人類の歴史は感染症との闘争史ともいわれるほど、世界各地で感染症との闘いがおこなわれてきました。そのなかで唯一、人類が撲滅できたのが、「天然痘」です。この記事では、その症状や起源、ヨーロッパやアメリカなど各地の流行の歴史、ワクチンなどをわかりやすく解説していきます。おすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。
「天然痘」はボックスウイルス科に属する「天然痘ウイルス」によって引き起こされる感染症のこと。「疱瘡(ほうそう)」「痘瘡(とうそう)」とも呼ばれています。
天然痘ウイルスは、長径で約300ナノメートル、短径でも約250ナノメートルと、ウイルスのなかでも大型のもの。主な感染経路は飛沫や接触で、潜伏期間は7~16日間。初期症状は40度前後の高熱、頭痛、腰痛などです。
発熱後は3~4日で熱は下がるものの、頭部や顔面を中心に、皮膚と同じ色かやや白い発疹が発生。やがて全身に広がっていきます。
1週間ほど経つと発疹が化膿して膿疱となり、再び40度前後の高熱が出ます。またこれらの症状は皮膚だけでなく内臓にも現れるため、肺が損傷すると呼吸困難となり、最悪の場合は亡くなってしまうことも。多くの人は、2~3週で快方に向かいます。治癒後は抗体を得るため、再び感染することはありません。
天然痘ウイルスの感染力は非常に強く、膿疱がかさぶたとなってはがれたものでも、1年以上感染力を保持するといわれています。
天然痘の原型となるウイルスは、もともとはラクダがもっていたものだとされています。
紀元前11世期頃、ユーフラテス川の上流に定住していたアラム人がラクダを家畜化していました。彼らはラクダを使ってシリア砂漠などで貿易をおこなっていたのです。またラクダは移動手段としてだけでなく、食べることもあり、生き血を飲む習慣もありました。こうして人とラクダが密接に関わるようになったことで、ラクダ固有のウイルスが人に感染し、天然痘ウイルスに変化したと考えられています。
歴史上もっとも古い天然痘の記録は、紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争です。また、紀元前1141年に亡くなった古代エジプトのファラオ、ラムセス5世は、ミイラに瘢痕があることから、天然痘で亡くなった最古の人物だとされています。
古代ギリシアでは、紀元前430年に「アテナイのペスト」と呼ばれる疫病が発生しましたが、これは記録されている症状から、ペストではなく天然痘だったと考えるのが一般的です。さらにローマ帝国で165年から15年間続いた「アントニヌスの疫病」も天然痘だといわれていて、この時は少なくとも350万人が命を落としました。
中国では南北朝時代の495年に流行した記録があります。朝鮮半島を経て、日本でも6世紀から8世紀にかけて数度の大流行が起こりました。
特に735年から738年にかけての流行では、政権を担っていた藤原四兄弟をはじめ、当時の人口の3割にあたる約150万人が命を落としています。後の荘園制への道を拓いた「墾田永年私財法」や、奈良の大仏でお馴染みの「東大寺盧舎那仏」、各地への国分寺の建立などは、天然痘からの復興を目指す社会政策として実施されたものです。
また伊達政宗が右目を失明した原因は、幼少期に天然痘に罹患したから。そのほか源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石など多くの歴史上の人物も天然痘にかかっています。
アメリカ大陸には、もともと天然痘ウイルスは存在していませんでしたが、コロンブスが上陸して以来、白人やアフリカから連れてこられた黒人奴隷によって持ち込まれ、免疫のない先住民族に甚大な被害が生じました。死亡率は実に9割に達し、部族が丸ごと全滅した例もあります。
イギリスでは、ウイルスに汚染された毛布などの物品を敵対する先住民族に送り、発病を誘発することで民族浄化を図るなど、武器として用いられたこともあるそうです。
古くから、天然痘に感染し治癒した人が強い免疫をもつことは知られていました。紀元前1000年頃には、天然痘患者の膿を健康人に接種し、軽度の発症を起こして抗体を得る「人痘法」がインドで開発されています。しかしこの方法は予防接種を受けた者のうち2%が亡くなるなど、安全性に課題がありました。
18世紀なかばになると、「牛飼いは天然痘にかからない」という農民たちの言い伝えにもとづき、牛の病気で人間にも移ることのある「牛痘」に罹患した人が、天然痘の免疫を獲得できることが判明。牛痘は、発症したとしても瘢痕も残らず、軽度で済むのが特徴です。
