野球を題材にした漫画作品は人気のあるジャンルのひとつですが、『忘却バッテリー』は数多の野球漫画の中でもかなりの異色作。野球と記憶喪失という、今までにない組み合わせが大きな特徴です。「次にくるマンガ大賞2019」ランクイン、ジャンプフェスタでオリジナルアニメが公開され、テレビアニメ化も期待される注目作品をご紹介いたします。
『忘却バッテリー』は、みかわ絵子の漫画作品。webコミックス配信サイト「少年ジャンプ+」で連載されています。高校野球が題材となっていますが、甲子園を目指す野球部を描く群像劇といった物語ではありません。本作の大きな特徴は、登場人物のひとりが記憶喪失であるというところなのです。
中学硬式野球界で、知らぬ者はいないほどの天才バッテリー、要圭(かなめけい)と清峰葉流火(きよみねはるか)。主人公の山田太郎は彼らと対戦したことで心折られ、中学卒業をきっかけに野球を辞め、野球部のない平均平凡な小手指高校に入学しました。平和な高校生活を送ろうと考えていた矢先、同じ高校にいるはずのない要と清峰バッテリーを発見します。
注目を集めるバッテリーだった2人が、要の記憶喪失により野球から遠ざかり、普通の高校に入学するという、一見突拍子もない設定。基本はコミカルテイストでテンポよくストーリーが描かれます。そして要と清峰のバッテリーだけでなく、山田をはじめとした、天才に打ちのめされた結果野球から遠ざかっていた選手たちの心の葛藤も描かれていきます。
「次にくるマンガ大賞2019」webマンガ部門で6位にランクイン。2020年10月に開催されたイベント「ジャンプフェスタ」ではオリジナルアニメも公開された注目作品、こちらでは作品や登場人物の魅力、見所などをご紹介していきます。
まずはあらすじをご紹介していきましょう。
シニアクラブで野球に打ち込んでいた山田太郎は、宝谷シニアとの試合で対戦した清峰葉流火と要圭のバッテリーと出会ったことで戦意を喪失。同年代の野球少年のトラウマであるバッテリーの進学先が学生野球情報誌などで話題となっているなか、野球部のない平均的な都立高校である小手指高校に入学します。
平和な学校生活を送ろうと考えていた山田でしたが、そこにいるはずのない清峰・要コンビを発見してしまいます。なぜこんな高校にいるのかと問いかける山田に対し、要がうんざりした様子で語ったのは、自分は記憶喪失になり野球なんて知らないという衝撃的な事実でした。
部活動の勧誘で、野球部が発足したことを知った3人。清峰の誘いにより入部することにしますが、要は乗り気ではありません。そんな時、ガラの悪い先輩に絡まれバッティング対決をすることになります。捕手経験のない山田を気遣って本気で投げられない清峰を、バカにする先輩たち。悔しさを募らせる山田に、要は自分が受けるとキャッチャー防具を身に着けるのでした。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
早い段階で記憶喪失ということが判明しますが、この先どうやって野球をやっていくのか、気になった方も多いのではないでしょうか。こちらでは作品の魅力をご紹介していきます。
本作は「登場人物が記憶喪失の状態から始まる」という野球漫画です。一般的な野球漫画とは違い、登場人物の多くが野球から遠ざかっていた状態です。それは記憶喪失当事者の要だけではありません。バッテリーを組んでいた投手の清峰、山田のように2人に出会い挫折を経験したことで野球から離れたという、元選手も多く登場します。
要が記憶喪失だということを知り、山田は複雑な感情を抱きました。仕方がないことだと理解しながらもすぐに納得できるようなものではなく、様々な葛藤が生まれます。各登場人物の心情は物語が進むにつれ明かされていくのですが、伏線の張り方は要注目。このセリフはこのシーンに繋がっていた、という回収の仕方が見事で何度でも読み返したくなってしまいます。
心理描写が美しく切ないというのも魅力のひとつ。思い出は美しく感じられるものですが、本作の場合は普段とのギャップが激しすぎるため、心理描写の美しさがより一層感じられる作りになっています。というのも、本作はコミカル展開が多い作品。展開によって少々異なりますが、ギャグパート8割という回も珍しくありません。
