村上春樹のおすすめ小説、エッセイ、絵本11選!幻想と不条理の世界

更新:2021.12.16

村上春樹は、ノーベル賞が発表されると必ずと言って良いほどノーベル文学賞の候補に話題が挙がる、世界的作家です。今回は春樹の短編、エッセイのおすすめをご紹介したいと思います。

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日常に割り込んでくる異物達を描く、村上春樹

村上春樹は、1949年、京都府に生まれ、早稲田大学に入学するまで関西で暮らしていました。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞をとり、作家としてデビューします。

そもそも、村上春樹が小説を書きはじめたのは、野球場でバッターがボールを打った瞬間「そうだ、僕にも小説がかけるかもしれない」と思ったのがきっかけだったそうです。その後の春樹の活躍からみてもまさに天啓としか言えません。

そしてふと思いついたというデビュー作が、春樹が初めて書いた小説だったということがエッセイに述べられていますが、実はこのデビュー作を書いた時、春樹は書き上げるまで試行錯誤を繰り返したそうです。

最初に仕上げられた草稿を読んだもののピンと来ず、春樹は文学とはこういうものという既成概念を捨てて、自由に書こうと思いました。そこで春樹が思いついたのは、文の出だしを英語で書くこと。外国語で書くという不自由が、無駄な文をそぎ落とさせ、限られた単語の組み合わせで文が作れるようになったとのことです。

そうして得た文章リズムでもう一度小説を書き直し、村上春樹は作家デビューを果たします。春樹は翻訳家としても有名ですが、小説も英語から確立していったというのは驚きです。

奇妙な図書館で「僕」は羊男と出会う

オスマントルコ帝国の税金の集め方を調べていた「僕」は、カウンターの妙な老人に連れられて、図書館の地下へ案内されます。そこにあったのは大がかりな迷路。驚きながら老人の後をついていく「僕」が迷路を抜けてたどりついた部屋は、閲覧室でした。

その奥にいた、羊の格好をした羊男は「僕」の登場を戸惑ったように見つめます。老人は羊男に「僕」を読書室に連れていくよう促します。しかし、読書室とは真っ赤な嘘で、そこは牢屋だったのです。羊男は、老人の目的は「僕」に本を暗記させて、その知識の詰まった脳みそを吸うことだと僕に明かすのでした。

 

著者
["村上 春樹", "佐々木 マキ"]
出版日
2008-01-16


「羊男」は、『羊をめぐる冒険』他、村上春樹作品に登場するキャラクターです。顔の所が開いている、ほんものの羊の毛皮をすっぽりとかぶった、つぶらな目の男という描写から、かなり親しみを感じるキャラクターに作られているのではないでしょうか。

佐々木マキのユーモラスなイラストもあって、読者の好感度が高いのではないかと思います。

純朴で、ドーナッツを作るのが上手な羊男。そして、牢屋の生活で出会った美しい少女。不気味な老人の元で親切にしてくれる羊男と少女は、主人公に寄り添う存在でもあります。老人に囚われている彼らは、この図書館の地下から抜け出すことが出来るのでしょうか。

そして、この物語の最後をどうとるか、立場や年齢によっても、様々な解釈があるでしょう。人によっては読むたびに、感想が変わっていくかもしれません。

村上春樹と佐々木マキのコンビで作られたこの『ふしぎな図書館』は、子供のための童話のように見えて、中に不思議と不条理をはらんだ、大人になるほど深く楽しむことが出来る物語です。

羊男はクリスマスのために奔走する

羊男は、羊男協会からクリスマスのための楽曲を作曲してほしいと頼まれます。クリスマスにはまだ日があるとたかをくくっていた羊男でしたが、なかなか曲を作ることが出来ません。気がつけばクリスマスまで残すところあと四日。公園で困り果てていた羊男でしたが、そこに羊博士が通りかかりました。

博士に相談したところ、彼はこう言います。

「呪われておるから君はピアノも弾けんし、作曲もできんのだ」
(『羊男のクリスマス』より引用)

十二月二十四日の聖羊祭に、穴の開いたドーナッツを食べたせいで羊男は呪われたのです。この日は、聖羊上人が穴に落ちて亡くなった日なので、聖羊祭に穴の開いたものを食べてはいけないという掟があります。

