本作は、同棲していた恋人との「別れ」から始まる私小説。作者・爪切男(つめきりお)の人生と女性遍歴が独特な語り口でつづられます。人は死にたくなるほど悲しいことが起こった時、負の感情に飲み込まれてしまうのでしょうか?「もしかすると、それだけじゃないかもしれない」と考えさせられる内容です。今回は、読むと温かい気持ちになれる、悲しくも明るい青春小説『死にたい夜にかぎって』を紹介します。
『死にたい夜にかぎって』は、作者・爪切男(つめきりお)の私小説。数々の女性遍歴がつづられた、大人の青春小説といった趣(おもむき)です。情報サイトの日刊SPA!で連載されたエッセイ『タクシー×ハンター』内の恋愛エピソードをまとめ、大幅な加筆修正を経て出版されました。連載時とはかなり内容が異なっているので、当時連載を読んでいた方にも一読いただきたい作品です。
さらに、2020年の春には実写ドラマ化。主人公・小野浩史役の賀来賢人、アスカ役の山本舞香をはじめ、玉城ティナ、小西桜子、中村里帆、安達祐実といった豪華なキャストも話題になりました。
「タクシー×ハンター」には恋愛以外のエピソードもあるので、気になる方はこちらもご覧ください。
爪切男のタクシー×ハンター【第一話】「俺もお前も四天王」 | 日刊SPA!
そんな本作は、6年間も同棲した恋人との別れのシーンから始まります。
物語のキーとなるのは、過去に出会ってきた女性たち。いきなりビンタをかます学校のマドンナや、自転車泥棒をする初恋の少女、カルト宗教を信仰する女性も……。彼女たちとの「風変わりだけど愛に溢れたエピソード」が、ユーモアにあふれる独特な語り口でつづられます。
『死にたい夜にかぎって』の概要は、以下の動画からもご覧になれます。
『死にたい夜にかぎって』爪切男
気になった方は、ぜひ実際に手に取って読んでみてください。一気読み間違いなしの作品です。
賀来賢人が出演した作品を見たい方は、こちらの記事もおすすめです。
賀来賢人が出演した映画、テレビドラマを逆引き!コメディの実写化に定評!
- 著者
- 爪 切男
- 出版日
- 2018-01-26
ちなみに文庫版は、女性グループ・BiSHのアイナ・ジ・エンドによる解説文付きです。
また、ハード版の装画を担当したポテチ光秀による四コマ漫画や爪切男のあとがきも収録されているので、こちらもお見逃しなく!
- 著者
- 爪 切男
- 出版日
- 2019-11-17
ここで、波乱万丈な人生を歩む作者について紹介します。
爪切男(つめきりお)は、1979年生まれ、香川県出身の作家です。同人誌即売会「文学フリマ」では、夫との性生活の悩みを赤裸々につづった私小説『夫のちんぽが入らない』の作者・こだまらと活動し、行列をなすほどの人気で話題となりました。
そこで扶桑社の編集者と知り合い、日刊SPA!での連載がスタート。なかでも、本作のもととなった女性とのエピソードが注目を集めました。
- 著者
- 爪 切男
- 出版日
- 2018-01-26
作者は出会った女性たちに振り回されるにも関わらず、それを受け入れる深い包容力を持っています。女性は素晴らしい存在と考えているため、「深い愛情とリスペクト」があるのです。実は、この性格は彼の生い立ちに起因しています。
じつは、作者が3歳くらいの時に母親が家を出て行ってしまい、生き別れになっています。それからは厳格な父親と祖父母のもと、男性優位の家庭で育てられました。母親のいない環境で育ったため、女性への憧れと思慕(しぼ)の念が強かったのだとか。
また、父親から「辛いことのなかにも必ず楽しみはある」と教えられ、どんな状況でもポジティブ。どん底でも、裏切られても、「まあいいか」で済ませられる明るさを持っています。
本作の魅力は「特濃」といえるほど、登場する女性たちとのエピソードが濃いところ。
初恋の女性が自分の自転車を盗んだり(そしてそれを手助けしたり!)、初めての恋人は宗教に入れ込んでいたり……。自分たちのすぐ隣で営まれている日常のはずなのに、異世界を覗いている気分にさせられます。
そんな風変りな女性たちとの恋愛が赤裸々につづられており、なかにはセックスシーンも。女性たちとの性描写は生々しい部分もあるものの、ユーモアたっぷりに描かれます。いやらしいはずなのに、笑えてしまうところが多く、下ネタが苦手な方も抵抗なく読むことができるはずです。
そんな濃いエピソードを彩るのは、作品全体から感じられる「女性たちへの愛情」。どの女性に対しても、言葉の端々から作者の深い愛情が感じられます。また作者の明るい性格と、苦しくとも笑いを忘れないポジティブさに、読者も魅了されてしまうでしょう。
本作に登場する「強烈な女性たち」から、3人をピックアップして紹介します。作者にとっても、読者にとっても印象に残る、忘れられない女性たちです。
まず1人目は、高校生の時の同級生で学校のマドンナ。当時作者は、成績も見た目も「中の下」だと自嘲するほどさえない人物でした。そんな作者と学校一の美少女……どんな関係だったのでしょうか?
