『三体』は中国発の傑作SF小説です。ヒューゴー賞やネビュラ賞など権威あるSF賞の数々を受賞し、世界的な大ヒットを記録しています。 科学者の不審死を発端として、次々に起こっていく不可思議な超常現象。そのすべては数十年前の文化大革命時代にまでさかのぼり、密かなブームとなっているVRゲームと合わせて、思いもよらないストーリーが展開されていきます。 難解で読みにくい小説となっていますが、この記事ではその難しさを分かりやすく解説。そしてそれを乗り超えて読み進めると、ハマってしまうこと間違いなしの魅力についても語っていきます。
劉慈欣(りゅうじきん、リウ・ツーシン)の『三体』は、2019年でもっとも話題となったSF小説で、「地球往事」と名づけられた3部作の1作目に当たります。
元は2008年に中国で発表された作品でしたが、2014年に英訳版が発売されてから瞬く間に評判が広まり、世界でもっとも権威あるSF賞のヒューゴー賞を受賞しました。アジア人作家が同賞を受賞したのはこれが初めて。前代未聞のすごい快挙です。
バラク・オバマ前大統領やFacebookのマーク・ザッカーバーグなど、各界の著名人も愛読者であることを公言しています。
こういった事前情報から、日本でも邦訳が長らく待ち望まれていました。そして2019年7月に発売されるやいなや、あっという間に10万部突破。昨今の出版界の不況からすれば異例の大ヒットといえます。
『三体』は過去10年間でもっとも優れた作品であり、今後10年間は本作を超える作品が出ることはないでしょう。それほど凄まじいSF小説です。
世界的に大ヒットしているため、そう遠くないうちに本作は映画化されるかもしれません。実はすでにメディアミックスで中国でドラマ化、映画化の企画が進んでいましたが、どちらも頓挫しています(漫画版は連載中)。
それは『三体』のストーリーがあまりにも難解で、壮大な世界観を映像化することが困難だからといわれています。
『三体』が取っ付きにくいことは事実ですが、その面白さは折り紙付きです。ここからは『三体』の難しい点を解説していくので、ぜひこの記事を手がかりにして読んでみてください。
本作『三体』には、おおまかに分けて2つのバージョンがあります。中国で出版されたオリジナル版と、章構成が組み替えられた英訳版です。
オリジナルでは中国の社会的反発を考え合わせて、ストーリーの順序が作者の本来の想定とは変えられていましたが、英訳版以降は正しい形に戻されています。
本筋に大きな差異はありませんが、それぞれの版で微妙にイメージが変わっています。なお、邦訳版は英訳版がベースです。
作中の主な舞台は2010年代の中国です。主人公の汪森(ワン・ミャオ)は、昨今続発する科学者の不審死と関連して、「作戦指令センター」なる軍と警察の共同組織から接触を受けます。
汪森は作戦指令センターの要請で、国際的学術組織「科学フロンティア」をスパイすることになるのですが、その矢先、彼の身の回りで奇妙な出来事が起こり始めます。物理学の常識を覆す体験をした汪森は、やがてVRゲーム「三体」にたどり着き……。
「科学フロンティア」のあやしい動き。汪森の周りで起こる超常現象。科学者の一連の不審死。これらがいったいどう関係していくのか? そしてゲーム「三体」が示唆するものとは……。すべては文化大革命時代に作られた、紅岸基地に繋がっていきます。
- 著者
- 劉 慈欣
- 出版日
- 2019-07-04
『三体』には数多くのキャラクターが登場します。この大半が中国人のため、漢字名の読み方が感覚的にわかりにくいというのは、本作を読む上での1つのハードルでしょう。人間関係が複雑なこともよりわかりづらくなっている原因です。
そこで一見してわかりやすいように相関図を用意しました。登場人物の紹介とあわせてごらんください。
主人公はナノマテリアルを開発する男性研究者の汪森(ワン・ミャオ)です。彼が科学フロンティアに接近したことから、物語が大きく動いていきます。
汪森を影で支えるのが史強(シー・チアン)です。作戦指令センターの実質的統括者、常偉思(チャン・ウェイスー)陸軍少将の下で独自行動しています。口が悪い粗暴な警察官で、汪森は当初反発しますが、何度となく救われることに。
過去パートの語り手となる天体物理学者の葉文潔(イェ・ウェンジェ)は、事実上もう1人の主人公といえます。父であり師でもあった理論物理学者の葉哲泰(イェ・ジョータイ)を文化大革命で亡くしてから、彼女の運命が大きく変わりました。