その呪いをとくためには、穴に落ちなくてはなりません。穴に落ちた羊男はその先で、顔がねじりドーナツのようにくるくるねじけた奇妙な男と出会うのでした。

 

著者
["村上 春樹", "佐々木 マキ"]
出版日
1989-11-08


穴の先で変わった者達と出会っていく羊男ですが、穴の先の不思議な世界という展開は、不思議の国のアリスを思い起こさせます。

208、209と番号の入ったシャツを着た少女は「双子と沈んだ大陸」という村上春樹の他の短編でも出てくる人物ですが、このように色々な所に同じキャラクターが顔を出すスター・システム的な要素も、春樹作品の面白いところです。

そして他の作品では孤独で奇妙な男という印象が強かった羊男ですが、他にも羊男が存在していて協会もあり、なおかつ聖羊上人などという聖人までいる、とても由緒正しく横のつながりがあるような設定が、作品を明るい雰囲気にしています。

ねじけ男、208、209の双子、海ガラスの奥さん、そして聖羊上人。賑やかに出会いを重ねていくこの羊男は、他の作品の彼にあったような孤独の影などみじんもありません。最後は心が温まるようで、まさにクリスマスにふさわしい作品だと言えるでしょう。

人間とは何かを考察する短編小説集

短編集『レキシントンの幽霊』の中にある「緑色の獣」は、村上春樹の不思議な短編の中では珍しくわかりやすい話だと思います。登場人物は「私」なる既婚者の女性と、「私」がよく話しかけていた椎の木の根元から這い出てきた、緑の鱗で長い鼻を持つ、奇妙な話し方の「緑色の獣」のふたりです。

「緑色の獣」は地上へ這い出すと、「私」の家に長い鼻で鍵をこじあけて侵入し、にやにや笑います。そして獣は、人の心を読めるのです。ここまではひたすら不気味な生き物に思える獣ですが、彼は「私」に危害を加えようとしているわけではありません。獣はおもむろにこう言います。

「ねえ奥さん、奥さん、私はここにプロポーズに来たですよ」
(『レキシントンの幽霊』より引用)

さらに獣は「私」に愛を訴えます。

「私はあなたが好きで好きでたまららないからこそここに来たですよね。私は深い深いところであなたのことを想つておつたんですよ。それで我慢がきかなくなつて、ここに這い上がつてきたたたですよ。みんなとめたですよ。でも私は我慢ができんかつたですよ。結構勇気もいりりましたよ」
(『レキシントンの幽霊』より引用)

この非常に一途で真摯な告白を「私」はにべもなく心の中ではねつけます。それだけで、心が読める獣は悲しみの色を浮かべ、体も小さくなってしまいます。怖ろしい見かけであるにもかかわらず、思いを読んだだけで傷ついていく獣を「私」はどんどん傷つけ、「私」の心の中の残酷性があらわになっていく過程は本当に怖ろしいです。

読むほどに、本当に怖いものは何かという事を、考えさせられます。

獣が美しい外見であったのなら、人のようであったのなら、ふたりの間はもう少し違った関係になったのでしょうか。

 

著者
村上 春樹
出版日


「氷男」では、「私」は人ではない氷男と出会い、結婚します。自分の事を知ってくれて、愛してくれる氷男との結婚は、周りから祝福されずとも穏やかなものでした。

しかし、何の変化もない日々の繰り返しに苦痛を感じ始めるようになった「私」は氷男に旅行に行くことを提案します。あまり乗り気でない氷男のため、南極なんてどうかしら、と彼の興味をひくような場所を提案した「私」ですが、それはふたりの間に大きな変化をもたらすきっかけとなるのでした。

「氷男」は、定義づけが難しいラブストーリーです。人間ではない氷男と結婚した「私」は、関係が破綻するわけではありません。むしろ、より結びつきが強固になったようにみえるのですが、「私」本人から見れば、幸せなどとは言いきれないでしょう。

「私」にとって人でない者と、反対を押し切って結婚するということは問題ではありませんでした。ただ同じ事の繰り返しの生活が苦痛になった時、変化を望んだせいで「私」は取り返しのつかない人生の急展開を迎えることになります。

