における大量死の意味を読み解こうと問答をくり広げるところにあります。ミステリー小説の形を取りながら、主人公と作者の哲学思想が炸裂する傑作だといえるでしょう。
かもめにとって、飛ぶことよりも食べることのほうが重要。彼らは餌を求めるために飛んでいる……この鉄則に逆らったのが、かもめのジョナサン・リヴィングストンです。
お腹を満たすことよりも「飛ぶ歓び」「生きる歓び」を追い求め、寝食を忘れて飛行の探究に打ち込むジョナサン。しかし他のかもめたちから異端者扱いされ、追放されてしまいます。
- 著者
- リチャード バック
- 出版日
- 2015-06-26
1970年にアメリカで刊行された、リチャード・バックの寓話的小説です。アメリカのヒッピーたちの間で口コミで広まり、世界で累計4000万部以上、日本でも270万部以上の大ベストセラーになりました。
作者のリチャード・バックは2012年に飛行機事故で重傷を負い、その後44年ぶりに第4部最終章を執筆。2014年に「完成版」が出版されました。翻訳は初版同様に五木寛之が担当しています。
孤独の哀しみにもくじけず練習を続けたジョナサン。ついに飛行を極めます。すると光り輝く2羽のかもめが現れ、ジョナサンを別世界へ誘いました。そこは、「自分がやりたいことを追求し、完成の域に達すること」を目標にする仲間がいる、天国のような場所でした。
群れから異端扱いされ、死刑宣告にも等しい追放の身となっても、諦めずに自らの道を究めたジョナサンは、天国のような場所に導かれ、そこで生き続けるのです。人生の目的を追求したい人に、愛とエールを送ってくれる一冊になっています。
長期の研究旅行から戻った、30歳の歴史学者アントワーヌ・ロカンタン。フランスの港湾都市ブーヴィルに居を構えました。
子どもたちが水切りをして遊んでいるのを見たロカンタンは、自分も真似て小石を拾います。その瞬間、彼の中で異変が生じました。これまで慣れ親しんだ物を見ては、吐き気に襲われるようになってしまったのです。
- 著者
- J‐P・サルトル
- 出版日
- 2010-07-20
1938年に刊行された、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの小説です。日本では2010年に、60年ぶりにフランス文学者の鈴木道彦によって完全新訳され、解説も丁寧で格段に読みやすくなりました。
ロカンタンは、自身の研究課題、美しい自然、愛人のフランソワーズ、かつての恋人アニーとの記憶、自分の手……あらゆるものをに吐き気を感じます。
吐き気の正体は何なのか。苦しみと狂気のなかで、彼はついに、この世界はすべてが偶然に支配されていて意味などない、それゆえに人間の存在自体も「余計なもの」であることを発見するのです。
この世も自分も無駄と偶然の産物であるという考えは虚しいもの。しかし孤独の意味を真剣に考える人にとっては救いとなる深い洞察と、一筋の希望が描かれています。世界に対する違和感や生まれてきた意味を、しっかり言葉にして届けてくれる一冊です。