文芸

宮城谷昌光おすすめ作品ベスト5!中国の偉人たちを描く、壮大な歴史小説

更新:2016.12.21 作成:2016.12.21

中国史小説界の重鎮、宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ)。彼の描く古代中国の世界には、現代と変わらない人々の姿や時代を動かした傑物たちが登場します。今回は宮城谷昌光のベスト5作品をご紹介します。

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宮城谷昌光が描く、中国史の魅力

宮城谷昌光は、1945年生まれの愛知県出身で、愛知県の高校を卒業後、早稲田大学で英文学を専攻しました。

中国の歴史というと、三国志を思い浮かべるという人が大変多いと思います。しかし三国志は中国数千年の歴史の中のほんの数百年に過ぎず、中国の歴史を語る上で重要な時代とは言えません。

中国の歴史の魅力は、何と言ってもその壮大さにあります。中国では数十万単位の兵を簡単に動員し、兵糧を与え、巨大な合戦を何度も行います。日本史ももちろん面白いのですが、スケールの大きさという点では中国史には残念ながら敵いません。

その中国史の古代を特に描くのが、宮城谷昌光です。司馬遼太郎に見出され、現在に至るまで精力的に活動する姿は、他の歴史小説家の手本となっていると言っていいでしょう。

古代中国。我々の想像の及ばない世界をいきいきと書き出す、宮城谷昌光のベスト作品5つをご紹介します。
 

5位:司馬遼太郎に激賞された出世作『天空の舟』

「封神演義」で知られる殷周革命の更に前、夏王朝を倒し殷(商)王朝を作るのに大きな役割を果たした伊尹(いいん。作中では「摯(し)」)の活躍を描きます。交流のあった司馬遼太郎の激賞を受けたことで知られ、直木賞候補にもなり、新田次郎賞を受賞した作品です。

大洪水を免れた孤児・伊尹は、料理人の養子となり、料理人となって日々を過ごします。夏王は彼に故事などを学ばせるようにしますが、しかし次第に異能ぶりを発揮するようになった伊尹の前には、夏王朝の暴君として知られる桀王が立ちはだかるのでした。
 

著者
宮城谷 昌光
出版日

非常に資料の少ない時代であるにも関わらず、宮城谷昌光が見事に小説としてまとめ上げていることには唸らされます。上巻は伊尹がまだ革命に参加する前であり、物語としても前哨戦と言ったところですが、下巻になって伊尹が商の湯王の右腕となると、物語は俄然勢いを増します。

湯王との会話で、「人民が苦しんでいるとき、ともに苦しむことができることが、すなわち真の幸せなのです」という伊尹の言葉は、大きな意味を持って現代の為政者の胸をも打つでしょう。

伊尹は湯王の死後も商王朝を支えました。その公平さ、民への愛情はどこから来たのか。それは宮城谷昌光の今作を読めばきっとわかると思います。
 

4位:宮城谷昌光が描く太公望は、天へ翔けあがれるか『太公望』

殷周革命の立役者である太公望。名前を聞いたことがある方も多いと思いますが、彼には悲惨な少年時代がありました。生贄として捧げるため、彼の一族、羌族(きょうぞく)が商(殷)によって虐殺されたのです。残ったのは太公望を含めて10人にも満たない人数です。たった数人の復讐が始まりました。

太公望と言えば、のんびり釣りを楽しんでいるうちに天下を釣り上げたと思われがちですが、そうではありません。少年時代の怨みが彼を動かしています。かと言って、復讐の鬼というわけでもなく、配下たちを思いやり、好かれているのに気が付かない野暮天なところも、宮城谷昌光の太公望の魅力だと思います。
 

著者
宮城谷 昌光
出版日

この時代、政治と祭祀は同じ意味を持っていました。有名な「酒池肉林」も、宮城谷昌光は祭祀として描いており、彼の史観がうかがえます。また傾国の美女であり悪女として知られる妲己に関して、彼女を逸話通りの悪女として描かない解釈も、新しいものがあるでしょう。

