姿かたちや年齢が変わっても、変わらず愛を貫く……。口では簡単に誓えることですが、実践するのはとても難しいことではないでしょうか。 そんな愛することの理想をテーマに描かれたのが『パパがも一度恋をした』。笑い満載のホームコメディですが、終盤にかけて泣ける展開になってくる、まさに笑いあり、涙ありの物語です。最後まで読めば、純粋な愛に心が浄化されること、間違いなし! この記事では、ドラマ化もされた本作の魅力を、たっぷりご紹介いたします。
タイトルだけ見ると不倫ものなのかと思う人もいるかもしれませんが、本作はドロドロした部分は皆無のラブコメディ。しかし、ただ笑えるだけでない魅力があるからこそ、本作をおすすめしたいのです。
亡くなった妻がおっさんの姿になって戻ってきてからの日常を描くのですが、物語は終始コメディ調。可愛らしい言動の多恵子は、おっさんになってもその可愛さを衰えさせず、生前の姿を想像しないと寒気を感じるレベルなのです。
しかし見た目と中身のギャップによるコミカルな笑いに、夫婦間の性的な問題なども絡んでくるので、笑いとともに考えさせられる部分を読者に残すのです。
また、最後には涙なしでは読めない結末も。序盤の印象からは想像できないほどに、深い部分もある本作の魅力をここからさらに詳しくご紹介していきます!
山下家は3年前に母の多恵子を不慮の事故で亡くしてしまいました。それ以降、父の吾郎は部屋に引きこもり、泣き暮らす日々。娘のトモは母が亡くなってちょうど3年目の日に、いい加減に出てくるように彼に声をかけます。
しかし、誰よりもその死を悲しんでいた吾郎は、自分も多恵子の元へ行くと自殺を企てていたのです……。
不穏な空気を察したトモが焦っていると、突然家の中に恰幅が良く頭が禿げ上がった、見知らぬおっさんの姿が。突然現れた知らない人間に悲鳴を上げるトモでしたが、なぜかそのおっさんは、親しげに話しかけてきます。
しかも吾郎が引きこもる部屋の鍵の暗証番号をあっさりと解除し、にっこりと笑って自分は3年前に死んだ多恵子だと名乗るのでした!
トモも吾郎も信じられませんでしたが、ひとまずそのおっさんと同居生活を送ることに。2人は半信半疑でしたが、多恵子(おっさん)と一緒に生活していくうちに、どんどんと惹かれていくのでした。
中身は元妻ですが、ビジュアルはただの小さくふとった髪の薄い中年男性。ラブラブなシーンももちろんありますが、おっさん受けのボーイズラブにしか見えないという、笑っていいのやら萌えてよいのやら困る場面も多々あります。
ちなみに本作は、ビジュアルと設定のインパクトをそのままに、2020年2月よりドラマ作品が放送。小澤征悦、塚地武雅らで実写化されます。
「おっさん同士の恋」というと少々語弊がありますが、本作は、ビジュアル的には間違いなくおっさん同士の恋愛です。
吾郎は細身のダンディなおじ様といった姿ですが、多恵子が憑依したおっさんは、小柄で立派なビール腹をもち、髪の毛は風前の灯火という、THEおっさん。ついでにアップになると脂ぎった肌もリアルに描写されるため、読者が自然と紙面から顔を遠ざけてしまうくらい、おっさんの特徴が詰め込まれています。
人の趣味趣向はそれぞれなので、絶対に恋に落ちないとは言い切れませんが、多恵子の生前の姿が黒髪で朗らかそうな美人だけに、吾郎の葛藤は人一倍でしょう……。
しかし、外見は内面が現れるもの。最初はただのおっさんに見えますが、おっさんがだんだんと可愛く見えてくるのです。「あれ、おかしいな。おっさん多恵子が可愛いぞ……」と思い始めると、彼(彼女?)にも一度恋をしてしまう吾郎の気持ちが理解できるでしょう。
人間は外見ではなく中身だという言葉を、吾郎はその身をもって証明しているのです。
- 著者
- 阿部 潤
- 出版日
- 2010-01-29
ハートフルラブコメディなので下の部分はお茶を濁すかと思いきや、コメディなので下ネタもたくさん投下されています。序盤から包み隠さず下事情が明かされていくので、あまり得意ではないという方はご注意を。
しかし包み隠さずといっても、男性の生理現象である朝勃起の問題や、おっさんが妻であることを意識した結果、ムラムラしてしまう吾郎など、なんとなく甘酸っぱく感じるエピソードが多いのも特徴。一度は夫婦として生活していたものの、死という別れを乗り越えて再び出会ったことで、初恋のような戸惑いや初々しさが感じられ、ニヤニヤしてしまいます。
中盤は飛ばしすぎるほどの下ネタのオンパレードで、若干ついていけない、という場面もあるかもしれませんが、おっさんでありながらも心は可憐な女性である多恵子にまつわるものなので、汚らしさは感じられません。おっさん多恵子を清涼剤に、下ネタ展開で笑ってみるのもいかがでしょうか。
吾郎はおっさんを多恵子だと認め、再び恋に落ちます。トモは認められないという気持ちを長く持っていましたが、一緒に暮らしていくなかで同じく彼女を実の母親だと認めていくのでした。
その後、賑やかな生活を送っていた山下家でしたが、そんな生活にも終わりがやってきます……。
本作は、愛する人の姿が変わってしまっても愛せるのかという、普遍的な愛に関する問いかけへ、最も美しい形での答えを提示しています。おっさんという姿はかなり極端ではありますが、吾郎は多恵子への愛を貫き通しました。
序盤は生来のダメ人間さとインパクトバツグンの多恵子のビジュアルに情けない姿を見せていましたが、終盤にかけては物語をバチっとしめてくれます。
帰ってきた多恵子との時間が、吾郎にとってかけがえのないものになったのでしょう。最後のセリフはカッコよく、多恵子への変わらぬ愛に溢れていて、涙腺を崩壊させられます。
全体的に笑いが多い作品だからこそ、結末があまりにもきれいなことに驚くでしょう。しかし、奇妙ながらも賑やかな日々こそが、生まれ変わった多恵子が残された家族に残したかったものなのではないかと思うと、彼女の深い愛情に涙が止まらなくなります。
その様子は、ぜひ原作でご覧ください。
- 著者
- 阿部 潤
- 出版日
- 2012-10-30
原作の見所のひとつは、おっさんの姿の多恵子がどんどん可愛くなっていくところ。最初はただのおっさんだったのに、最後には可愛らしいマスコットキャラクターのように変貌して見えてくるのです。
実際に原作では1巻から7巻にかけて、ビジュアルの造形が変わります。1巻ずつ追いかけていた読者からすると愛情もあいまって自然な変化に感じられますが、ドラマでは、生身の人間がそれを演じます。
見た目を変化させることができない人間が、どうその変化を描いていくのか。多恵子役を務めるドランクドラゴンの塚地武雅の演技が見所ですね。
可愛らしい多恵子は原作の中にもたくさん登場しますので、どのように変化していくのか見比べてみるのも面白いかもしれません。
奇抜な設定で笑って泣けるホームラブコメディ作品。さすがにドラマでの下ネタは多少緩和されると思いますが、どこまで突っ込んだ話が出てくるのかにも目が離せません。かわいいおっさんという定義を作った多恵子の魅力、ぜひ感じてみてください。