文芸

内田百閒おすすめ作品5選!読まないのはもったいない!

更新:2020.12.2 作成:2016.12.10

コワモテの顔とは裏腹に、間の抜けた人柄とユーモラスな存在で知られた内田百閒。今回は、希代のユーモリストとして知られた百閒のおすすめ作品5選をご紹介します。

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内田百閒ってどんな人?

1889年、内田百閒は造り酒屋のひとり息子として岡山県で生まれました。16歳の折に、『吾輩は猫である』を読んだことから夏目漱石に傾倒。高等学校を卒業後、東京帝国大学へ進学します。専攻はドイツ文学でした。

22歳の時、東京内幸町の病院で静養中だった夏目漱石と初対面し、その縁から小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平などの漱石の門下生たちと知り合います。

大学卒業後は、陸軍士官学校をはじめ、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語教官を歴任。その傍ら随筆風の作品を数多く発表します。この時期の代表作は『件』、『冥土』、『百鬼園随筆』など。

戦後は、大阪へ汽車旅行をした経験をもとに執筆した『特別阿房列車』をはじめとする「阿房列車」シリーズや、愛猫「ノラ」が失踪した経験を下敷きにした随筆集『ノラや』、内田百閒の代表作の一篇として名高い『サラサーテの盤』などを発表。1967年、芸術院会員に推薦された際に辞退の理由を述べた「イヤダカラ、イヤダ 」という言葉は、百閒の人柄を表すものとして世に広く知られました。1971年、東京の自宅で老衰のため死去。享年81歳でした。

夏目漱石への愛は深く、かくも尊い……

本書は2部構成をとります。すなわち、内田百閒が在りし日の漱石との出来事を記した第1部、漱石の門下生として百閒と親しかった芥川龍之介の回想を綴った第2部から成ります。本書の読みどころは、何と言っても全体の半分以上を占める、夏目漱石の回想を綴った第1部にあります。

百閒にとって、漱石はいつも雲の上の存在でした。漱石の前に出ると、あまりの緊張にろくに口を利くことも出来ず、いつも黙りこくってしまう百閒でしたが、内に秘めた漱石への想いは、誰にも負けません。百閒の果てない漱石愛がひしひしと伝わってきます。

 

著者
内田 百けん
出版日


『吾輩は猫である』を執筆した漱石の黒檀の机に憧れて、百閒が職人に命じて同じ寸法の机を作らせたかと思えば、漱石が着けていた前掛けに憧れては、さっそく自ら前掛けを着用して真似をするなど、百閒のコスプレぶりはとにかく圧巻です。

譲り受けた漱石の原稿用紙に付着した鼻毛を、百閒がわざわざ箱に封入して大切に保管するといった、漱石コレクターの称号にふさわしい収集癖も健在。とにもかくにも、百閒の尽きない漱石愛を、本書でじっくりと受けとめてください。

 

目的がないからこそ旅にでる!鉄道文学の嚆矢となった記念すべき随筆集

本書は、語り手の“私”が、弟子の“ヒマラヤ山系”と列車旅行へ出かける内容を綴った随筆集です。旅に出る目的がないにもかかわらず、旅に出ることそのものを目的として、ふたりは列車旅行へと出かけます。ふたりの要領を得ない軽妙な会話が、その旅に彩りを添えます。

用事のない旅とは、いささか贅沢な旅だと思うかもしれませんが、そうではありません。なにせ“私”は、この目的のない旅のために、わざわざ借金まで重ねて1等客車に乗るのですから。したがってタイトルの「阿房」とは、「あぼう」と読むのではなく、わざわざ「あほう」とフリガナが打たれているほど。こうしたふたりのひどく変わった旅の内容が綴られることになります。

 

著者
内田 百けん
出版日
2003-04-24


文学には「鉄道文学」というジャンルが存在します。その代表格に挙げられるのが、『お早く御乗車ねがいます』などの著作がある阿川弘之、『時刻表2万キロ』や『最長片道切符の旅』など筋金入りの鉄道ファンで知られた宮脇俊三です。そんな彼らに大きな影響を与えたのが、いちはやく鉄道関連の著作を刊行した内田百閒その人なのです。本書はそのような意味で、鉄道文学の嚆矢として記念すべき随筆集となります。ちなみにこの3人は、鉄道文学の御三家に数えられています。

この本に興味をもたれたら、他の二人の著作に手をのばしてみると、それぞれの旅の違いが見てとれて、面白く感じられると思います。まずは、“私”と“ヒマラヤ山系”の軽妙な掛け合いが冴える、本書を心ゆくまで堪能してください。

ある日、私は妖怪に変化して……夢と現が交錯する不思議な世界

短編小説の「件」は、内田百閒の代表作として名高い一篇です。この作品は、古今の物語によくある“変身譚”が主題となります。語り手の私は、果てない原に立ちすくみ、どうした訳か、半人半牛の姿に生まれ変わっています。そんな私には予言の能力まで付与されています。そういつの間にか私は、あの幼少の頃に聞いた「件」の化け物に成り変わっていたのです。