氷男との恋の悲劇の原因は、相手に迎合しすぎた事か、単調な毎日に耐えられなかったことなのか、色々考えられますが、現実の結婚生活に重ね合わせてみれば案外こういう事は起こりうることなのではないか、と思ってしまえるのが怖いところかもしれません。

愛されていても、かけがえない者を得たとしても「私」はもう元の私に戻る事はないのです。

その猿の病は、人の名前を取ること

ときどき自分の名前が思い出せなくなった、から始まるこのお話は、名前にまつわるジェンダーをテーマにしたのかと思いきや、まるで怪談を聞いているような、不気味な雰囲気に変貌していきます。

「安藤みずき」は、結婚して大沢から安藤に苗字が変わりました。最初は違和感があったものの、名前になれてきた二年目、なぜか彼女は自分の名前を忘れていきます。

身分証がなければ、自分が誰だかわからない事に悩んだ彼女は、カウンセラーに相談に行きます。カウンセラーと話すうち、みずきは、高校時代のあることを思い出します。

横浜の寮がある高校に通っていた時、彼女は松中優子という少女と話すようになりました。美しく、何もかもに恵まれているように見えた彼女ですが、彼女は自分の寮の名札をみずきに託した後「いない間に猿にとられたりしないように」そんな妙な冗談を残して、謎の自殺を遂げてしまったのです。

その名札を自分のものと一緒にしまい込んでいたことを思い出し、みずきは名札を探します。しかし、名札を入れた封筒は忽然と消えていました。そうして二か月が過ぎたある日、カウンセラーは名前忘れの原因を見つけた、と言います。彼女が取り出したのは、みずきと松中優子の名札でした。それを盗んだという犯人のところに、カウンセラーはみずきを連れていきます。

そこにいたのは、椅子に縛り付けられた一匹の大きな猿でした。なぜ名前をとったのか、そう問われた猿は「わたしは名前をとる猿なのです」と真相を話し出すのでした。

 

著者
村上 春樹
出版日
2007-11-28


「品川猿」は、まるで現代版『耳袋』のような『東京奇譚集』の中でも、とびきり奇妙で、ストーリー性のある作品です。話をする動物というのは、村上春樹の作品では珍しくないのですが、この猿は、話せる上に奇妙な力の持ち主です。

心を惹かれる名前があると、ついつい盗んでしまい、名前と一緒に悪しき物事も引き受けるというこの猿は、人の悪しき物事を見抜くことすらでき、みずきは抱えていた問題をずばずば言い当てられてしまいます。動物と言うより、もはや妖怪や妖精の一種と言っても過言ではありません。

猿に言い当てられたことはみずきもわかっていたことでした。自分の内面をつきつけられ、それでもみずきはその事実を受け止めます。このようにしなやかに強い女性は、春樹作品によく登場し、物語を凜とした雰囲気にまとめ上げてくれます。

また、話を聞いただけで色々な背景が見えてしまうカウンセラーは、このカウンセラーを主役にまた作品が作れそうな、ユニークな能力を持った魅力的なキャラクターです。

春樹作品の奇妙なキャラクターは、いきなり登場し、登場人物の人生を左右するような不思議な影響を及ぼすことがしばしばあります。出会い頭の事故のようなものであり、気に入られたら最後と言っていいかもしれません。しかし、受け取り方で人生を好転させる――少なくとも悪化させずに生きていくことが出来るという好例のようなこの物語は、人生の落とし穴に対する対処の仕方も示しているかもしれません。

問題から逃げず、受け止めようとするみずきには、ある種のあきらめも感じられます。しかし、それでいて芯の強さを感じさせる彼女は、人ならざるものに振り回されることもなく、「安藤みずき」としてこれからも生きていけることでしょう。

永遠の記憶に生きる事は可能なのか?