これを受けて、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーは、使用人の8歳の息子に対して実験を実施。牛痘を接種して罹患させた後、天然痘を接種して、天然痘にかからないことを確認しました。
1798年、ジェンナーは『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行して、牛痘による予防接種「種痘」を公表します。この論文は1799年にはラテン語とドイツ語、1800年にはフランス語とイタリア語、1801年にはオランダ語とスペイン語、1803年にはポルトガル語に翻訳され、急速に普及していきました。
アメリカでは第3代大統領トマス・ジェファソンが率先して種痘を受け、フランスではナポレオンが全軍に種痘を命じています。さらにスペインが世界各地の植民地に種痘を広めたことで、天然痘の流行は徐々に消えていきました。
日本では、1792年に秋月藩の藩医である緒方春朔が「人痘法」を実施しています。1810年には、拉致されたロシアで牛痘の接種を学んで帰国した中川五郎治が、帰国後に種痘をおこないました。
1858年には伊東玄朴、戸塚静海、大槻俊斎らが江戸に「種痘所」を設立。明治維新後の1876年には天然痘予防規則が施行され、幼児への種痘が義務付けられました。
世界中で予防接種がおこなわれるようになると、20世紀のなかばには先進国を中心に天然痘の撲滅に成功する地域が現われます。日本でも1955年に天然痘が撲滅されました。
1958年、「WHO(世界保健機関)」の総会にて、ソ連の生物学者ヴィクトル・ジダーノフが「世界天然痘根絶決議」を提案し、全会一致で可決されます。
この決議にもとづいて、世界のすべての人に予防接種をおこなう「皆種痘」で、天然痘の根絶を目指すことになりました。しかし医療組織や行政組織の整備が不十分な発展途上国では、実施が事実上不可能。
そのためWHOは1967年に方針を転換し、天然痘患者を発見した者に賞金を与えることにします。患者が発見された場合、発病1ヶ月前からの行動履歴を洗い出し、接触した可能性のある人を対象に集中的に接種をおこないました。
これにより、1970年には西アフリカ全域で、1971年には中央アフリカと南米で、1975年にはアジアで撲滅に成功。1977年のソマリア人青年を最後に、自然感染の天然痘患者は報告されていません。
WHOはさらに3年間の経過観察を経て、1980年5月8日、人類初にして歴史上唯一の感染症に対する勝利宣言「地球上からの天然痘根絶宣言」を出しました。
現在、自然界には天然痘ウイルスそのものが存在しないとされていて、研究のためにウイルスを保持しているのもアメリカの疾病予防管理センターと、ロシアの国立ウイルス学・生物工学研究センターの2ヶ所のみです。
しかし、ソ連崩壊の混乱に紛れて国外に持ち出された可能性が指摘されていて、北朝鮮やフランスが密かに保有しているという声もあります。
また種痘を受けた人でも免疫の持続期間は5~10年間とされているので、現在、天然痘の抗体を保持している人はいません。そのため、仮に天然痘ウイルスが流出し、生物兵器として用いられた場合、その被害は甚大なものになるだろうと危惧されています。
- 著者
- ジェニファー・ライト
- 出版日
- 2018-09-12
本書は、人類の歴史に大きな影響を与えてきた病気を取り上げ、症状や歴史などを、当時の文化と関連付けながら解説している作品です。ピックアップしているのは、天然痘をはじめ、アントニヌスの疾病、腺ペスト、梅毒、結核、コレラなど。
病が蔓延すると、恐怖にかられた人々の間にはさまざまなフェイクニュースが流れ、通常であればとらないであろう行動をするのが恐ろしいところです。私たちの日常がいかに脆弱かといこと、そしてそのような絶望的な状況でも諦めない人がいるという事実がわかるでしょう。
いつもどこかで起きている感染症について、考えるきっかけになる一冊です。
人類と感染症の歴史
本書は、人類と感染症の歴史を紐解くことで、人がなぜ感染症に怯え、どのようにして生き延びてきたのかを明らかにしようと試みているものです。
人類は医学を発達させ、感染症が「神の怒り」や「呪い」の類ではなく、「ウイルスがもたらす病気」であることを明らかにしてきました。それでも、ウイルスが目に見えないため、感染症に対して多大な恐怖を抱いています。人類が天然痘の撲滅に成功したのは、症状が目に見えるもので、患者を特定するのが容易だったことが挙げられるでしょう。
感染症の歴史を辿ると、打ち勝つ最善の方法が「ウイルスの脅威を正しく知り、正しく恐れること」であると痛感するはずです。