いとうせいこうの思想を感じる8冊!初心者におすすめ文庫本ランキング

更新:2021.12.14

テレビやラジオ、CMなど芸能業界で姿を現すことの多いいとうせいこうですが、彼は文筆家でもあるのです。特に小説は数多くの文学賞でも高い評価を受けており、その筆力と豊かな想像力から生まれる物語は多くのファンを魅了してやみません。今回はそんないとうせいこうのおすすめ文庫本をご紹介します。

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色んな顔を持つ男・いとうせいこう

いとうせいこうは、1961年東京都葛飾区に生まれました。政治家の父親に育てられ、早稲田大学法学部へ進学して法学士となる一方、在学中からピン芸人として芸人活動をはじめるように。父とは全く別方向の道を歩み始めます。

大学卒業後は講談社に入社し、様々な雑誌の編集に携わったのちに2年で退社。退社後はヒップホップのMCとして活動をはじめ、同時に小説の執筆も始めます。お笑い、音楽、文学とクリエイティブな活動を幅広く行なっていました。その後、知る人ぞ知るジャパニーズヒップホップの草分け的な存在となり、1988年には処女小説『ノーライフキング』で三島由紀夫賞、野間文芸新人賞の最終候補作となるも残念ながら受賞とはならず。しかし、選考委員の注目を浴びて小説家としてもデビューを果たすことになりました。

その後、小説活動はしばらく間を空けており、2013年には東日本大震災をモチーフにした『想像ラジオ』でまたも三島由紀夫賞、そして芥川賞の候補作となり、最終的には野間文学新人賞を受賞しています。

お笑い芸人、ラッパー、大学教授、そして小説家と色々な顔を持ついとうせいこう。彼の作品にもその幅の広さ、色彩あふれる雰囲気が漂っています。
 

8位:いとうせいこうの設定のおもしろみを読む『存在しない小説』

本作品は『想像ラジオ』の後に出版された短編小説となっています。世界各国の異なる作家の短編をまとめたものなのですが、この作品は設定が面白い。

その設定とは、まず作者の存在が確かではないこと。ちょっと意味がわかりづらいですが、いとうせいこうは実在の証拠がない作家の作品を翻訳してこの本をまとめているということになります。そして、その作品がこれまで出版されることがなかった、だからこそいとうせいこうが翻訳し、それぞれに編者解説までつけているということ。

世界中の知られていない小説、つまり「存在していないも同然の小説」をいとうせいこうが集めてきてそれを編集してこの短編集を作った、という設定なのです。実は、短編作品はすべていとうせいこうが書いたものなのですが。

著者
いとう せいこう
出版日
2015-12-15

さらにこの本をさらに深くするのは、これらの小説はあくまでそれぞれの名も知らぬ作家が書いたもので、いとうが書いたものではないと断定していることです。だからこそ、それぞれの解説が必要だということなのですが、こうした設定に設定を重ねた本作品は「作家、編者、読者」という存在からなる「小説」というものの在り方を深く考えさせるものかもしれません。

一説によると、いとうはしばらく小説を発表していない期間があったのですが、その期間に書いては捨てていたものを拾っては再構築して、この短編小説を作ったのではないかともいわれています。とにかく、このような作家や読者の関係性を問う作品は他にはありません。

そういった意味でとてもユニークで実験的な作品であり、一読の価値があるものです。ちなみに作品の背景地域はアメリカ、インドネシア、ペルー、日本、香港、クロアチアとなっています。それぞれが完結しており、作風も様々で話の関連性などはありませんが、ひとつひとつが高度に練り込まれ高い文学性を持ったものになっています。
 

7位:現実世界と虚構世界の思想がからまる『ノーライフキング』

1988年に三島由紀夫賞、野間文芸新人賞の候補作となり、小説家として注目されるきっかえけになったデビュー作です。当時はまだ芸人としての活動も行っていた時期だったので、ちょうど『花火』の又吉直樹のような、イメージ的には彼より少しポップな立ち位置で文学界デビューしたようです。

物語の主人公はいたって普通の小学生。学校にも通えば塾にも通う。そして、友達とテレビゲームをして遊ぶ。そんな何気ない日々に、一本のゲームソフトが一石を投じることになります。

