ウィトゲンシュタイン哲学の背景
ルートビッヒ・ウィトゲンシュタインは1889年、ウィーンの裕福な実業家の家に生まれました。14歳まで家庭教育を受け、その後高等実科学校へ入学、その間にショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読み、影響を受けたといわれています。
卒業後マンチェスター大学工学部の特別研究生となり、物理学を学ぶうち数学基礎論に関心を持つようになりました。22歳のときに数学者ゴットロープ・フレーゲのもとをたずね、彼の勧めでケンブリッジ大学の哲学者バートランド・ラッセルのもとに訪れます。そこで数学と論理哲学を学び33歳までに『論理哲学論考』を完成させるのですが、彼はこの著作により「哲学の問題はすべて解決した」として一時哲学から離れてしまうのです。
しかし39歳の時、数学者ブラウアーの数学基礎論の講演を聞き、哲学への復帰を志します。その後ケンブリッジ大学の哲学講師になった彼は、「言語ゲーム」などの後期の思想を熟成させていきます。その思想は死後発刊された『哲学探究』の随所に現れ、後の分析哲学および言語哲学に大きな影響を残しました。
もっとウィトゲンシュタインの生き方を知りたい方には、彼の激動の生涯を象徴的に表現したデレク・ジャーマンの映画『ヴィトゲンシュタイン』がおすすめです。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
ウィトゲンシュタインが第一次世界大戦従軍中に草稿を書き、その後ラッセルの序文つきで発刊された(とはいえ彼はこの序文を気に入ってはいなかったとか)『論理哲学論考』(以下『論考』)。
本著の名言といえば「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。一見すると当たり前だろうともいいたくなる言葉ですが、これが『論考』の、ひいては前期ウィトゲンシュタインの思想を象徴しています。では、これはどのような文脈でいわれていることなのでしょうか。
- 著者
- ウィトゲンシュタイン
- 出版日
- 2003-08-20
実は、『論考』の役割とは「語りうることと語りえないことの線引きをすること」、つまり言語や世界などについて明晰に書き記すことで、「語りうることと語りえないこと」との境界を明らかにすることなのです。
倫理や言語がどのようにして世界を表現するのかといったことは「語りえないこと」として、『論考』のうちに示されるだけにとどまります。この語りえないことに対して我々が唯一取れる態度、それが「沈黙する」ことなのです。
それゆえ、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。無理に語ろうとすれば、その時点でナンセンスなのです。
「ザラザラした大地にもどれ!」
後期ウィトゲンシュタインの主著とされる『哲学探究』(以下『探究』)。実は彼の生前に発刊されたものでなく、死後弟子の手によって編纂され出版されたものです。
ここのでの名言は「ザラザラした大地にもどれ!」。『論考』に比べたら、知名度の低い知る人ぞ知る名言ではありますが、これもまた後期ウィトゲンシュタインの思想をよく表した言葉です。
- 著者
- ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
- 出版日
- 2013-08-30
そもそもザラザラした大地とは何なのか?ここに、後期の重要なターム「言語ゲーム」の思想が見て取れます。
言語ゲームとは、「言語とそれが織り込まれる諸活動の総体」と『探究』で述べられています。たとえば、果物屋で「りんご5個」という紙を渡したとき、店主はりんごを5個手渡して代金を受け取る、ということも言語ゲームに含まれます。また大工が「かんな!」と叫んだとき弟子がかんなを手渡すのも言語ゲームです。
果物屋の例では、「りんご5個」という紙が「この紙を渡した人はりんごを5個購入する意思がある」、大工の例では「かんな!」と叫ぶことが「自分までかんなを持ってきてほしい」ということを意味することが無意識のうちに把握されているのです。
この日常で使用する言語の持つ意味の緩やかさ、寛容さが「ザラザラした大地」なのです。前期のウィトゲンシュタインでは、言語とは世界の事態を写し取る鏡であり、世界と一対一対応を成す理想的な言語でした。しかし、後期に彼はその考えを捨て、日常生活の、もっとラフで摩擦の多い言語ゲーム一般に目を向けるようになったのです。
そこで、論理の世界で使用されるようなきっちりと使用規則の定められたいわば透明な氷のような言語の上でなく、我々が普段歩いているようなザラザラとした、摩擦のある、それゆえ前に進むことのできる大地に戻れ、と言う意味をこめて、この言葉があるのです。