夢よりもちょっと手前の未来【小塚舞子】

更新:2021.12.2

『こんな人になりたい』或いは『こんな生き方をしたい』という欲求はいつまで持ち続けるのだろう。子供の頃、作文に書いた将来の夢とは違うもっと現実的な、なりたい自分像。大人になることなんてまるで想像できなかった頃は、自由に夢を見て、それが夢だとはっきりと言うことができた。しかし就職したり結婚したりして、ある程度未来へ続く道が見え始めてからの、何かになりたいという想いは、夢と呼ぶには少し気恥ずかしい。

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不安定な自分像

地に足をつけたい、しっかりしたいとはいつも思っているのだが、今現在も含めて過去を振り返ってみても、着地して歩いていた記憶がほとんどない。子供の頃はよく母親に“歩き方が変。雲の上を歩いているみたいだ”と指摘されていたが、その言葉の通り、歩き方もおかしければ生き方もなんだかふわふわ定まっていない感じがする。いつも何か不安に思っているような、けれどそれを見ないふりして誤魔化して生きているようなところがあって、まさに綱渡り状態だ。頼みの綱もゴム製でびよんびよん。千切れそうで心細くなる。

占いをやってみると、大抵無難に堅そうな結果が出る。真面目だとか、曲がったことが嫌いだとか、常識人だとか。しかし血液型はAB型なので、二重人格だと言われるし、変わり者扱いを受けることが多く、生年月日の占いとは全く別の人間に分類される。血液型の方が合っているとは思うが、真の変わり者というより変わり者でありたいという気持ちの方が強く、変わり者だと言われても『そんな!自分のような凡人にはもったいないお言葉ッス!』という風に謎の謙遜をしてしまう。

冷静に考えてみれば変人になりたいなんて考えている時点でおかしいのだが、自分が変人だと堂々と思える程狂えてもおらず、何なら服装やメイクなどの外見においては流行を追おうとしたりして(もちろん追い切れない)自分が何者かわからなくなりそうだ。

理想と夢

“こんな風になれたら”多くの人が何らかの形で、理想を追いながら生きているのだと思う。今の自分に100%満足している人がどれくらいいるのかはわからないが、仮にそうだとしても、今の状態のまま来年も再来年も10年後も過ごすことはできない。見た目にしろ立場にしろ、きっと中身や考え方も変わって行ってしまう。(たとえそれが無意識だとしても)『変わること』を理解しているから、その変化の先にいる自分を理想的な形に描きたくなって『こんな風になれたら』と考えるのかもしれない。だとすると、人は変わることが終わるまで、つまりは死ぬまで、“夢”を追うのだろうか。

そういえば、こんな風に使う“夢”は少しも恥ずかしい感じがしないから不思議だ。夢という言葉は簡単に想像できない未来に似合うのかもしれない。しかし、未来は未来でも小学生の夢ランキングで『かわいいおばあちゃん』とはなかなか出てこないだろう。おばあちゃんになるまでの過程、多分10代の終わりごろから20代あたりを目標に夢を考える。(そこから先もかなりあるが)

だいたいは職業に関するもので、あとはお嫁さんくらいか。女の子の夢でお嫁さんは定番だが、男の子の夢でお婿さんが出てこない。なぜだろう。働くことを前提にしなくても『田舎暮らししたい』とかあってもいいのにと思うが、それは私のようなアラフォーが考えることなのか。子供にとっては働くことそのものが夢なのかもしれない。簡単には想像できない未来。でも、うんと考えれば想像できなくもない未来。人それぞれポイントは違うだろうけど、だいたいそのあたりに夢があるような気がする。

夢よりもちょっと近い未来の目標

しかし働くことが当たり前の日常になれば、だんだん頭の中の夢は薄れていき、代わりにあんな風になりたい、こんな生活がしたいと考え始める。大人になるにつれ、情報量が増えていくので現実的になることもあれば、突飛な幻想を抱くこともあるだろう。夢よりももうちょっと手前にある未来。そこに立っている自分を想像する。しかし私はそれを考えるのが苦手だ(田舎暮らしはしたい)

そのせいでふわふわした生活を送っているのだろう。明確な目標があれば、地に足をつけてスタスタ歩けそうなものなのに、苦手と言うか、あまり考えないようにしている。それは怖いからだ。明確な目標を立てるのは怖い。思うように進まなくなることが。そして諦めなければならなくなることが。だから叶えられそうだけど、叶わなかったとしてもいくらでも言い訳できるようなことばかり考えてしまう。それも思い描こうとした傍からかき消している。しかし、それではふわふわから抜け出せない。コロナ禍で悶々としながら、自分で自分の臆病さや動かなさに嫌気がさしてきた。

本当は『こんな風になりたい』という想いさえも、他人を羨んでいるようで不健康なような気がしていた。だが、目標がない方がよほど不健康だと思った。変わることも、失敗することも怖いけれど、当たり前のことなのだ。何か目標を持つことにしよう。今まで散々さぼってきたので脳が全然働かないけれど、無理にでも動かそう。夢よりも、ちょっと近い未来の目標。変人でも、凡人でもいい。こうして今思っていることを書いているうちに、占いは当たっているような気もしてきた。真面目な変人。なんだかかっこいいかもしれない。まずはそれを極めてみようか。

未来を切り開く本

著者
寺地はるな
出版日

“もし明日人生が終わるとしたら、きっとわたしは、喜ぶ。”

そんな一言から始まるこの物語は、うじうじしている人のうじを摘み取り、どこかへ一歩踏み出す勇気、いや元気を与えてくれます。

中学生の頃、明日を悲観的に捉えて生きていた主人公の碧は、ある女性から「蜂蜜を一匙足せば、あなたの明日は今日よりよくなる」そう言われ、蜂蜜の瓶をもらいます。それから16年。頼りない恋人について、彼の故郷にやってきた碧は養蜂園の手伝いをすることに。その小さな町で暮らす、自分の人生を懸命に生きる人々、そしてむくむくと成長し未来を切り開く碧の姿は、読む人の心をスッと軽くしてくれます。蜂蜜を一匙なめたときのように、じんわりと心が元気になる一冊です。

著者
瀬尾 まいこ
出版日

タイトルからしてエモい(はじめて使った)です。君が夏を走らせる。本を読んでいる手がじんわり温かくなる小説です。

ろくに高校にもいかず、かといって不良にもなりきれず、自分はこんなはずじゃなかったと思いながらも日々をただやりすごしていた大田は、先輩から一歳の女の子の子守りを頼まれます。“高校生に一歳の子守りて!!!!”と、子育て中のママたちは(わたしも含めて)ひっくり返りそうになりますが、読んでいるうちに皆きっと大田に子守りを任せたくなるでしょう。

思春期真っただ中かと思いきや、目の前にあることをまっすぐ見つめ、慣れない子育てに奮闘する大田を通して「私もちょっと動いてみようかしら」と、重い腰をあげてくれます。ついでに子供に優しく接してあげられるかもしれません。ママたちにもぜひ読んで頂きたいです。

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