講談社が主催する「群像新人文学賞」は、歴史と権威ある純文学系の新人賞。これまでも数多くの有名作家を輩出しています。この記事では賞の概要を説明したうえで、歴代受賞作のなかから特におすすめの作品をご紹介します。
講談社が発行する月刊文芸誌「群像」が主催する、純文学系の新人賞「群像新人文学賞」。創設は1958年と歴史があり、規定枚数は400字詰め原稿用紙換算で70枚から250枚と、短編でも応募できるのが特徴です。
言葉や文章の選び方、テンポ、独特の視点、ユーモアなど、他に追随を許さないオリジナリティの高い作品が選ばれています。特に近年では、普通の感覚では読み通せないほどの世界観や技巧を凝らしたものもあり、賛否が分かれるほど。
選考の対象は未発表の作品に限られ、締め切りは毎年10月31日。賞金は50万円。毎年の応募総数が約2000人と多いのは、受賞を逃しても優秀な作品には出版の可能性が与えられているためです。
選考委員は2019年度から高橋源一郎、多和田葉子、柴崎友香、松浦理英子、野崎歓の5人で、3次審査を経た最終に残る作品は5作品程度。そのなかから当選作1つと、他にもよい作品があれば優秀賞が与えられます。
東日本大震災で被災した17歳のサナエは、幼い弟のヒロノリとともに避難所に身を寄せながら、音信不通になってしまった母親を探しています。
「被災した女子高生」は、メディアにとって格好の取材対象。サナエは自分に向けられたテレビカメラを前に、メディアが求めている避難者像に迎合し、奇妙な高揚感を覚えるのです。
- 著者
- 北条 裕子
- 出版日
- 2019-04-19
2018年に「群像新人文学賞」を受賞し、「芥川賞」候補にもなった北条裕子の作品です。受賞後に複数の作品との類似点を指摘されたため、改稿したうえで2019年に単行本化されました。
主人公のサナエが心の内を一人称で延々と綴るスタイルで、未曾有の災害に見舞われた街や人々、メディアの様子がリアルに描かれていきます。
表題にもなった「美しい顔」は、人間の欺瞞を表す偽物の顔。そして醜く鬼のような、真実の顔としてサナエの心を揺さぶるのです。
後悔の念である「もしもの小石」に足を取られ、犠牲者のひとりとなった母親と対峙し、自分自身が偽物の顔を作っていることを自覚する屈折した心理描写は圧巻の一言。読むのが辛いのに目を離すことができない作品です。
在日朝鮮人3世のジニ。日本人の小学校でいじめを受けたため、中学校からは朝鮮学校に進学することを決意しました。しかし朝鮮語を話すことができない彼女は、ここでも孤立し、自分の居場所を見つけられずにいます。
そんななか、北朝鮮からテポドンが発射。その翌日、チマチョゴリ姿で町を歩いていたジニは、警察を名乗る男たちの暴行されました。
この日から、彼女の革命が始まります。
- 著者
- 崔 実
- 出版日
- 2019-03-15
2016年に「群像新人文学賞」を受賞し、「芥川賞」候補にもなった崔実(チェシル)の作品です。単行本化された後は「織田作之助賞」と「芸術選奨文部科学大臣新人賞」も受賞しました。彼女もまた在日韓国人3世で、自伝的な小説だといえるでしょう。
ジニの起こした革命は、学校内で大問題へと発展。そして彼女は精神病院に入院させられ、学校もたらい回しになり、ハワイ・オレゴン州へと向かうのです。
感受性が強いジニは、在日朝鮮人ならではの数々の問題に真正面からぶつかるだけでなく、国籍の問題を超えた「自分は何者か」という問いにも向き合っていきます。それはエネルギッシュで、幸福への手がかりを自分でつかもうとする姿に勇気付けられる一冊です。
主人公の「私」は、叔父と過ごした記憶や、叔父が書いていた日記をもとに草稿を重ね、彼の行動をなんとか小説にまとめようとしていました。
まだ若い叔父は吃音に悩みながら過ごしていましたが、ある日突然治癒し、孤独から解放されます。ところが今度は、定型で凡庸な言葉の渦に嫌悪を抱くようになり、おのれの狂気から逃れるように突然行方をくらましてしまったのです。
- 著者
- 諏訪 哲史
- 出版日
- 2010-07-15
2007年に「群像新人文学賞」と「芥川賞」を受賞した諏訪哲史の作品。前衛的な作中作を取り入れていて、選考委員の評価も真っ二つに分かれたそうです。
叔父は、「ポンパ」「チリパッハ」「タポンテュー」など意味をもたない音を口にして、 凡庸な世界から身をかわそうと孤独で滑稽な闘いを続けます。必要以上に言葉にとらわれていた吃音から解放されたことで、今度は言葉によって律せられることをになり、そこから逃れようとするのです。
「アサッテの方向」という言葉があるとおり、作中では通念から外れた言動を「アサッテ」と表現しています。ともすれば崇高にも感じられる「アサッテ」。私は叔父のアサッテな生き方を小説にすることができるのでしょうか。
29歳になる凛子は、東大を卒業して一流外資系メーカーに7年間勤めた後、弁護士の雄介と結婚して寿退社。今は高級マンションで、専業主婦をしています。
ある日、失業給付金目当てで参加したハローワークの再就職セミナーで、小学校時代に「神童」と呼ばれていた熊沢君と偶然再会するのです。
- 著者
- 朝比奈 あすか
- 出版日
- 2006-09-01
2006年に「群像新人文学賞」を受賞した朝比奈あすかの小説です。
再会した熊沢君は、自分のことを「かつては何者かだったがもう終わってしまったヤツ=Has been(ハスビーン)」と評し、さらには凛子に「昔の自分と似ている」と言ってきました。
たしかに凛子は、はたから見れば完璧な勝ち組ですが、親の価値観に屈して勉強に励み、社会人になってからは適応障害に苦しみ、本物の豊かさのなかで生きてきた夫に劣等感を抱いているのです。
プライドがあるがゆえに満たされない現状にイラつき、自分に期待をするけれど、一体何を求めているのかはわからない……主人公がハスビーンに苦しむ様子がありありと伝わってきて、幸せとは何かを考えさせられる一冊です。
映画学校を卒業した中山唯生。いまは美術の催事場でアルバイトをしている冴えない男性です。
ただ、自分を「特別な存在でありたい」と願う彼の内面は常に燃えさかっていて、ひたすら思索の旅にふけります。
- 著者
- 阿部 和重
- 出版日
- 2001-01-17
1994年に「群像新人文学賞」を受賞した阿部和重の作品です。
唯生は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、大西巨人の『神聖喜劇』、はたまたブルース・リーの武術に対する考察、ローリング・ストーンズの歌詞などを引き合いに出しながら、ひたすら自分語りを続けていきます。
「特別な存在でありたい」という思い自体は明確なのに、曖昧です。本作自体がフィリップ・K・ディックの『ヴァリス』を模倣していると作中で語られているように、唯生の意識の高さが模倣という経路を辿って堂々巡りしている様子が痛々しく描かれています。
結局唯生は、自分が特別ではないと気付くのですが、無力な彼を通してむしろ、創作の奥深い魅力が伝わってくるでしょう。
歴代受賞作を見てもわかるように、「群像新人文学賞」は読書通に喜ばれる要素がギッシリ詰め込まれています。後に有名になる作家も多数いるので、ぜひ注目してみてください。