主人公「僕」が、友人「キヅキ」、その恋人「直子」、大学で出会った一歳年下の「緑」との出会いと別れの中で、「生と死」について考え成長していく過程を描いた一編です。

高校生の僕は、「わかりあえないぐらいなら、友人なんていない方がましだ」と考えていたこともあり、キズキ以外に友達はできませんでした。

ある日キヅキから彼女を紹介されます。それが直子でした。

3人は、キヅキが間に入らないと、会話がうまく出来ませんでした。僕と直子には共通の話題が無かったからです。

そんなある日、キヅキは自宅で練炭自殺をしてしまいます。遺書もありませんでしたから、原因は分かりませんでした。キズキの死で僕と直子も自然と疎遠になりました。

著者
村上 春樹
出版日
2004-09-15

大学生になった僕と直子は再会し、時々デートをするようになり、直子はキズキと付き合っていた頃の「性」の悩みを打ち明けたりします。そして直子の家で、彼女の20歳の誕生日パーティーが開かれた夜、僕は直子とセックスします。しかしその日を境に直子は僕の前から姿を消してしまいました。

直子が姿を消してから、僕は文学部の1年後輩の緑と付き合い始めます。でも心の何処かではいつも直子を探し続けていました。そしてついに直子の居場所を見つけ……。

作者は、生と死は二律背反ではなく、隣り合わせの現実であり、「性」と「生」もまた同じだと言いたいのかも知れません。

文学というより恋愛小説という言葉が似合う本作は村上春樹入門にぴったりの作品です。ぜひ。

本当の自分に出逢う為に、人は誰かと関わるのです!

本作は第一部「泥棒かささぎ編」第二部「予言する鳥」第三部「鳥刺し男」の三部構成になっています。全体を貫いている3つのテーマがあります。自分以外の「人」や「社会」との結びつきの大切さ、人間の心の中に潜む複雑な感情、妥協しないで戦いつづけることの意義です。 

勤めていた法律事務所を辞めて家事(主夫)に専念している主人公亨は、雑誌編集者として働く妻クミコと、平穏な結婚生活が送れていると思っていましたが、クミコは突然姿を消してしまいます。

自分の気持ちを優先していた、と反省した亨は、クミコが出て行ったのは、そんな自分に愛想が尽きたからだろうと、彼女の気持ちを理解しようとします。

時間が経つにつれ、それは自分の独りよがりの「逃げ」ではないかと考え、自分にとってクミコという存在がどれ程大切であったかに気付くのです。これはこの物語のテーマのひとつでもあります。

著者
村上 春樹
出版日
1997-09-30

クミコの失踪の原因を追ってゆくうちに、亨は彼女の兄(マスメディアの寵児となっている綿谷ノボル)が、今回の家出に何らかの影響を与えているのでは?と思い始めます。

ノボルは過去に、近親相姦という黒い噂を持った人物でもありました。人間が心の奥底に潜ませている不気味な感情(ねじ緩め鳥的感情)、この物語のふたつ目のテーマでもあります。

クミコに去られた後、亨は井戸の底に降ります。見上げると上方に丸い光が見えました。暗い井戸の底で見た光、亨はその光に向かって戦い続けようと決心します。様々な障害を乗り越え、彼(ねじまき鳥)はクミコを救い出すのです。

どんな時でも、戦う手を緩めればそこですべてが終わってしまいますが、どんな時でも、この機会が今だけしかないと認識すれば、人は目的を達成できるもの。「あきらめ」は最大の「敗北」だと作者は言いたいのだと思います。

ファンタジックでとにかくスケールの大きな一編です。

村上春樹が小説と創作について、あますところなく語ったエッセイ

村上春樹のデビュー作については冒頭で述べましたが、春樹は他にこのエッセイで「小説家になった頃」「文学賞について」「さて、何を書けばいいのか?」など、興味深い事を語ってくれます。

「小説家になった頃」で、春樹は応募したデビュー作が最終選考に残ったことを電話で知ります。そんな事を聞いたなら大喜びしそうなものですが、春樹は、あまり実感が湧かず、奥様と散歩に出た時に伝書鳩を保護して交番に連れて行ったそうです。

温かく降り注ぐ日差しの中、春樹は、はっと自分は新人賞を獲ることを確信したそうです。あまりに小説的で、フィクションかと思ってしまいそうですが、創作を始めた時、そして新人賞を獲得した時も春樹は卓越した直感力を見せました。この天から降ってくるようなインスピレーションこそが、村上春樹の才能であるかもしれません。

