戦争文学や、亡き妻に思いを馳せた詩など、数多くの名作を残した原民喜。代表作の『夏の花』は教科書にも掲載されているので、読んだことがある方も多いでしょう。この記事では、彼の生涯と、おすすめの関連本を紹介していきます。
1905年11月15日生まれ、広島県出身の原民喜。父は陸海軍御用達の繊維商店を経営し、軍都として栄えた広島で業績を伸ばしたため、比較的裕福な家庭で幼少期を過ごしました。
不自由なく育った民喜でしたが、その後慕っていた父と姉を相次いで亡くしたことで、心に大きな傷を負います。周囲とコミュニケーションをとらない、寡黙な中学生時代を送りました。
その後は慶應義塾大学に進学し東京で生活を始めたものの、左翼運動に参加して挫折したり、女性に裏切られたりと、人間不信に陥っていきます。この頃から新聞に詩を発表しはじめました。
幸運にも、そんななか出会ったのが最愛の妻・貞恵でした。人とうまく関わることができずいつも不安に駆られていた原民喜は、彼女と出会ったことによって心の休まる場所を手に入れたのです。民喜にとって、貞恵と過ごした結婚生活は人生でもっとも幸福な時間だったでしょう。結婚後は千葉県の中学校で英語教師をするかたわら、「三田文学」などに多数の短編小説を発表しています。
しかし、幸せは長くは続きません。結婚後わずか11年で、貞恵が病気のため亡くなってしまうのです。さらに追い打ちをかけるかのように、東京での空襲を避けるため身を寄せた広島で、被爆をしてしまいました。
無数の死を目の当たりにした原民喜は、その後自身の体験をもとに多くの名作を生みだします。しかし45歳のときに17通の遺書を残し、自殺をしました。晩年は、17歳年下の遠藤周作と親交があったそうで、彼に対しても遺書を残しています。
「これが最後のたよりです。去年の春はたのしかつたね。では、お元気で……。」(『遠藤周作宛遺書』より引用)
1945年8月6日の朝。主人公の正三は、厠にいたおかげで原爆の光を直接浴びることはなく、一命をとりとめました。
何とか瓦礫の下から身に付ける衣服を引っ張り出し、逃げた先の川で出くわした次兄と上流へさかのぼっていくと、そこには目を疑うような惨状が広がっていたのです……。
- 著者
- 原 民喜
- 出版日
- 1973-08-01
「夏の花」は、は 原民喜が広島での被爆体験をもとに書いた戦争文学です。原題は『原子爆弾』でしたが、GHQの検閲なども考慮され、改題後、一部が削除された形で1947年に「三田文学」上で発表されました。
それまでの彼の作品は心象風景を描いたものでしたが、「夏の花」では原爆によって破壊された街や、そこに横たわる人々の惨状など、自らの目で見た事象を正確に記録する文体をとっています。原民喜の代表作でありながら、異色を放つ作品だといえるでしょう。
「心願の国」は、晩年の原民喜自身の心情をもとに書かれていて、彼の死後に発表されました。母や姉との思い出や、亡き妻・貞恵への想い、そして広島での爆撃の記憶、Uとの思い出とともに、生との別離と死への憧憬を描いています。ただ暗くて陰鬱な内容ではなく、生への決別を心に決めた晴れやかな文章に見えるのが特徴です。
どちらも彼の著作を読むうえで欠かせないもの。まず最初にお手にとってみてください。
原民喜が幼年時代を追憶して記した短編集。何でもない日常に感じる得体のしれない恐怖や、兄弟との言い争い、夏の日の思い出などが子どもの視点で描かれています。
純粋な心を持ち続けた民喜だからこそ表現できる、色褪せない文章が魅力だといえるでしょう。
- 著者
- 原 民喜
- 出版日
- 2016-08-05
原民喜の死後に刊行された作品ですが、彼自身が短編集としてまとめたもの。収録されたほとんどの作品は、被爆前に書かれています。
臆病で繊細すぎる少年時代の記憶が、瀬戸内の美しい景色とともに描かれているのが特徴です。また現実世界のあいまで時折顔をのぞかせる、もうひとつの幻想の世界にも注目。どこか懐かしく、まるで読者自身も経験したことがあるもののように感じさせてくれるのです。
穏やかな文章で、心地よい読後感を得られるでしょう。
詩人としても活躍していた原民喜。本書は、彼が生前に清書していたものを、死後に友人たちがまとめて発表したものです。
原民喜が編んだ「かげろふ断章」や、その他の拾遺詩篇が収録されています。
- 著者
- 原 民喜
- 出版日
- 2015-07-16
寡黙で、自分の気持ちをうまく声に出して伝えることができなかった原民喜。自らの思いを表現できる唯一の方法が、文章を書くことだったのでしょう。
本書に収録されている詩は、どれも日本語の美しさが堪能でき、読者の心に自然に溶け込んでくるもの。何度もくり返し読みたいと思わせてくれます。
有名な「原爆小景」はもちろん、戦争の悲惨さを訴える詩や、感受性豊かな原民喜の不安や悲哀が滲み出た詩、そして妻への思いを込めた詩など、さまざまな表情をもつ作品たちを堪能してください。
ノンフィクション作家、梯久美子が原民喜の生涯を描いた評伝です。幼少期、青年期、被爆後の生活が「死」「愛」「孤独」という章に分けて記されています。
友人だった遠藤周作が「何てきれいなんだ」と言ったその生涯と死。いったいどのようなものだったのでしょうか。
- 著者
- 梯 久美子
- 出版日
- 2018-07-21
幼いころから繊細すぎた原民喜。本書を読むと、妻の貞恵をはじめ、多くの人に支えられていたからこそ、作家として表現をし続けることができたのだと感じます。あたたかい会話のやり取りなどから、彼の人柄を知ることができるでしょう。
梯久美子の文章は読みやすく、彼女の解釈は織り交ぜられているものの、民喜と関わりのあった人の証言をもとに忠実にその人生を紹介してくれています。さまざまな作品が引用されているので、民喜自身の著作を読む前に本書を手にとってみてもよいでしょう。
2016年に「本屋大賞」を受賞した宮下奈都の作品です。
主人公は、高校生の外村。特に夢をもたずに淡々とした日々を過ごしていましたが、ある日ピアノの調律師の板鳥と出会ったことで、人生が変わります。高校を卒業した後は専門学校を卒業し、江藤楽器で念願の調律師として働き始めることになりました。
そこで個性豊かな先輩たちや、双子のの姉妹のピアノ奏者と出会い、悩みながらも人として成長していきます。
- 著者
- 宮下 奈都
- 出版日
- 2018-02-09
作中で、外村が板鳥に対して、どのような音を目指しているのか尋ねるシーンがあります。そこで板鳥は、自らが感銘を受けた原民喜の言葉について語るのです。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」(『羊と鋼の森』より引用)
板鳥が目指している音をまさに言い表しているこの言葉。原民喜の「沙漠の花」というエッセイから引用されたもので、民喜の理想とする文体を表現しています。外村の心にも強く刻まれ、それから彼は自分の理想の音を追い求めるようになるのです。
原民喜が遺した作品は、多くの人の心をつかんで離さない、美しさを湛えていることがわかるでしょう。