愛とは何か、セクシュアリティとは何かと疑問を投げかけ、心に刺さる言葉を紡ぎ出す小説家の松浦理英子。この記事では、彼女の魅力を余すことなく感じられる作品を5作紹介します。
1958年生まれ、愛媛県出身の松浦理英子。日本の小説家です。青山学院大学文学部の仏文科に進学し、在学中に執筆した『葬儀の日』で「文學界新人賞」を受賞しました。純文学系新人賞の受賞者の平均年齢は、20代後半から30代前半であるといわれていて、19歳の若さでの受賞は世間を驚かせるものでした。
その後も数々の賞の候補として選出され、『親指Pの修業時代』で「女流文学賞」、『犬身』で「読売文学賞」を受賞。2017年には『最愛の子ども』で「泉鏡花文学賞」に選ばれるなど、長期にわたり活躍を続けています。
松浦理英子の作品は、人の性を男と女の2つに分類し男女の間に愛が生まれることを当たり前とすること、そこから「外れる」ものをマイノリティと片付けてしまうこと……そんな考え方や風潮に疑問を投げかける、ジェンダー・セクシュアリティを扱うものが多いのが特徴。自分が考えたいことを考え、書きたいことを書くために「センス・オブ・ジェンダー大賞」の受賞を辞退した際は、彼女の人に媚びないジェンダー論が話題になりました。
人と人の交わりや性に関するテーマに切り込むため、きわどい表現も多々見られるのですが、淡々とした口調で語り進められるので、生々しさやいやらしさを感じさせないのが魅力でしょう。
『親指Pの修業時代』のように人々の度肝を抜くようなストーリーや、『犬身』の「あの人の犬になりたい」という衝撃的なキャッチコピーなど、他の作家や作品とは一線を画す独特な作風に、心惹かれずにはいられません。
高校のクラスのなかで飛び抜けて仲のよい日夏、真汐、空穂という3人の少女と、彼女たちを取り巻くクラスメイト「わたしたち」を描いた作品です。
3人はクラスメイトから「わたしたちのファミリー」と位置付けられ、パパ役の日夏、ママ役の真汐、王子様役の空穂として、アイドルかはたまた見世物かのように眺められています。
「女子高生」というラベルを貼られ、世間から関心を持たれたり面白がられている「わたしたち」が、3人をマイノリティとして好奇の目で見ている……その構造や、しだいに3人の関係が崩れていくさまが恐ろしくも美しく描かれています。
- 著者
- 松浦 理英子
- 出版日
- 2017-04-26
この作品の1番の魅力は、読者も気がつかないうちに自然と、マジョリティのなかに引き込まれてしまう点にあるのではないでしょうか。妙に肩入れをしてしまう、話に入り込んでしまうリアルさがあると感じます。
話の主語が「わたしたち」になっていることも大きな引き金ではありますが、3人の関係が親子の愛のようであり、また同性愛的な雰囲気を帯びていくさまを、気づけば外側から見物者として固唾を飲んで見守ってしまう……そんな独特な引き込まれ方をするのです。
「みんなが」「私たちは」と、大きな共同体の一部になろうとしてしまう、また自分と違うものを遠巻きに少数派として好奇の目で見てしまう、そんな思春期の息苦しさにもやもやさせられながらも、何度も読み返したくなる作品です。
以前の恋人に未練を抱いているレズビアンの女性・七島と、男性の世界にうまくなじむことができず、女性との恋愛も知らない中年の男・本田という2人の関係を描いた物語です。
本田は、七島から元恋人のへの悪口や泣き言を聞くことによって、自分は必要とされている、七島と親密な関係を築くことができている、と自己肯定感を高めながら生きています。
3年間友達として同居している2人でしたが、七島に新しい恋人ができたことで、その関係に綻びが。欲望や嫉妬という負の感情が人を狂わせていくさまが繊細に描かれています。
- 著者
- 松浦 理英子
- 出版日
- 2015-01-28
本作の魅力は、なんといっても目を背けたくなるほどの「人間らしさ」でしょう。