興ざめしてしまうのでは、と心配されるかもしれませんがご安心ください。ギャグは下品過ぎず、ツッコミが鋭いと高評価。作者のみかわ絵子は、「ジャンプ+」で発表された読み切り作品『SF男女物語』でも、ギャグセンスが高く評価されました。シリアスとギャグの緩急が絶妙で、作品全体の雰囲気を壊すことなく笑わせ、泣かせてくれます。
複雑な感情を抱く選手たちが集うという運命的な要素と様々な葛藤が生む人間ドラマ、そしてコミカルな展開と魅力が満載な本作。忘れてはいけないのが、登場人物たちの魅力です。天才バッテリー要と清峰はもちろん、語り手である「凡人代表」ともいえる山田もかなり個性的。続いて、登場人物の魅力を細かくご紹介していきます。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
まずは元凶でもあり作品の中心でもある要圭(かなめけい)からご紹介していきましょう。身長172㎝、元々は正捕手として清峰とバッテリーを組んでいました。記憶喪失前は冷静沈着な努力家で、「智将」と呼ばれていたことも。記憶喪失後はおバカキャラが通常運転となっており、「恥将」と呼ばれています。
記憶喪失前後の性格の違いがすさまじい要ですが、野球にのめり込む前はおバカだったというのが清峰の談。元々明るくお調子者なおバカキャラだったようです。野球のことは全て忘れてしまったと言いますが、身体が覚えている状態なためプレイは可能。ムードメーカー的な立場も担っており、智将時代にはなかった形でチームに貢献しています。
鉄板ギャグは「パイ毛」と、ギャグセンスは小学生並み。左目の泣き黒子が特徴的で顔も整っていますが、性格ゆえか彼女はできない様子。思春期なので母親に反抗的ですが、この母にしてこの息子あり、母もかなり個性的なので登場時にはお見逃しなく。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
要とバッテリーを組んでいたのが清峰葉流火(きよみねはるか)。身長185㎝、右投右打の投手で、中学生の時から140km/hを投げていたという剛腕の選手です。加えてバッティングセンスにも優れ打者としても高評価を得た「二刀流」。「完全無欠」と評されたほどの天才です。
基本は無口無表情。野球とともにバッテリーを組んだ要以外への興味が薄く、コミュニケーション能力が著しく低いというのが難点です。要が野球をやめるから自分もやめる、高校も同じところを選ぶなど、人生の中心が要となっておりモンペと言っても過言ではありません。それだけ要に寄せる信頼は厚く、また一緒に野球がしたいと強く願っています。
興味関心の先が特定されすぎているせいか、清峰はやや傲慢なところがあるキャラクター。自分が1番努力をしてきており、強者であり続けているためか弱者の気持ちを理解することができません。仲間内で不和を起こすこともありチームメイトとしては複雑ですが、頼もしいと感じられる部分も多いのではないでしょうか。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
主人公と呼べるのは要と清峰ですが、本作の語り手となって物語を進行する役目を担っているのが山田太郎です。山田は身長164㎝、ポジションは一塁手。シニアクラブで野球に打ち込み、そこそこの選手と言われていましたが、要と清峰が所属していた宝谷クラブとの対戦をきっかけに、自分との実力差を痛感。野球部のない高校に進学し、平和な生活を送ろうと考えていました。
山田は清峰とは逆に、コミュニケーション能力に優れたキャラクター。ある意味2人だけで完結する要と清峰の関係に違和感なく入り込んで会話を成立させるだけでなく、不穏な空気になった時にチームメイトの間を取り持つこともできます。
1巻の冒頭から、野球を忘れた要に対し
「まずは野球を楽しんでもらわなきゃ」
『忘却バッテリー』1巻
と気を遣う姿は、物語が進んで色々なことが明らかになってきてから振り返るとグッとくるもの。周囲の空気を読むだけでなく、さりげなく見せる優しさに山田いいやつ、となることも多いはずです。
チームのまとめ役であることにも加え、ツッコミ役としても作品には欠かせない存在。仲間を温かく見守る山田の視点だからこそ、読者も安心して物語を読み進めることができるのです。ちなみにコンプレックスの1つが平凡すぎる名前なのですが、由来は有名野球漫画『ドカベン』なのだとか。山田も生粋の野球少年だと言えます。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