「ライフキング」というソフトにはあらかじめ4つのバージョンがあるのですが、ここには不吉な噂が立ち始めるのでした。それは「5つ目のバージョンを見つけないとプレイヤーは死んでしまう」というものです。ありがちな都市伝説のようなものですが、塾にある全国の生徒が互いに答えを教え合うシステム(今でいうチャット)の中でその噂はどんどん広まっていきます。

著者
いとう せいこう
出版日
2008-08-04

塾でのチャット伝いに広まって一人歩きしていく噂に翻弄される子供たちと周囲の人間。ついには小学校の校長がゲームのセリフを叫んで死んでしまうという怪奇的な事件も発生します。社会問題にまで発展した「ライフキング」に立ち向かうため、子供たちは団結し……。

多くの大人にとっては他愛もないことかもしれませんが、当事者である子供たちにとってはまさに死活問題です。その深刻な事態に振り回され、時に勇敢に対処しようとする彼らの姿が作者の筆力により見事に描かれています。

面白いのは、この作品が刊行されたのは1988年で、まだインターネットもほとんど普及していなかった頃に執筆されたということですね。そんな時代にもかかわらず、噂がどんどん人から人へと伝わっていき、それがウソか真実かも分からなくなってしまうところなどは現代にも通じるところがあります。噂というものの恐ろしさを実感するとともに、この時代にインターネットで情報が流布していく様を描いた作者の想像力には脱帽するばかりです。

現実世界と虚構世界を取り巻く問題は現代にも通用するものがあり、ある意味社会派小説ともいえる一冊です。

6位:仏像好きが贈る仏像好きのための『見仏記』

小学生の頃から仏像が好きで「仏像スクラップ」なるものを作っていた、みうらじゅんと、それを見せてもらい仏像に多少の興味を持っていたという、いとうせいこうの2人が、日本中の仏像に会いに行った道中や、その仏像についての想いを綴った、仏像紀行です。

仏像やお寺と聞くと、どことなく堅苦しいような、難しいような印象があるかもしれません。でも、この1冊を読めば、そんな印象きれいさっぱり無くなってしまいます。仏像との対面ってそんなにフランクでも許されるのか、と2人のやりとりから感じ取れるのです。仏像好きが贈る仏像好きの為の、と書きましたが、実は興味の薄い人でも楽しく読むことができてしまうのです。それが本作の最大の魅力でしょう。

著者
いとう せいこう みうら じゅん
出版日

 

なぜ、仏像初心者でも大丈夫なのか、それは巻末の謝辞にて、いとうせいこうが語っています。

「私は仏像に関する専門的な知識を備えている者ではない。ましてや仏教に精通している人間でもないわけで、つまり、まったくの門外漢なのである。そういう″山門の外にいる人間″が、仏像見たさに、どんどん門をくぐってしまった。それが『見仏記』だとも言える。」

(『見仏記』より引用)

もちろん知識はたくさん持っているのですが、仏像を見るという点においては、いとうせいこうも初心者なのです。だからなのか、奈良、京都、東北、さらには九州まで見仏に行くのですが、出逢う仏像の歴史的背景はさほど書かれていません。脚注部分での解説がついていますが、それよりも、生で見た感想、今、目の前にあるという事実について書いてあるので、誰にでも理解できるのです。

そして、その感想が実にユニークで、仏像をそういう風に見る人がいるのかと、笑わせられます。仏像の顔を見て、昔のハリウッドスター系の顔だというその仏像を、実際に見たくなります。それは、みうらじゅんの仏像への熱量と、いとうせいこうの文章だから成せる業なのかもしれません。

 

5位:ベランダはお好きですか?『自己流園芸ベランダ派』

ベランダーとしての2冊目の本です。そもそも、ベランダーとは何か。それは、いとうせいこうの作り出した言葉で、庭を彩るガーデナーに対して、ベランダを彩るベランダーというわけなのです。ガーデナーに敵対心はなく、やっかみはおおいにあるそうです。

著者
いとう せいこう
出版日
2014-07-08

 

本作はベランダーいとうせいこうの考え方が散りばめられた、ベランダ日記のような仕上がりですが、その中で語られる植物に対する向き合い方が、なんとも独自性が強く感じられます。それもそのはずです。なんせ自己流なのですから。

