mottainai【小塚舞子】

更新:2021.11.29

パソコンを買い換えるべきか迷っている。前に使っていたパソコンは、急に電源が入らなくなり、中のデータを取り出すのに苦労した。なので次は早めに買い換えるか、データをマメに保存しておこうと思ったのに、ずっとほったらかしている。“ずっと”がどれくらいの期間なんだろうと考えたら、10年だった。時が経つのは早い。

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見れば押したくなるもの

もうすぐ2歳になる娘はとにかくボタンが好きで、押せそうなものは何でも押す。そういえば私もバスの“つぎとまりますボタン”が押したかった。前の停留所に停まった時からスタンバイしているのに、母に「もう押してもいい?」と確認しているうちに他の人に押されてしまったときはとても悲しかった。娘はまだお伺いを立てるという概念がないので目を離すと目的地に着く前にボタンを押してしまう。今までならバスの中で大声を出すなんてできなかったけれど、「すみません!こどもが押しましたー!」と叫べるくらいには図太くなってきた。

しかし、なぜあれがボタンだとすぐにバレるのだろうか。バスにはボタンがついているということがわかるのも不思議だ。四六時中ボタンを探しているのか。エレベーターのボタンも四角かったり丸かったり様々な形があるのに、どんなものでもすぐにボタンだと認識する。そしてボタンを押すと何かが起こることも娘はちゃんと知っている。ボタンを押したら光ったり音が鳴ったり、何らかの反応があることが嬉しいらしい。反応がなければ何度でも押してみる。いや反応があっても何度も押す。

電話のオモチャで、ボタンを押すとカエルくんやらうさぎさんやらが、何かとしゃべってくれる物があるのだが、どこかに隠しておかなければ、こちらの気が狂いそうになるほど一日中カエルの歌や、うさぎさんの好きな食べ物について聞かされる。おうた絵本もかなり危険だ。

パソコンなんぞはもうボタンだらけで大興奮である。いつもは娘が寝ているときにしか出さないが、お昼寝中に作業することが多いので、ふいに起きてきたときにパソコンが出しっぱなしということがある。むにゃむにゃ可愛い寝ぼけまなこがキラリと光り、一目散に飛んでくる。書いた原稿を消されてはたまらないので、すぐに電源を落とす。電源が落ちてしまうと、キーボードをいくら押しても反応がないので怒ってパソコンを叩いたりする。やめてほしい。

買い替え時がわからない

怒ると叩くという昭和的発想で物事を解決しようとしていた彼女も、日々成長を続けているらしい。目に見えることも、見えないことも。朝できないことが夜にはできるようになっている。こちらは毎日同じ繰り返しでうんざりすることも多いのだが、子どもたちにとってはそれこそが学びなのかもしれない。

そして、とにかく何でも押せ押せの精神でやってきた彼女はある日、ひらめいた。
“押してダメなら、引いてみろ”
床にコロンと、長細くて、四角くて、薄っぺらいものが落ちていた。謎の破片が転がっていると、ぞっとする。そのまま顔を上げると、開きっぱなしのノートパソコンが置かれていた。何かがおかしい。何だろう。時が止まり、私はノートパソコンを凝視したまま固まった。

・・・再び時が流れ出す。周りの雑音も耳に入ってきた。娘の足音か。いや、そんなことはどうでもいい。何かが違う原因に気が付く。変換キーがくぼんでいるのだ。いかにも繊細そうな金属がむき出しになっていた。

慌てても何も変わらないが、私はベテラン職人のスピードで変換キーをサッと元の位置に戻した。繊細そうな金属が空気に触れる時間を一秒でも短くしたかったのだ。何となくハマったような、ハマっていないような・・・。しかしキーを叩くことで例の金属が反応することが大事なはずなので、とりあえず形が合うものを上に被せておけば何とかなるだろうと思った。

結果、何とかなっている。何事もなかったかのようにというほど何とかなってはいないが、問題ない。いや、問題はある。明らかに反応が鈍くなった。押し心地も悪い。今この原稿を書いている瞬間も、変換キーを余計に押さなくてはならない。しかし何度か押していると、ちゃんと変換できる。小さなストレスはたまるが、その程度のことだ。買い換えるほどではない。

皆、物の買い替え時をどうやって判断しているのだろう。もちろん使えなくなったら仕方ないのだが、電源が入らないなどわかりやすく壊れてくれないと買い換えられない。私のパソコンは変換キーの反応が鈍いだけで、あとは別に問題ない。この程度で買い換える人は少ないだろう。しかし10年は買い替え時なのか。それともハードディスクとかにデータを移しておいて、電源が入らなくなるまで使い続けるのか。わからない。そうこうしているうちに、もう10年経ってしまいそうだし、その前に壊れそうだ。

我が家には買い換えた方がいい物リストがたくさんある。ドライヤーは柄の部分が折れていてブラブラしているし、電気ケトルは口のところがゆるくなってお湯がだらだらこぼれる。私は全然気にしないのだが、コーヒーをちゃんと淹れたい旦那さんは買い換えたいようで、電気屋さんの近くを通るとケトルを見ようと誘ってくる。その度にへらへら言い訳しながら、逃げ続けている。

マグカップはヒビが入っているし、大きい鍋はカレーの匂いが取れない。しかし、これらはまだ何とかなるのだ。ヒビから飲み物が漏れてくるわけでもないし、煮込み料理を作ると毎回スパイスの匂いが漂ってくるのもそんなに悪くない。特別に愛着があるわけでもないのだが、何となく買い換えることができない。もったいないのもあるが、めんどくさい。