上空へのぼる手段は、こころざしを高くすること。それが太公望の選んだ道です。太公望は天下を釣り上げ、革命をなすことができるのでしょうか。
 

3位:乱世に忠と誠を通した男が一人『楽毅』

中国の戦国時代。いくつもの国がしのぎを削ったこの時代に、名将とうたわれた人物がいました。その名を楽毅と言います。あまり日本では名を知られていないこの人物を、宮城谷昌光は鮮やかに描き出しました。

中国の戦国時代と言えば「斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙」の七雄が有名ですが、その中のひとつにも入れられない小国・中山国に生まれた楽毅。彼は斉に留学し、孫子の教えを学び、斉の名宰相として有名な孟嘗君の影響を受けることになります。そんな彼が国に戻った際に待っていたのは、暗愚な君主と、趙国からの侵攻でした。
 

著者
宮城谷 昌光
出版日
2002-03-28

趙からの侵攻を何度もはね返す楽毅の粘り、趙国内の内紛、そして楽毅の生き様など見どころは様々にあります。特に後半、忠義と誠実を行うために敢えてある国を去る楽毅の姿は、悲しくも清々しく読者の目に映ることでしょう。

忘れてはならないのは、楽毅に大きな影響を与える孟嘗君です。孟嘗君との親交とその影響は、物語中の重要な要素となって楽毅を貫きます。孟嘗君が好きな方にもおすすめできる宮城谷昌光の一作となっています。
 

2位:宮城谷昌光の淡々とした文に孟嘗君の真の姿を見る『孟嘗君』

3位の『楽毅』にも登場する孟嘗君は、本名を「田文(でんぶん)」と言います。「孟嘗君」とは死後に彼を慕って送られた名前です。

田氏の元に生まれた孟嘗君ですが、不吉な生まれのせいで殺されそうになってしまいます。
母親の機転でなんとか逃げることが出来た赤ん坊は、風洪(ふうこう)という人物に養育されることになります。その赤ん坊は長じて、不吉どころか名宰相として、喝采を受ける人物になるのでした。
 

著者
宮城谷 昌光
出版日
1998-09-04

この物語は『孟嘗君』というタイトルであり、もちろん主人公は孟嘗君であるのですが、彼の養父・風洪にもスポットライトを当てています。脇役として孫子が登場するなど非常に豪華な物語でもあります。風洪は孟嘗君よりも早く世を去りますが、その死のシーンは涙なくして読めるものではなく、名シーンと言えるでしょう。

3国で宰相を務めた大政治家であり、天下を見越した政治を行った孟嘗君。宮城谷昌光のやや淡々とした文章の中に、孟嘗君を愛する確かな力がこもっていることを感じられることでしょう。
 

1位:宮城谷昌光が19年故郷に帰れなかった男の人生に見たもの『重耳』

中国の乱世、春秋時代。晋の国の君主となり、春秋五覇の代表とされる人物が重耳です。国内の内紛を嫌って19年もの間放浪していたことが有名な重耳ですが、宮城谷昌光は、その祖父・父・そして重耳の3人を物語の主人公として選び出しました。

せっかく祖父が統一した晋国は、女性の禍によって内紛が起こり、重耳は国から出ざるを得なくなります。そして19年。19年もの間故国に帰ることができなかった重耳は、何を思い、何を考え、そして晋に帰ったのか。
 

著者
宮城谷 昌光
出版日
1996-09-12

宮城谷昌光は、『孟嘗君』でもそうですが、「人に何かをしてほしければ自分からすべきである」という考えのもと、本を書いているのではないかと思います。この『重耳』にもそういった言葉が登場します。重耳は苦しみを先に差し出したからこそ栄光の玉座に着くことが出来たのではないか。そう考えさせられる宮城谷昌光の作品です。

混乱の続いた晋を安定させ、名君として世を去った重耳は、「文公」と言う名を送られます。それは人々の、彼への賞賛と畏敬、そして苦労へのねぎらいがあるのではないかと思います。
 


宮城谷昌光の中国古代史の世界はいかかでしたか? 言葉遣いや漢字が少し難しいと感じるかもしれませんが、きっとあなたに人生で大事なことを教えてくれますよ。