スパイ小説の歴史は、第一次世界大戦の前までさかのぼります。国を守るためにさまざまな情報をかき集め、報告する、情報機関というものが生まれた時でした。時に命がけでおこなわれるその活動はやがて小説のテーマになり、そのスリリングな展開から今でも人々を惹きつけます。今回は、そんなスパイ小説のなかでも見逃せない選りすぐりの6作品をご紹介します。
ドイツが東と西に分断されていた時代。イギリスの諜報部員として活動していたリーマスは、とある作戦で失敗を犯し、帰国。左遷、解雇、逮捕と墜ちるところまで墜ちた彼に与えられた次の仕事は、東ドイツの諜報部員として国を売ることでした。
諜報部に利用された人、騙したつもりで本当は騙されていた人、密告のつもりで実は筒抜けだった情報など、予想通りには展開しないストーリーが、もどかしくもスリリング。スパイ小説の代表作です。
- 著者
- ジョン・ル・カレ
- 出版日
正確な情報を盗み出して密告する、相手を攻撃するための弱みを握る……このようなスパイのイメージが覆される作品です。多重にスパイの役割を担い、味方のふりをして虚偽の報告をして失脚を狙うなど、誰が味方なのかわからなくなる騙し合いの世界が広がっています。
リーマスが振り回されて苦悩する姿や、スパイという常に危険と隣り合わせな仕事をしながらも恋をし、後にそれが原因となって窮地に追い込まれる様子は、読んでいて思わず胸が痛くなるでしょう。諜報活動で活躍したとしても、国にとっては使い捨てでしかないスパイという立場の悲しさがあまりに鮮明に描かれています。
非日常的なテーマでありながらも、人間らしいリーマスの生き方に惹きこまれる、読者と不思議な距離を保った作品です。
イギリスの秘密情報部を舞台にした作品です。
主人公のカッスルが所属している部署で情報漏洩が発覚し、二重スパイの存在が疑われます。同僚が殺されこの一件がそのまま闇に葬り去られればよかったのですが、カッスルはある任務を任されたことによって、重大な秘密を知ることになってしまいました。
祖国を裏切るのか、大切な家族を守ることができるのか、そうまでして情報を操作しなければいけないのかと一緒に考え、悩んでしまうでしょう。
- 著者
- グレアム グリーン
- 出版日
- 2006-10-12
殺し合いが何度も起こるわけではなく、スパイ小説のなかでは比較的穏やかに物語が展開していきます。本作の魅力は派手な演出ではなく、スパイ活動をしている人々の心の葛藤や苦しみが、丁寧に描かれているところでしょう。
作者のグレアム・グリーンは実際に諜報機関で働いたことがあるそうで、だからこそ表現できる本当の裏側なのかもしれません。
まるで使い捨てのコマのように扱われるスパイたちですが、もちろん人の心はあるのです。文学的な表現が多く、また翻訳もそれを適切に再現してくれていて、心に響く作品になっているといえるでしょう。
1120年の、イングランド王の息子をはじめ王族や貴族が多数死亡した水難事故「ホワイトシップの遭難」から、1170年のカンタベリー大聖堂の司教トマス・ベケットの暗殺事件まで、12世紀のイギリスで起きた史実をもとにした小説です。
主人公は、大聖堂の建築を目指し奔走するトムと、修道士のフィリップ。第6部までおよそ1800ページに及ぶ物語を追うなかで、彼らの前に立ちはだかる権力をめぐる争いや悪事の数々に圧倒されてしまう、壮大な作品になっています。
- 著者
- ケン・フォレット
- 出版日
- 2005-12-17
トムの建築に対する深い愛と、彼が志半ばになくなった後のフィリップの信念の強さには、思わずため息が出るほど。
スパイ小説と聞いて思い浮かぶような、国同士の争いや殺し合いなどの要素は、多くは見られません。権力を得るために人が醜い争いや騙し合いを続けるさまは、他の作品と一味違った情報戦という印象を与えます。
専門的な知識がなくとも理解できる内容ですが、建築や歴史に興味のある方はさらに深く楽しめるでしょう。
極秘に発足し活動している日本の諜報組織「ZERO」と、中国の諜報活動をめぐる物語です。
主人公は、警察の公安部外事二課という組織で中国の動向を常に監視してきた峰岸。彼が、中国が絡む事件の手がかりを掴むところから物語が展開していきます。
峰岸は、すべての情報を掌握したい「ZERO」から捜査の妨害を受けながら、危険の渦中である中国に潜入をすることになるのですが……。
- 著者
- 麻生 幾
- 出版日
本作の魅力は、公安警察の実態をあまりに緻密に描いた点でしょう。作者が警察内部の人間なのではないかと疑うほど、組織や活動の内容がリアルに表現されています。フィクションなのか、ノンフィクションなのかわからなくさせる臨場感がたまりません。
後半はさらに状況が悪化して、物語のスピード感も加速。最後まで読者を惹きつけたまま駆け抜けます。警察という組織の闇や、国家レベルの攻防など、さまざまな角度から楽しむことのできる作品です。
物語の舞台は、第二次世界大戦前の日本。陸軍の反対を押し切って、D機関というスパイ養成組織が発足しました。
訓練生たちは、D機関を率いる結城のことも、お互いの素性も知らないまま訓練をこなしていくのです。
- 著者
- 柳 広司
- 出版日
- 2011-06-23
D機関が次々と成功を収めていくさまが、連作短編の形で収録されています。
スパイ小説というと難しい印象を受けるかもしれませんが、本作は結城のカリスマ性や、訓練生たちの人並み外れた能力の高さに魅了され、ある種のファンタジーのように読み進めることができるでしょう。かっこよくて、スッキリできる、痛快な要素が満載です。
1つの短編ごとに物語は完結しているので、長編を読むのが苦手な方にもおすすめできるスパイ小説です。
産業スパイ「AN通信」で働く鷹野と、部下の田岡を中心に物語が進んでいきます。
ただでさえ命がけの仕事ですが、心臓には爆弾が仕掛けられていて、機関への報告義務を怠ると命を落とすという鬼畜っぷり。誰も信用できない状況のなかで、走り続ける2人の未来には何があるのでしょうか。
- 著者
- 吉田 修一
- 出版日
- 2014-08-05
工作員としての使命をまっとうするしかない、それを投げ捨てても待っているのは死だけである……あまりにも悲惨な運命にやるせなさを感じながらも、ストーリーは目まぐるしいスピードで展開。読者も振り回されていきます。敵と味方の関係が絶え間なく変化してくので、最後の最後まで結末の予想がつきません。
スケールは大きいにも関わらず、細部の設定や描写が緻密な点も魅力でしょう。そのぶん、物語の世界に入り込みやすくなっています。組織のために動きながらも、いつ使い捨てにされるかわからない……2人の心の葛藤に、一緒に揺さぶられてみましょう。
おすすめのスパイ小説をご紹介しました。どれも手に汗握る展開が続き、ただのハッピーエンドでは終わりません。物語の波に思いっきり揉まれてみるのもよいでしょう。