パソコンにしても、ドライヤーにしても、マグカップも鍋も選択肢が多すぎて、選べない。実は、少し前にパソコンを見に行ってみたのだが、最初に見たコーナーが高級モデルだったのか「高っ!パソコンってこんなに高かったっけ?」と、心が折れかけた。しかし段々それなりの値段の物や安い物を見つけ出すと、「安すぎるのは何か不安」だの「結局何が違うのか全くわからない」だの考え出して、これはどう考えても自分では決められないな・・と思った矢先に「お伺いしましょうか!」と威勢のいい店員さんがやってきた。普通なら渡りに船だ。しかし、もちろん持ち前の人見知りを存分に発揮し、「だ、だ、だ・・・大丈夫です!」と帰って来た。バスの中で叫べても、人見知りは治らない。

小さな幸せと達成感を味わうために

そんな矢先、毛玉クリーナーを買い換えなければならなくなった。私は毛玉を取るのが好きで、定期的に家中の服やら靴下を持ってきてせっせと毛玉取りに励んでいる。何なら遊びにきた友人の服の毛玉も取る。(こうして書いてみるとおせっかい極まりない行為だ。やめよう)毛玉が取れるときの、あのブチブチという音と、取った後の服が新品になったかのような爽快感がたまらない。昔の毛玉クリーナーといえば、生地を傷めてしまうような印象だったが、数年前に買ったクリーナーがとにかく毛玉だけをスルスル取ってくれて最高なのだ。

いよいよ寒くなってきて、毛玉シーズン到来かという頃。衣替えでニットを出してきたついでに、いっちょやりますかとニヤニヤ毛玉クリーナーを出して来たら、電源がつかなかった。スイッチをオンにすると一瞬“ヒュン!”という音がしてそれで終わり。何かつまっているのかと確認してみたが、そんなこともない。寿命がきたのだ。

悲しかった。酷使してきたとは言え、見た目はまだまだ綺麗だ。しかし使えないものは仕方ない。私は渋々、Amazonで新しい毛玉クリーナーを注文した。翌日には新しいものが届いた。全く同じものにしようと思っていたのに、評価の高さと値段の安さから違うものを選んだら、間違えて電池式を買ってしまった。たっぷりと時間をかけて毛玉を取りたいので、今までは電源コードがついているタイプを使っていたのだ。なぜきちんと確認しなかったのかと後悔したが、これも仕方ない。単三電池が家にあったのが不幸中の幸いだった。単四電池と間違えて買ったものだ。間違えてばかりで嫌になる。

電池を入れて、早速毛玉取りを始めた。これが何と言うかもう、、、最!!!高!!!だった。電源コードがない毛玉クリーナーが、こうも使いやすいとは!操作性が良いのでどんどん毛玉が取れる。古いクリーナーが壊れたモヤモヤも、新しいクリーナーを間違えて買ってしまったモヤモヤも、毛玉と一緒に一瞬で取り去ってくれた。物が壊れるのは寂しいが、新しい物は生活に潤いを与えてくれる。毛玉ごときで大げさかもしれないが、毛玉ごときで幸せを感じられることが幸せな気がした。

パソコンもドライヤーも、マグカップも鍋も、いずれ買い換えることになるだろう。別に今全部買うことだってできる。しかし、幸せはちょっとずつ感じたい。使いづらいモヤモヤが溜まれば溜まるほど、新しい物がやってきた幸せは増えるし、最後まで使い切ったという達成感も味わえる。もったいなくもない。物を最後まで使い切ると言うことは一石二鳥以上だ。

そして、この原稿を書き切ろうとしている今、何となく変換キーの調子がよくなってきている。このどうでもいい話を書いては消して、書いては消して、と変換しまくっていたから、キーが馴染んできたのだろう。なぜ書いては消してを繰り返していたかと言うと、途中でこの記事が2020年最後の記事になると気が付いて、何とかもっとかっこいい内容にならないものかとジタバタしていたからだ。何もかっこよくはならなかったが、おかげでこのパソコンと年が越せそうなのでよしとしよう。多分、それも幸せ。思い込みが大事なのだ。皆様、良いお年を。

もったいなくない本

著者
星 新一
出版日
1971-05-25

あとがき、解説を省くと全342ページ。この中になんと50篇もの短編、ショートショートの物語がつまっています。しかもその一つ一つが、たまらなく面白いのです。とんちがきいたものだったり、SFだったり内容は様々ですが、笑えるというよりは「ははーん!そうくるのか!」的な。一つのお話を読み終えた時の満足感は長編に匹敵すると思います。それでいて、次のお話はどんなだろうと読みだす時のワクワクは長編以上。眠る前に一話だけ・・・と読んで行ったらなんと50日も楽しめるというコスパ最強な一冊。

著者
瀬尾 まいこ
出版日
2009-05-08

人間関係の煩わしさから逃れるため、OLから占い師に転向した主人公。ルイーズ吉田という名前でショッピングセンターの片隅で占いを続ける彼女の元には様々な悩みを持った人たちが訪れます。父と母、どちらを選ぶべき?という小学生の男の子や、外れても外れても占いにこだわる女子高生。

最初、短編集だっけかな?と読み始めてしまったので一話終わった時「もうルイーズ吉田に会えないなんて!」と悲しんだのですが、実は一話完結の長編で得した気分になりました。そんな個人的な理由で、「もったいなくない本」に選んでしまったこの作品、肩肘張らず気楽に読めて、温かい気持ちにさせてくれるマッサージ的な一冊でもあります。やっぱりお得。私もルイーズ吉田に占ってもらいたいです。

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