「 「水さえやっときゃなんとかなる」 は嘘である。自分の体でその嘘を体験した俺は、以来肥料にうるさい。何かあるとすぐにまく。水だけじゃダメだ。」

(『自己流園芸ベランダ派』より引用)

と、実体験を植物に当てはめ考えるのです。

この少し斜めとも思える角度からの視点こそ 「いとうせいこう」 らしさであり、魅力なのだろうと感じさせられました。専門的なことを知らない、専門家ではない、あくまでも自己流のベランダーだから見えること、書けることがあるのです。園芸家の皆さん、そして植物に囲まれていない生活を送っている皆さん、この1冊が何かのキッカケになることがあるかもしれませんよ。

 

4位:植物への愛をおおいに語る『ボタニカル・ライフ―植物生活』

 

いとうせいこう当人が『自己流園芸ベランダ派』の中で 「ベランダー界の聖書」「ベランダー界の大法典」と称したのが、本書です。3年強という長い期間の、ベランダに佇む鉢たちの観察記であり、ベランダーとしての奮闘記でもあります。

実に様々な植物が登場します。アロエ、ニチニチ草、ヒヤシンス、アマリリス、サボテンや蓮、朝顔にアラビカ種コーヒーからモミジまで、多種多様な植物たちとの、出逢いと別れが記録されているのです。

ホームページ上で書き始めた手記は、同じくベランダーとして活動している人たちの心に突き刺さり、早く次を書いてほしいと催促が来るほどまでになっていったそうです。そうこうしていく内に紀伊国屋書店の 「i feel」での連載にまでなり、出版に至ったのです。まさに趣味から始まったと言えます。

 

著者
いとう せいこう
出版日
2004-02-28

 

趣味然としているのは、やはり自己流あってこそです。それは、ベランダーという言葉の意味を語るところにも表れています。

「人格の不完全さを植物に見守ってもらっている。ひょっとすると、それがベランダーという言葉の真の意味合いなのかもしれない。」

(『ボタニカル・ライフー植物生活』より引用)

植物と生活を共にするということで味わうことができる喜びや悲しみが、人間社会で生きることに、間接的に、そして時には直接影響を及ぼす。それも、植物が与えてくれる彩りなのだと気づかされるのです。

 

3位:いとうせいこうが震災を考える『想像ラジオ』

多くの文学賞の候補となり野間文学新人賞を受賞した、いわゆる「震災文学」です。前作から10数年を経て執筆された本作品は、作者の文学に対する長い間の思考の結実ともいえるでしょう。

物語はとある山中で「想像ラジオ」が放送を始めるところから紡がれていきます。放送をリードするのは赤いヤッケに身を包んだ「DJアーク」という男。軽快なトークと音楽をはさみながら放送をし、リスナーからのお便りを次々に読んでいきます。放送局に届くお便りは海の底や廃墟といったところからのもの……先の震災の被害者たちから寄せられたものでした。

著者
いとう せいこう
出版日
2015-02-06

そして、このDJアークもまたそのうちのひとりで、彼は自分が亡くなったことをそっちのけで、ただひたすらに夢想するまま存在しない放送局で幻のラジオを流し続けるのでした。彼のラジオはいつまで続くのでしょうか。

これまた『存在しない小説』のように設定が独特な作品です。未曽有の大波に巻き込まれながら、言いたいことも伝えたいことも胸にしまい込んだまま、永遠の時に閉ざされてしまった多くの人たちがいます。そんな人たちの思いを届ける、そんなことをまさに作者の想像力の賜物ともいえる設定と文章で実現したのが本作品なのです。

1万部売れれば御の字という文芸書のなかで、30万部を売り上げるという異例のヒットを記録した本作品は刊行当初ものすごい話題を呼びました。同じ時代にこの大きな事件を共有している人がこの本を読むことに、大きな意義があるのかもしれません。

原発の批判など政治的な言及もなされていることから芥川賞の受賞には至らなかったとされていますが、それだけにメッセージ性の強い一冊となっています。

2位:いとうせいこう、宗教についての思想『ワールズ・エンド・ガーデン』

「ガーデン」とついているので園芸好きの作者であれば園芸をモチーフにした作品かと思いきや、全く別世界のお話です。本作品で描かれるのは、どこか妄想に生きる人間と彼らを翻弄していく宗教の姿……。

