選択の連続!な話【荒井沙織】

更新:2021.12.9

あなたの最新の選択は何だっただろうか。 ここのところ、私はなにかと “選ぶこと” が多かったなぁと振り返りつつ、今はまた、次の選択事項についても考えている最中だ。今回は、選択にまつわる話を書いていきます。

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選ぶことがいっぱい!

「毎日は小さな選択の積み重ねだ。」
これはよく言われる事だが、意識してみると、確かに毎日は選択の連続だ。ほとんど無意識に選んでいるものもある。日常の中では、むしろ多くがそうかもしれない。例えば、朝食の卵をスクランブルエッグにするか目玉焼きにするか、これだって選択の一つだ。

曲がる道が一本違えば、素敵な出会いがあるかもしれないし、暇を持て余して映画を一本選んだら、生涯の趣味になるほど没頭できる何かが見つかるかもしれない。それくらい、私たちは日々選び、その大小あらゆる選択に沿って人生を進んでいる。

私は大体の事柄を、じっくり悩んで選ぶタイプの人間だ。時折、大事な決断を不思議なほどにポンと決めることもあるけれど、元来、石橋を叩いて叩いて叩き壊すのが得意技なのだ。

そんな私が、このひと月ほどの間、自宅の模様替えのためにいくつか家具を選んだ。簡単に買い直しのきかない、慣れない分野の買い物だ。家族に代わって、私が決めたものも多かったので、とても時間がかかった。自分の好みだけでない視点で大きなものを選ぶのは、なかなか難しい。

さて、私が次に決めなければならないのは、新型コロナウイルスのワクチン摂取だ。どこでどのワクチンを打つことにしようか、ちょっと怖い気もするし、でも打たないのはもっと怖いし、それならどこで申し込めば早いか、と決めかねている。まぁ、これについては、そうこうしているうちに接種券が届きそうな気もするのだけれど。

著者
柳生 雄寛
出版日

正解か、不正解か。

人生の中で、一つも間違わずに決断できる人間なんていない。もちろん正解なんてないし、一見すると不正解だったような事も、意味ある通過点には成り得るから、このあたりは結果論のようなところもある。それでも、やはり渦中にいる時は、その時の自分の基準で、 “正解だった”  “不正解だった” と一喜一憂してしまうものだ。

そもそも、絶対の自信がある決断ばかりではないと思う。「どちらかと言えば〜・・・。」という程度の材料で選ぶことだって、当然あるはずだ。誰でも一度は、選ばなかった選択肢について考えたことがあるのではないだろうか。

私は最近、信号待ちをしているような時にふと、これまでの様々な分岐点で、進まなかった方の人生について考えを巡らせることが多くなった。今のところ、信号を渡り終える頃には、現在に繋がる選択をしてきて正解だったのだと思えているけれど、「もし “間違いだった” と結論づける日が来たらどうしよう。」と怖くなる事がある。

著者
["シーナ アイエンガー", "櫻井 祐子"]
出版日

年齢を重ねるほど、一つの選択がもたらす影響の大きさを計ることができるようになる。だから、大人は慎重になるのかもしれない。でもそれと同時に、たとえいくつか選択を誤ったとしても、挽回する知恵も身につけてきているはずだ。

後から後悔しない決断のポイントは、《きちんと知った上で、選択すること》と《自分にとってしっくりくること》。選ぶには “知識” と ”直感力” が必要だ。どちらが先行しても良いけれど、最終決定の前には、もう片方について考慮する余裕を持ちたい。

そうは言っても、きっとこれからも、私は自分の決断を不安に思ったり、あるいは妙に確信を持ったりしながら、選択し続けるのだろう。大きな決断をする時、もし熟考した上で、その時点での自分の最善の選択だと思えているなら、あとは進むのみだ。

私の大きな選択と言えば、職業もその一つだ。ちょうど9年前に選択した職業を、私は今もこうして続けている。いまだに正解だったかどうかは解らないけれど、これまでの自分の頑張りや経験、支えてくれる人たちのことを思い浮かべると、どうも不正解とは思えないのだ。

たとえどこか間違っていたとしても、思い返したとき、愛せる選択もある。将来の自分に向けて、日々愛のある選択を贈りたい。

(撮影: 荒井沙織)

『lovely days』
きみが 心を向けたなら、
日々のすべてが
愛おしい。

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