 

著者
村上 春樹
出版日
2016-09-28


「文学賞について」では、芥川賞候補に二度なりながら、ついに獲得にいたらなかった話などが述べられています。芥川賞をもらわなくて何か損をすることがあったか?という自問自答には、思いつかないと答えています。

村上春樹はやはり「小説家になるために、どんな訓練なり習慣が必要か?」といったような質問を多く受けるようです。これに対して「さて、何を書けばいいのか?」では、本をたくさん読み、物語をたくさん体に通過させていくこと、そして、自分が目にする事を観察する習慣を身につけておくこと、と述べています。そして、正しいリズムを求め、音楽を演奏するような要領で文章を作る、それが村上春樹にとって大事な要素なのだそうです。

メディアからのインタビューをまとめた

1997年から2009年までにわたる日本と海外のメディアからのインタビューを一冊の本にまとめたものです。13年間のインタビューがまとめられただけあって、内容はかなり充実しています。特に海外メディアからのインタビューは、海外の目から通した村上春樹を知ることが出来て、大変興味深いです。

『ねじまき鳥クロニクル』は海外で最も知られている春樹の小説であるなど、トリビアのような情報がそこここに見られて大変面白いです。

 

著者
村上 春樹
出版日
2012-09-04


そして、創作についてはこんな事が語られています。ラブストーリーの図式や、SFやハードボイルドの図式などを好み、あるいはそれらを混ぜ合わせるのはなぜかとたずねられた村上春樹は、読書遍歴を語ります。トルストイやディケンズなど十九世紀ヨーロッパの古典に親しみ、高校の時からチャンドラーやカート・ヴォガネットなどを英語で読み、このあたりが自分の教養の基礎になったそう。

おそるべき高校生だと感じてしまいましたが、高校の読書体験がその後の村上春樹の小説家と翻訳家というふたつの仕事の基礎になっていると思うと、若い時の積み重ねの影響力の強さと大切さを思いしらされます。

また、読者からの質問を集めたインタビューでは、「小説のプロットは経験に基づいたものですか、それともすべて想像の産物なのですか?」といった質問も飛び出します。春樹は百のうち九十は想像だと答えながら、周りの様子を観察するのが好きで、そういういろんな要素を組み合わせて物語を作るそうです。

質問に対して村上春樹が丁寧に、時には奇想天外な回答も交えながら語っていくこのインタビューは、純粋な読者にとっても、非常に面白く読めると思います。

走り続ける作家、村上春樹

村上春樹は1982年の秋に走り始めてから、ほとんど毎日ジョギングし、レースにも参加し続けてきたそうです。そんな春樹が走ることをテーマに書いたこのエッセイでは、小説についての考え方がしばしば述べられています。

まず、マラソンと小説を書くことの類似点をあげて、小説を書くことはフル・マラソンを走ることに似ている、と村上春樹は語ります。フル・マラソンのランナーは順位を気にせず勝ち負けはない、そして、小説も勝ち負けはなく、自分の設定した基準に到達できるかどうかが何よりも大事だという言葉は、文学界を走り続ける春樹だからこそ言えることでしょう。

 

著者
村上 春樹
出版日
2010-06-10


「僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」という章では、首都圏のマラソン事情と、「小説家にとってもっとも重要な資質」という質問に対する村上春樹の回答がのせられています。

小説家にとってもっとも重要な資質は才能だと春樹は言い切り、文学的才能は前提条件だとの考えをみせています。そして、その次に重要なものは小説を書き続ける集中力と持続力であるという論は、非常にまっとうです。集中力と持続力は才能と違ってトレーニングすれば後天的に獲得できる、そのためには机に向かって日々休まず書き続けることを体に覚え込ませる必要があるという、当たり前のようで実行し続けるのは信念がいる事をやり続けてきたであろう村上春樹は、資質を兼ね備え息を吸うように実行してきたことでしょう。

長編小説を書くことは肉体労働。そう考える村上春樹は、小説を書くことについて走り続けることで学んだそうです。休養の仕方、どれほど集中すれば良いのか。そうやって学習したことを、春樹は小説に還元します。書くことと、走ることは作家村上春樹の車輪の両輪と言って良いかもしれません。