物理学者の丁儀(ディン・イー)は文潔の娘である楊冬(ヤン・ドン)の恋人で、宇宙論研究者の彼女が自殺したことから作戦指令センターに協力するようになりました。
文潔の夫の楊衛寧(ヤン・ウェイニン)、上司の雷志成(レイ・ジーチョン)はともに故人。文化大革命時代に共産党の極秘プロジェクト、紅岸基地の運営に関わっていました。
そして謎に包まれた組織、科学フロンティアの中枢人物である申玉菲(シェン・ユーフェイ)。なぜか超常現象を知っている素振りを見せて、汪森を間接的にゲーム「三体」へ導きました。同じ科学フロンティアでも、生物学者の藩寒(ファン・ハン)や組織の後ろ盾であるマイク・エヴァンズとは敵対しているようです。
申玉菲の夫、魏成(ウェイ・チョン)は数学の異端的天才で、物語に大きく関連する「三体問題」に取り組んでいます。
タイトルの『三体』や作中に登場するゲーム「三体」は、古典力学にある「三体問題」に由来します。三体問題は惑星や恒星などの天体が万有引力で互いに影響を及ぼす場合、その結果を計算によって導けるかという問題です。
たとえば真空中に物体が1つだけある時、それは永遠に静止し続けます。これが2つになるとやがて万有引力で衝突しますが、この時に2つの物体に同じ方向へ力を与えると、引力が釣り合って安定し互いの周りを回る円運動を始めます。
ところがこれが3つになると、予想は不可能になるのです。3つの物体は常に位置を変え、そのつど、万有引力を発揮するため、すべての軌道が歪み続けていきます。このような、3つの物体の動きを正確に予想できない、というのが三体問題です。
本作には物語全体に三体問題そのものや、3が関係するもの(人物関係や組織の対立構造など)が象徴的に出てきます。これはおそらく、物語や展開が三体問題と同じく予想不能だということを表しているのでしょう。
本作を読みにくくさせているもう1つの要素は、舞台が現代中国だという点でしょう。日本では三国志などの歴史モノが有名で、古代中国については局所的に知られていますが、近現代の中国にはほとんど馴染みがないのではないでしょうか。
そんな中国の近現代史の重大事件で、『三体』でも重要な位置を占めるのが1966年から1976年まで行われた「文化大革命」です。当時の指導者である毛沢東が、国内を社会主義一色に染めるため、資本主義に関係するあらゆる要素(思想、学問)を徹底的に排除しました。
この文化大革命のあおりを受けて、作中では文潔の父・哲泰が共産党の学生運動家に無惨に殺されてしまいます。同時に、中国は文化大革命を機に良くも悪くも生まれ変わった、ということが強調されます。
個人ではどうしてもあらがえない時代の流れと支配者の権勢。それは後々に、物語の行く末にもリンクしていきます。
作者はこういった設定に政治的意図はないと明言しています……が、これを踏まえて客観的に現実の中国を見ると、どこか中国共産党の一党独裁に対する批判のようにも思えてきます。
本作をSF小説と思って読み始めると、いきなり文化大革命時代の凄惨な歴史が語られるので、多くの人は面食らうでしょう。
作中には合計で3つの時代と世界が出てくるのですが、舞台変遷のわかりづらさが難しさに繋がっています。3つの時代と世界とは、文潔の視点で語られる1970年代(過去)、汪森が主軸となる2010年代(現代)、そして地球上とはあらゆる法則が異なるVRゲーム「三体」の世界(仮想現実)です。
物語の主軸はあくまでも2010年代ですが、断片的に描かれる1970年代の出来事がキーポイントになります。ゲーム「三体」は設定がややこしいこと、三体問題がストレートに関係すること、さらにどう本筋につながるのかが不透明なため非常に厄介です。
これらの時代と世界が順不同に入り乱れ、ストーリーに登場することが本作の難解さの一因になっています。
このあとは、そんな難しい部分を乗り越えてでも読んでほしい、本作の魅力をお伝えしましょう。
- 著者
- 劉 慈欣
- 出版日
- 2019-07-04
ここまでは『三体』の難しい点をご紹介してきましたが、それらは同時に本作の魅力でもあります。
難しいポイントとしてあげた文化大革命時代、現代、VRゲーム。これらの時代と世界は、物語が進むにつれて関係性を色濃くしていきます。