山田も要と清峰に運命を狂わされたと言えますが、藤堂葵(とうどうあおい)もそのひとり。身長181㎝、ポジションは遊撃手です。強肩でリトルシニアの時代には強肩で長打も打てる打者として注目を集めていました。要・清峰との対戦時にミスをしたことから、精神的な要因で思うようなプレイができなくなるという「イップス」を発症。野球から遠ざかります。
その後精神的に荒れ、喧嘩に明け暮れていた時期もありましたが野球のことを忘れられず、走り込みなどを続けていたという、実は真面目で努力家な一面も。直情的で素直なところがあるためからかわれたりすることも多く、最初の打席からフルスイングするなど、プレイにも性格が表れています。
強面で粗暴さが感じられる藤堂でしが、実はギャップの宝庫。母親を早くに亡くしており、父と姉妹と暮らす苦労人でもあります。妹を溺愛しており、料理が上手という意外な特技の持ち主。野球をしている時と家での姿、ギャップがありすぎてきゅんとなってしまうはずです。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
記憶喪失前の要は智将と呼ばれていましたが、知識では千早瞬平(ちはやしゅんぺい)も負けてはいません。身長167㎝、ポジションは二塁手。バットコントロール技術に優れ、俊足を活かしたプレイが持ち味です。身体が細く小柄なため、身体を大きくしようと無理な努力を続けてきました。
千早も要・清峰によって挫折を味わっていますが、千早がコンプレックスを克服するために行った努力は相当なもの。それゆえに、努力で越えられない壁があると知った時の心情を想うと胸が痛みます。器用貧乏と自称するように何でもできますが、それは千早が血のにじむような努力をした結果なのです。
頭脳プレイが得意なのでチーム内でも頭脳役。インテリ系らしくシニカルな口調と眼鏡が特徴ですが、もう1つのチャームポイントは八重歯。口を開いているときはちょこっと除いていることが多いので、ぜひ注目してご覧ください。
上記で紹介してきた選手は、人生を懸けて野球に打ち込んできたといえる選手たちです。その中で土屋和季(つちやかずき)は少々特殊な存在だといえるでしょう。身長169㎝、ポジションは中堅手で、主要メンバーが1年生である本作の中で先輩となる2年生。体力はあまりないものの、千早にも負けない俊足の持ち主です。
土屋は中学時代、硬式ではなく軟式野球部に所属していました。硬式が皮のボールを使用するのに対し、軟式はゴム製ボールを使用するのが大きな違いですが、野球部のシステム自体に大きな違いはありません。上下関係の厳しい部活動としての野球に馴染めなかった土屋は野球から離れ、野球部とは関わらないように生きてきました。
結果としてゲームの野球に逃げ込んだというオタク。ジャンルとしての野球だけでなく、2次元要素は全て好きらしく、要の持つ「記憶喪失」という大きな特徴に対しても、オタク心がくすぐられるらしく、憧れのまなざしを送っています。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
藤堂、千早とはまた違った形で要・清峰コンビに人生を狂わされてしまうのが国都英一郎(こくとえいいちろう)です。国都は強豪校私立帝徳高校に所属している1年生で、小手指高校野球部員とは違った立場になる、まさしく野球エリートといった存在。記憶がある状態ならば要と清峰が進んでいたであろう道を歩む人物でもあります。
身長184㎝、1年生ながら強豪校の4番バッターを務める実力者で、その実力は折り紙付き。リトルシニア時代に要・清峰と対決したことがあり、それ以降同じ高校に進学し、チームメイトとして甲子園を目指したいと密かに夢見ていました。しかし、2人は野球部のない高校に進学、加えて記憶喪失により野球を軽視するようになった要の発言に激怒、失望します。
実力がある国都は、藤堂や千早のように挫折ではなく憧れのまなざしを持って2人を見られる数少ない人物。爽やか野球少年だけに、要の変貌ぶりに対するショックがすさまじく、思わず同情してしまうでしょう。強力なライバルでもある国都、小手指高校メンツとどのような形で対決していくのか、動向に注目です。