友達でありたい、友達として必要とされたい、自分をどれくらい信頼してくれているのか、心を開いてくれているのか……自分と他人を比較して、嫉妬をしたり卑下したり、優越感を抱いたりするさまが描かれています。年齢や状況は違えど、誰しも想像するに難くないものなのではないでしょうか。
本田は中年男性でありながら、こうした感情に振り回され、してはいけないことに踏み込んでいきます。その姿は情けなくも悲しくも見えるのですが、なぜかバカな人間だと一蹴することもできず、それは読み手の側にも人間らしい負の感情があるからだと気づかせてくれる作品です。
松浦理英子が若いころに書いていた作品を集めたエッセイ集です。さまざまなテーマで記されていますが、特筆したいのは表題作である「優しい去勢のために」です。彼女自身の強い信念である「反性器結合中心主義」の考えが色濃く表れた作品だといえます。
性器の結合こそが至上であるという考え方を捨てることがどういうことなのか、その考えを捨てて物事を見るとどう映るのか、そんなことを考えさせてくれるでしょう。
- 著者
- 松浦 理英子
- 出版日
「大抵の人は本格的な恋愛を経験せずに一生を終える」という言葉に、恋愛とは何かを深く考えさせられます。
恋愛とは、性とはこうあるべきだ、という世間一般的な常識や固定観念のようなものは、あまりに巨大な存在で、きっと打ち崩されることはないでしょう。しかし自分がそれに対してどう考えるのか、どんな姿勢を貫くのかは自由だと背中を押されるような気持ちになります。
読者それぞれで受け取り方や、抱く感情が異なること自体が本作の魅力だといえるでしょう。
表題作の「ナチュラル・ウーマン」を含む3つの物語が収録された作品です。主人公は容子という漫画家の女性。彼女と、花世、夕記子、由梨子という3人の女性の恋愛模様が描かれています。
松浦理英子はもともと「反性器結合中心主義」を主張していて、本作ではその表れか、女性同士の恋愛と、性器を用いない性行為の様子も収められているのが特徴です。
- 著者
- 松浦 理英子
- 出版日
- 2007-05-01
本作の魅力は、同姓同士の恋愛を構えずに「普通の」恋愛小説のように読むことができるところではないでしょうか。相手を想うがゆえに悩みがつきない様子は、多くの人が経験してきたものとおんなじです。
しかし本作は、「同性愛者の人たちも普通の恋愛をしています」なんてことを主張しているわけではありません。支配と被支配の力関係、暴力的な性行為、性別に対する考え方など重く苦しい感情のぶつけ合いが読者の心を揺さぶるのです。
感情やエゴのぶつけ合いのなかに、性別観の違いという複雑なものが入り混じり、より生々しく人間くさい物語になっています。
主人公の麻希子は、「物のように扱われたい」というマゾヒズム的な嗜好をもっていて、大学の同級生である背理という女性と主従関係で結ばれています。
この2人を中心に、身体的な不自由がある少年、同性愛者の友人など、いわゆるマイノリティといわれる人々のセクシャリティが描かれている作品です。
- 著者
- 松浦 理英子
- 出版日
- 2007-12-04
麻希子は、恋愛とはいえない関係を自ら望んで背理と築いていました。しかし彼女は、「あえて」小児麻痺になったと自ら言う少年と出会い、惹かれていくのです。
人と関わることの喜び、この関係がいつか終わってしまうのではないかという恐れなど、心の機微が丁寧に描かれています。
また本作の魅力は、作中のさまざまなシーンが繋がっていることではないでしょうか。伏線の回収といってしまえば簡単ですが、この感情はどこからきているのだろうと想像を膨らませながら読むことができ、しかも読むたびに新たな気付きを与えてくえるのです。
「マイノリティを受け入れていきましょう」……そんな安いメッセージは、松浦理英子の作品には存在しません。愛や性を力強く描く、孤独で痛快な作品たちをぜひ手にとってみてください。