一見すると断絶した時代、世界のように思えるそれらが、複雑にリンクする地続きのものであることがわかってくるのです。後半にすべてがつながり、1つのストーリーに収束していく展開は圧巻。
1巻のラストには驚くべき事実が明かされますが、そこに至るまでに丁寧に段階が踏まれるので、読めば読むほど面白くて作品の魅力にハマってしまいます。
汪森は作中で超常現象に幻惑されますが、読者は作品そのものに魅せられて幻惑されるでしょう。作中ではシェイクスピア『ハムレット』の名言「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」が意味深に引用されますが、その真意も後々、明らかとなってきます。
これ以降はそんな魅力のポイントを詳しくご紹介していきましょう。
文化大革命、三体問題の他にも出てくる謎めいた物理学の話や超常現象、これらの難解な要素は序盤のうちからいくつも出てきます。初めて読む方は面食らうかもしれませんが、そこを超えさえすれば後は面白くなる一方です。
本筋のSFとは無関係に思える文化大革命時代の出来事、技術の喪失も、後に大きな分岐点であることがわかってきます。
不変であるはずの物理学の絶対性が崩れる……やがてストーリーはそんな突拍子もない方向へと変化していきます。
ですが、序盤からずっと現実的な理論に基づいた設定が積み重ねられていくので、まったく違和感はありません。むしろ説得力すら感じられます。
そして徹底して理詰めで説明されるファンタジーを排除した世界観だからこそ、汪森を襲う超常現象の恐怖感が増幅されるのです。この全編に広がる説得力こそ、本作を傑作SFたらしめる魅力といえます。
VRゲーム「三体」の複雑怪奇な設定も非常に魅力的です。
ゲームの舞台はタイトルと同じ「三体」と呼ばれる世界で、三体問題が現実的脅威として人々の身に降りかかっています。三体世界は太陽が昼夜をきちんと巡る短い恒紀と、太陽の出現がまったく予想できない乱紀に分かれています。
恒紀と比べて過酷な環境の乱紀が圧倒的に長いため、三体世界の人々は生態として「脱水」と呼ばれる仮死状態になる能力を持っているほどです。三体世界の文明は乱紀をやり過ごし、恒紀で栄え、そして環境の激変で滅びるということを数十万年繰り返しています。
実はこの恒紀と乱紀は、三体世界に太陽が3つ存在することが原因。ゲームの目的は三体世界の謎を解き明かし、3つの太陽の正確な予想を立て、安定した文明を長期間維持することにあります。
このゲームの面白さは、興亡をくり返し、そのつど進歩する文明が、地球の歴史を模しているところです。中国王朝に似た文明では始皇帝が登場し、中世ヨーロッパに似た文明ではガリレオやアリストテレスが出てきます。
プレイヤーたる汪森はそこで三体世界の文明を観測したり、介入することで進化をうながしていくのです。最終的に三体世界は地球を凌駕する科学技術にまで到達します。
しかしその段階に至っても、3つの太陽を克服することは困難なままです。
果たしてゲーム「三体」の世界を救う方法とは……? 意味深な展開が、後に作中の現実とリンクしていきます。
- 著者
- 劉 慈欣
- 出版日
- 2019-07-04
常偉思の作戦指令センターは、科学者達の相次ぐ不審死、自殺の捜査を行っています。自殺者はすべて科学フロンティアに関係していたこと、自殺した楊冬が「確かな物理学などない」と書き残していたことがわかっています。
そして今度は汪森の身に、彼が撮影した写真だけに写り込む謎のカウントダウン、物理的にあり得ない宇宙の明滅という超常現象が起こり始めるのです。
これがいったい何を意味するのか、科学フロンティアとどう繋がってくるのかは、徐々に解き明かされていきます。科学者の不審死事件から、宇宙スケールの謎に発展していくミステリー展開は、突飛ながらもとても興味深くて面白いです。
そしてラストの直前に発せられる衝撃的なメッセージは、登場人物はおろかすべての読者に強烈な印象を与えます。
「おまえたちは虫けらだ」
(『三体』より引用)
この物語の結末がどうなるのか。続きが気になってあっと言う間に読み終えてしまうことでしょう。
- 著者
- 劉 慈欣
- 出版日
- 2019-07-04
本作の続編『三体II:黒暗森林』は2020年に発売の予定されています。未読の方はもちろん、既読の方も予習のために『三体』を読んで、2作目が出るのを首を長くして待ちましょう。