個性的なキャラクターが多い本作ですが、なかでも作品の核でありふり幅が大きいのが要です。要の記憶喪失から始まった物語でもある本作、記憶喪失になったのかという理由と、今後記憶はどうなっていくのかを予想していきたいと思います。
まず、作中で記憶喪失の直接的な原因は語られていません。入院していた描写はありますが、包帯を巻いたり松葉づえをついたり、といった外傷があった様子はないため、事故ではない様子。となると心的要因ではないかと考えられます。
そもそも要はお調子者でだらしがない性格でした。しかし、野球にのめり込んだ結果お調子者な部分が封印され、「智将」である要が目覚めます。記憶喪失により元来の性格が表に出てくるようになるわけですが、要は基本的に精神に大きく作用されやすい性質を持っているのではないでしょうか。
自分を律する野球を失ったことで全ての記憶を失ったと語られていますが、逆に言えばそれだけショックな出来事が起こったのだと言えます。生活の中心が野球だったこともあり、野球の記憶を失うためにはそれだけの犠牲を払う必要があったのでは、とも考えられます。
バッテリーの相棒としてずっとともに頑張ってきた仲でありながら、常に完璧であった清峰との関連性も無視できません。
高校に進学し、要は記憶喪失のまま野球へと戻りました。一時的に記憶が戻る場面はありますが、全ての記憶が戻ったわけではありません。
ライターの今後の予想では、記憶はいつか戻るのではと考えています。記憶喪失のままでは中学時代の自分を否定したままですし、成長したと言えないでしょう。戻ったうえで、中学時代とはまた違った野球の面白さを感じていくのではないでしょうか。
強豪校との練習試合を経て甲子園出場を目指し、地区予選に出場した指手高校。最新8巻では地区大会3回戦、強豪星明学園との対決が佳境を迎えました。
星明学園9番バッター、高須の奮闘も届かず小手指高校が4回戦へと駒をすすめます。対戦相手は私立帝徳高校。練習試合で惨敗した相手であり、因縁の相手でもある国都が所属している学校でもあります。今までとは応援の規模も違うアウェーな雰囲気の中、試合は始まるのでした。
小手指高校野球部発足当時、練習試合を行った相手が帝徳高校です。野球はチームでおこなうため、バッテリーが群を抜いているからと勝てるものでもなく、実力には大きな開きがありました。勝ち進んできたとはいえ、帝徳高校との試合が、小手指高校がどれだけレベルアップしたのか、明確になる戦いでもあるでしょう。
見所は、小手指高校選手の成長。どこまで追いついたのか、今の実力差はどの程度なのか、試合展開から目が離せません。気になる清峰の兄が登場したり、帝徳の名物監督が場を賑わせたりと本筋以外も盛り上がります。
- 著者
- みかわ 絵子
- 出版日
2020年10月にオンラインで開催されたイベント「ジャンプフェスタ2020」で、本作のオリジナルアニメが放送されました。キャストは清峰葉流火役に細谷佳正、要圭役に宮野真守、千早瞬平役に松岡禎丞、藤堂葵役に鈴木達央、山田太郎役に福山潤とかなり豪華。監督は篠原ぱらこ、作画監督とキャラクターデザインは伊藤憲子が担当しています。
内容は原作の1話と2話を元にした物語となっており、原作未読の視聴者でも入り込める作り。解説役でもある山田の優秀さはもちろんのこと、「パイ毛」を連呼する要の印象は強烈だったようで、SNSでトレンド入りするなど大きな話題となりました。
イベントで放送されるオリジナルアニメとしてはもったいないような豪華キャストだけに、テレビアニメ化されるのか気になるところ。1クール放送なら不足ないくらいのエピソード量があることに加え、男女ともに楽しめる作品でもあります。イベントでの評判が良ければ、テレビアニメ化もあるのでは、と考えられます。
スポーツ漫画は試合展開だけでなく、その中でくり広げられる人間ドラマも魅力です。本作は「記憶喪失」というきっかけにより、今までにない葛藤やドラマが生まれた作品でもあります。人間味のある葛藤と高校生らしい明るくバカな日常、両方堪能できるというのは大変贅沢なことではないでしょうか。テレビアニメ化の期待も高まる本作、ぜひ今後の展開も注目してください。