森閑とした野を破るように、聞き覚えのある人々のざわめきが私の耳に届いてきます。人々は、見覚えのある友人や親類たちのようであり、私の予言を耳にするために、次々とこちらへ押し寄せてくるのです。友人たちは、いまかいまかと周囲を取り巻きにして、私の言動を仔細に注視します。そして……。

 

著者
内田 百けん
出版日
2007-11-20


私が変身する「件」とは、江戸時代以降に各地で目撃された“半人半牛”の姿をした妖怪のこと。この妖怪が口にする予言は、必ず的中すると人々に恐れられました。私はあろうことか、何の前ぶれもなく「件」に変化してしまったのです。友人や親類たちは、近寄ることもなく心配することもなく、変わり果てた私の姿を、見世物を眺めるように遠巻きに見つめ続けるのです。

白昼夢を見るようなこの不思議な物語は、すっきりとした結末が与えられていないために、さまざまな解釈が成り立つ作品です。これは「件」という妖怪に仮託した百閒の本性に触れたものなのでしょうか。それとも無意識の澱にたまった百閒の心の断片を小説へ移し替えたものでしょうか。一度ならず、何度も読み返して、この不思議な世界を味わってください。

 

あられもない借金師・内田百閒は、本日も金策に駆けまわる!

百閒は借金の名人でも知られました。「無恒債無恒心」(むこうさいむこうしん)は、借金まみれの内田百閒こと百鬼園先生が、友人知人の間をまたにかけ金策に走り廻り、たちまち給料日には借金取りがその懐のお金を奪っていく、あられもない生活の一端が覗く随筆です。

しかし、さすが百閒先生。自らの俳号を冠した“百鬼園”という三人称の語り口と間の抜けた独特なユーモアがブレンドされて、作品全体は滑稽味の効いた明るい調子に貫かれています。お金が底をつくという味気のない日々が、真面目くさった筆致で綴られていくところに作品の面白味があります。借金まみれで七転八倒する姿は、どこか悲惨を通り越して笑いがこみ上げてくるほどです。

 

著者
内田 百けん
出版日
2002-04-25


ところで、「無恒債無恒心」とは、「恒産無くして恒心無し」という中国の故事に由来します。「恒産」とは、財産や職業のことであり、「恒心」とは、人間の道徳心のことを指します。この句は、一般の人々は生活が安定しなければ、立派な道徳心を育むことが出来ないことを戒めた、孟子の句から付けられています。百閒が自らの生活を省みて、このようなタイトルを付けたのでしょう。

本書に綴られた百閒の生活ぶりを目の当たりにすると、仕事をする本来の目的は、借金を重ねることにあるという錯覚を抱きそうになりますが、むしろ百閒からすると、借金に追われる人間のあり様こそ、本来の人間の姿だという皮肉混じりの主張が聞こえてくるかのようです。内田百閒の人柄を知る上で、ぜひ読んでほしい一冊です。

黒澤明監督の映画作品『まあだだよ』の原作となった随筆集

『まあだかい』は、内田百閒が還暦を迎えた翌年から、大学の教え子らが中心となり開催された「摩阿陀会(まあだかい)」という祝賀パーティーの内容を綴ったものです。本書の読みどころは、教え子たちの前で挨拶をする百閒の名スピーチにあります。偏屈とユーモラスで知られた百閒のヘンチクリンなスピーチに触れると、読者は思わず笑いがこみあげてくるでしょう。

 

著者
内田 百けん
出版日


漱石を師と仰いだ内田百閒が先生となり、今度は教え子たちから歓待されることになります。「まあだかい(摩阿陀会)」という会名は、還暦を迎えてもなお、あの世から迎えがこないのかと、教え子たちが皮肉を込めて、百閒を揶揄することから命名されたものです。百閒に劣らず、教え子たちもユーモアと諧謔たっぷりに百閒を歓待します。そんなパーティーに出席する百閒と教え子たちの関係は、何とも魅力的に読者に迫ってきます。

また「まあだかい」の内容を綴った一連の随筆は、映画監督・黒澤明の晩年の作品『まあだだよ』の原作となりました。随筆を読んだ後は、あわせて映画を鑑賞すると、原作では感じられなかった会場の雰囲気やその様子などが、リアルに感じられると思います。原作と映画では、設定が異なるところなどが多々見受けられますが、『まあだだよ』とあわせて楽しめる作品です。

 

以上の5作品をご紹介しました。一見タイトルを眺めると、堅苦しい作品を想像するかもしれません。しかし本編の中身は、良い意味で予想を裏切ってくれます。特に内田百閒の随筆は笑えるような作品が多いのが特徴です。読まないのはもったいない!この機会を利用して、百閒世界を存分に堪能してください。