日本の代表的作家を村上春樹が紹介する

村上春樹は長編小説を書く方が心惹かれるけれど、短編小説を書くのは個人的楽しみだと述べています。実験の場として使うこともあるようで、何本もの短編小説を精力的に執筆し続けてきました。

作家は短編を書く時には失敗をおそれてはならない、そんな信念を持つ村上春樹が、自らが面白く読んだ短編小説を若い読者に案内するべくまとめたのが、このエッセイです。

 

著者
村上 春樹
出版日


春樹は、小説を書くためには本をたくさん読むべきだと言っていましたが、日本の小説はあまり読んでこなかったそうです。海外の小説を、多くの場合英語のままで読んで日本語の文章の書き方を確立してきたという春樹は、日本の文学にふれる機会は少なかったとのこと。

かなり独自の道を歩んできた村上春樹ですが、長い海外生活をおくるうちに日本の文学に触れたいと思い、日本の文学作品を買い込み海外で読むうち出てきた何人かの作家を、この作品で紹介しています。

そして、春樹のように日本の小説を系統的に読んでこなかった若い人々を念頭においているので、日本文学を敷居が高く感じている方も、入りやすいのではないでしょうか。

あげられている短編小説は吉行淳之介「水の畔り」、小島信夫「馬」、安岡章太郎「ガラスの靴」などをはじめとした六作品。村上春樹の独自の視点で融通無碍に語られます。

後書きで春樹は、世界にひとつとして同じ本の読み方はなく、気に入った本について心ゆくまで語り合えることは人生のもっとも大きな喜びだと言っています。村上春樹の意見を尊重し、追体験するも良し、春樹の意見をとっかかりに新たな視点から小説を楽しむも良し、心のおもむくままに楽しい読書体験をしてみてください。

村上春樹と読者達の一問一答

村上春樹は、非常にサービス精神の高い作者です。世界的な人気を持つにもかかわらず、新しい試みにどんどんチャレンジし、それを成し遂げています。この『村上さんのところ』は、読者から期間限定でメールで質問を受け入れ、それを村上春樹自らが回答していくという画期的なもの。集まった質問はなんと三万七四六五通というから驚きです。その質問から選りすぐり、村上春樹は全て自分で回答を返したというから、脱帽するほかありません。

そんな読者から集まった質問は、自由すぎるものばかり。「食卓日記をお願いします」と昨日食べたものを質問するなどは序の口、春樹を合コンに招待したり、ひとりおでんをしてもいいですよね?という雑談のようなものまで様々。

もちろん創作に関しての質問も幾つかあり、この回答からは、村上春樹の具体的な執筆方法を知ることができます。

 

著者
村上 春樹
出版日
2015-07-24


まず、「小説の人物相関図書いてますか?」という質問では、長編小説にはチャートを作っていると回答しています。時系列も表を作り、両方手描きでやっているということです。しかし、途中でわからなくなり、一回書き上げてから調整するそうです。

「結末はいつ考えているのですか?」には、書きながら考えるとのこと。最初から決めてしまうと、書くのがつまらないそうで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はどうしても結論が決まらず、何通りかのバージョンがあると述べています。他の結末も見てみたくなりますね。

そして「どのくらい推敲するのでしょうか?」という質問には、推敲は最大の趣味ですと言っています。大体の流れのままに小説を書き、後からしっかりと手を入れるそうです。推敲に大事なのは親切心だという村上春樹。このように具体的に創作の技法を教えてくれるのは、読者としてもこれから小説を書きたい人にも嬉しいですね。

直感に素直に身をゆだね、自分の感じたとおりに小説を書き続ける、それが村上春樹の一番の創作の秘訣なのでしょう。創作をされる方、そしてもちろんハルキストの方々にぜひ読んでいただきたいエッセイばかりです。

謎の多い短編は、人によって解釈が色々だと思います。読み返すうちに解釈が変わることもあり、何度でも楽しんで読めることも、村上春樹の作品の良さだと思います。短編集にはここにあげた他にも面白い作品が数多くあるので、みなさんの好みの物語を見つけてみて下さい。

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