それは、ある日のこと。生物の授業で「人間の顔には、無数の顔ダニがいる」と教えられた後に起こりました。爪切男は、マドンナから突然屋上に呼び出されます。もしや告白かと淡い期待を抱きながら、屋上に向かうと……。
「君の顔のダニを殺してあげるね」
(『死にたい夜にかぎって』より引用)
そこで彼女からもらったものは、愛の告白ではなく、ビンタ。
なぜビンタを食らうことになったのか、理由は語られません。しかし作者は、マドンナが自分の頬に触れてくれるという事実や、「彼女の裏の顔を自分だけが知っていること」が嬉しくなり、それを受け入れるのでした。
ビンタをする者とされる者という秘密の関係は、それから毎日続きました。しかし、ある日突然、彼女が飽きてしまったのか、その関係は終了してしまいます。
それから2人は、卒業まで一言も話さなかったのだとか。青春を「甘酸っぱい」と表現しますが、このエピソードに限っては「酸っぱい」、それすら通り越して「苦い」という言葉が当てはまりそうですね。
2人目に紹介するのは、作者が20歳の時、初体験の相手となった女性・ミキさん。
どうしても性体験がしたかった主人公は、出会い系サイトに「誰か僕の童貞を奪ってください」と書き込みます。断りや誹謗中傷ばかりが届くなか、OKの返事をくれたのがミキさんでした。
交通事故で脊髄損傷し、一生車いす生活を余儀なくされたミキさんは、作者以外にも複数の男性と出会い系サイトで知り合い、肉体関係を持っていました。夏の日、坂の上のラブホテルを目指して、車いすを押す光景は、性交を目的としているにもかかわらず、どこか爽やかな印象です。
性描写には生々しさもありますが、その途中で2人が交わす会話は、男女というよりも人間同士のコミュニケーション。
また、最後の別れの場面は驚きの展開……。思わず本音が零れ落ちるミキさんとの別れは、涙なしでは読めません。彼女の心中を考えると切なく、だからこそ強く印象に残ります。
作者はミキさんとはそれっきり連絡を取ることはないものの、ただの「初体験の相手」ではない、彼女への深い感謝の気持ちを持ち続けています。
さまざまな女性と出会い、関係を築いてきた作者。そのなかでも、もっとも長い時間をともに過ごし作品の軸にもなっている女性、それがアスカです。彼女とは、インターネットのチャットルームで知り合います。
なかなか成果が出せずにいる夢追い人、という境遇が同じであったことから意気投合。趣味嗜好も似ていたことから、知り合って5ヶ月で実際に会うことになります。
アスカとの初対面のエピソードは、かなり強烈。
会ったその日に高級焼き肉店へ連れていかれた作者は「たかり」だと覚悟します。しかし、アスカは札束の入った財布を取り出し、おごってくれるというのです。作者が驚いて仕事を尋ねると、なんと……
- 著者
- 爪 切男
- 出版日
- 2018-01-26
「変態に唾を売って生活してるの」
(『死にたい夜にかぎって』より引用)
爪切男が「その話についてもっと詳しく聞きたい」と思ったように、読者もつい気になってしまう展開です。
この唾売りエピソードもかなり衝撃的ですが、アスカとの6年もの長い同棲生活でも、話題に事欠きません。
精神が不安定になった彼女に首を絞められ、それを許し、なおかつ首を絞められることに楽しみを見出す展開も……。ついには無償の愛に目覚めてしまうなど、作者の奉仕の精神には脱帽です。
本作は、「アスカに別れを切り出されたところ」から過去の回想を経て、再び彼女との別れのシーンに戻ります。
アスカは、作者に多大なる影響と愛情を教えてくれた、運命の女性。彼女との別れは、東日本大震災から1ヶ月後、余震の続くなかで切り出されました。
- 著者
- 爪 切男
- 出版日
- 2018-01-26
同棲中の2人は、はたから見れば大変なことばかり。相手に負の感情を抱いてしまうのでは?と考えてしまいます。しかし、作者からはもちろん、アスカがつづった作者への手紙からも、そんな負の感情は感じられません。
それは作者とアスカが、互いの長所だけでなく短所もまるごと愛し、許してきたからではないでしょうか。許しあえる関係だったからこそ、別れるという選択をした後も、互いに優しさを持って接していられるのかもしれません。
本作の最後には、連載が書籍化されるにあたって、アスカに相談したエピソードが描かれます。
アスカは、本に2人のエピソードを書くことを、少し考えてから承諾します。2人の最後の会話は、爪切男の人生を表す、まさに!な内容。
愛情は「一方的にかけるだけではなく、返ってくるものだ」ということを、爪切男と女性たちが教えてくれる作品です。
本作は、キャラクターが濃い女性たちとの赤裸々エピソードがつづられます。悲しい別れのはずなのに、読後は胸が温かくなる大人の青春物語です。