物語の主人公は広告デザイナーであった恭一と、不動産業界で生きてきた章平という青年。彼らはある地上げ屋から東京のうらぶれたひとつの街を期間限定で譲り受け、再建を図ることになりました。不動産に精通した章平と街のコンセプトデザインを手がける恭一が作り上げた街は「ムスリムトーキョー」として多くの人に知られることになります。

著者
いとう せいこう
出版日

やがて様々な人が集まってくるようになりました。アーティストやデザイナー、DJなどアナーキーな人々を集めることで、ムスリムトーキョーは彼らの街となり、土地の付加価値も上がっていきます。

事業は成功し請負の期間も終わろうという頃、記憶喪失の浮浪者が街へ紛れ込みます。素性の知れないその男ですが、次々と予言や奇跡的な現象を起こし、人々は彼を信奉するようになります。恭一と章平がてがけた理想郷は、浮浪者の出現と共に崩れ始め……。

この作品の特徴としては、宗教・信仰に憑りつかれていく人々の姿が仔細に描かれており、社会派的な要素が強いことでしょう。人の世はいつの時代も宗教に支えられ、翻弄され、そして度が過ぎれば沈んでゆくものです。

特にこの作品の刊行後に起きたオウム真理教の一連の事件などは、この作品と似通った点がいくつもあり、あの事件を事前に告知していたとも評されるほどです。新興宗教や自己啓発セミナーといったものが身近となってしまった現在でも、十分に共感できることが多い内容です。

『ノーライフキング』でもそうでしたが、時代を超えた普遍的な問題を文章で描き出す作者の力をまざまざと実感させられる作品といえるでしょう。
 

1位:いとうせいこうの代表作であり、名作『解体屋外伝』

本作品は『ワールズ・エンド・ガーデン』でも登場した人物を取り巻く人々の後日譚となっています。普遍的な社会問題を読者に問う前作を、より焦点を絞って掘り下げた深い内容です。

物語は「洗濯屋」と「解体屋」の熾烈な争いによって進んでいきます。「洗濯屋」というのは、人々の持っている記憶を洗脳することで洗い流し、狂信的な教徒に仕立て上げてしまう人たち。それに対抗するのが、そんなもぬけの殻となった人々の記憶を取り戻させ、復帰させる人たちです。基本的にはこの「洗濯屋」VS「解体屋」という図式でお話が進行します。

著者
いとう せいこう
出版日

お話の芯となって作者が読者に問いかけるのは、「何によって自分は自分という存在であれるのか」ということ。確かに、今自分が考えていることは果たして自分が考え出したことなのか、ということは考えてみるとはっきりと答えることは難しいように思えます。自分の存在はいったい何なのか、この問いはフロイトなどの心理学の影響も多分に受けており非常に深遠であるとともに、古代から多くの人に共通するテーマであるといえるでしょう。

また、面白いのは登場人物のセリフやその表現。洗濯屋をウォッシャー、解体屋をデプログラマーと呼び、精神洞窟(ニューロティック・ケイヴ)、自己洗脳(セルフ・ウォッシュ)、意味細菌(ミーニング・ウィルス)などと言葉が専門的でちょっとカッコ良かったりします。

セリフもなんだか力強く、「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」「暗示を与えられたら、その瞬間から徹底的に自己操作しろ。たとえ相手が神だったとしても、だ」など、ともすれば不安定な気持ちを支えてくれるような頼もしい魅力的なセリフがあちこちに散りばめられています。

『ワールズ・エンド・ガーデン』では人間社会の諸相を貫く深遠なテーマが描かれており、本作品はその真髄を突き詰めた内容になっており、訴求性の高い物語となりました。作者の多大なるバックグラウンドと読ませる筆力、そして時代をまたいで読み継がれる本作品は作者の代表作にして文学的にも名著であり、いとうせいこうという作家の作品で一番おすすめできる一冊でしょう。

以上、初めていとうせいこうの作品を読む方へ向けたおすすめ作品のご紹介でした。様々な経歴を持ち、多方面で活躍してきた作者だからこそ見える景色があるのでしょう。その世界は彼の著作を読むことで垣間見ることができるのです。この機会にぜひ手に取ってみてください。

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