「ホンシェルジュ」編集部の大学生インターン・吉野シンゴのセレクトで、独自のファンを持つ読書ブロガーの方々に書評を寄稿していただきました。 今回は、ブログ「俺だってヒーローになりてえよ」を運営する読書中毒ブロガー・ひろたつさんに、数学ドキュメンタリーの名著『フェルマーの最終定理』について語っていただきます。読むだけで頭が良くなる(!?)『フェルマーの最終定理』の面白さとは?
どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
出会い頭からいきなり何ですが、私はかなりのバカです。勉強は大嫌いだし、基本的に脳みそを活動させること自体が嫌いである。
そこで、バカな私は常々願っていることがある。 「読むだけで頭が良くなる本って、ないかなぁ」。
そしてきっと、私と同じような願望を抱いている人がいるのだろう。ビジネス書がバカみたいに売れているのが、なによりの証拠だと思う。大丈夫か日本。抱くなら大志だろ。
ということで今回は、そんな願望をお持ちの皆さんに、「読むだけで頭が良くなる本」を紹介したいと思う。
……いや、訂正しよう。
「読むだけで頭が良くなったような気になる本」である。
脳みそハッピーな人々を満足させようと思ったら、これはもう「なんか俺、頭良くなったちゃったかもw」と勘違いさせるしかない。
では、皆さんにいい夢を見させてくれる作品を紹介します。
- 著者
- サイモン シン
- 出版日
- 2006-05-30
タイトルの字面を見ただけで「小難しそうな本だ」と拒否反応を示す方がいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
人は見かけで判断できるかもしれないが、本はそうじゃない。読んでみるまで、どんなワンダーランドが待っているか分からないものだ。
数学の世界とは、我々一般人が思っているよりも遥かに人間臭く、ドラマに満ちている。その魅力が存分に楽しめる一冊が本書である。
17世紀、とある変態数学者がいた。
彼はたったひとりで黙々と数学を研究し、新たな発見があっても、誰に発表するでもなくひとりで勝手に納得して満足し、また新たな問題へと取りかかっていた。
しかしこの変態数学者が亡くなる。
自分のためだけに行われていた彼の偉大にして変態的な研究は、彼の遺品を整理した息子によって、遂に日の目を見ることとなった。
そして決定的な瞬間が訪れる。彼の遺品のノートに書かれていた、とある記述が発見されたのである。
そこには、こんな言葉が書かれていた。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」
(『フェルマーの最終定理』より引用)
この瞬間から、世の数学者たちを魅了し、狂わせ、ときには命さえも翻弄する問題が世界へと解き放たれた。
その問題の名こそ、「フェルマーの最終定理」。
人を狂わす悪魔の名前である。この問題を前に、数えきれないほどの命が散っていった。
そして、「フェルマーの最終定理」と数学者たちの戦いは、なんと3世紀にも渡って繰り広げられた。
この天才数学者たちの熱い戦いと感動のドラマを、誰にでも分かりやすくまとめてくれたのが、この作品である。
- 著者
- サイモン シン
- 出版日
- 2006-05-30
メインで描かれているのは「フェルマーの最終定理」という大問題についてだが、この問題を立体的に理解させるため、話は古代から始まる。
「数学」と一口に言っても、いま私たちが学べるような数学の形になるまでには歴史がある。それこそ古代ギリシャの時代には、数学は宗教と同じ分類だった。学問としてまだ確立していなかったのだ。
数学が時代とともにどうやって形を変えてきたのか。歴史上の数学者たちは、どのように数学に影響を与えきたのか。
本書では、数学を大きなひとつの物語として、その歴史をドキュメンタリー形式でまとめあげている。
数学の歴史は、数学に狂ってきた人間たちの物語でもある。だからこそ、とても人間臭く、ときには血生臭くもある。
読みながらエキサイトできるはずだ。たぶんびっくりすると思う。
「数学ってこんなに面白かったのか!」って。
物語が進み、近代数学の時代に突入してくると、数学は一気にレベルアップ。まったく意味が分からないレベルになる。なんてったって、天才数学者たちが頭を悩ませているレベルの話なのだから。
なので、数学自体が分からなくなっても、まったく問題ない。
本書の著者であるサイモン・シンは、ドキュメンタリー番組制作に携わっているほどの優れたストーリーテラーなので、数学が分からなくても楽しめるようにちゃーんと配慮してくれている。
「フェルマーの最終定理」に翻弄される数学者たちを見ているだけで、めっちゃ面白い。超興奮する。
作者の語りが上手く感情移入できるのも、この作品の魅力である。
普段であれば、遠い世界にいる天才数学者たちがやけに身近に感じる。彼らの苦悩がまるで自分の苦悩のように感じられるのだ。
読んでいる最中の、まだフェルマーの最終定理が証明されていない段階の私は、完全に迷える数学者だった。自分がめっちゃレベルの高い数学者になったような気分になれる。
なんなら『フェルマーの最終定理』を持ち歩くときも、あえて表紙が周りの人に見えるように持っちゃうし。
会社でこれ見よがしに持ち歩いていて「ひろたつさん、難しそうなの読んでますね」とか声をかけられたりするのだが、そしたらチャンスだ。「いや、別にそうでもないよ」とまるで普段から数学に興味があるかのように振る舞える。頭が良さそうに見せられる絶好の機会である。
本の中身も最高に楽しめたけど、こういうときが一番楽しかったかもしれない。
そして、もちろんこの作品は、「フェルマーの最終定理」が証明されることで終わりを告げる。
ここね、もう信じられないぐらい感動する。なんなら泣いたし。まさか数学に泣かされるとは思わなかったよ……。
あなたの人生で、数学に泣かされた経験があるだろうか。数学の先生に泣かされた経験がある人はいても、「数学」そのものに泣かされる人は少ないだろう。
ということで、必読の名作である。
頭が良くなったような気になれるし、周囲からも頭が良さそうに見られるし、中身は面白いし、感動もできちゃうしで、いったい一石何鳥なのか分からないレベルだ。ぜひとも実際に読んでみて、何鳥だったかカウントしていただきたい。
- 著者
- サイモン シン
- 出版日
- 2006-05-30
そんなわけで、好き勝手に記事を書かせていただきました。
普段は読書中毒ブロガーを名乗り、「俺だってヒーローになりてえよ」というブログで書評や愚痴を不特定多数の方へ無差別に提供する活動を行なっています。
そんな私ですが、僭越ながら「ホンシェルジュ」での連載のご依頼をいただき、本の紹介をさせてもらうこととなりました。
この連載では、とっ散らかっていることこの上ない読書遍歴の中でも、「この本は人様に薦めないわけにはいかない!」と思えた作品を、厳選して紹介させていただくつもりです。
また、生粋の読書家である私が、普段から抱えている鬱憤や怒りなどについても書かせていただくつもりです。
次回の記事は、早速ですが「鬱憤や怒り」に寄ってお話ししたいと思います。テーマは、読書好きとしては絶対に外せない話題であろう、「積ん読」についてです。
本好きの方々は軽々しく「積ん読」をしがちですが、それがどれだけ罪深い行為なのか考えてみました。乞うご期待。