食事を読み、本を食べる
趣味/実用

食事を読み、本を食べる

更新:2020.11.27 作成:2017.1.8

新年あけましておめでとうございます。皆さま、お正月はいかがお過ごしですか。暴飲暴食ぶちかましていますか。クリスマスハイからの新年ハイで食べ過ぎてはいませんか。食べ過ぎてますか。そうです。それが正しい年末年始の過ごし方。2,3kgの増量は誤差を合言葉に、食っちゃ寝が赦される素晴らしき数日間を愉しみましょう。

ハナエプロフィール画像
シンガー
ハナエ
1994年2月27日生まれ、福岡県出身。可愛さと中毒性をあわせ持つ歌声が魅力のガールポップシンガー。13歳の時にGreat Hunting(現ユニバーサルミュージック新人発掘育成セクション)担当者の目に留まり、2011年6月「羽根」でメジャーデビュー。TVアニメ『神様はじめました』第1期・第2期のテーマソングとなった3rdシングル「神様はじめました / 神様お願い」、7thシングル「神様の神様 / おとといおいで」が国内外で話題となる。2015年3月には2ndアルバム『上京証拠』をリリース。この作品は全世界251カ国でも配信された。2016年3月には作詞をすべて手がけた3rdアルバム『SHOW GIRL』をリリースした。2017年、クラウドファンディング限定で1stミニアルバム『Red Lips, Red Kiss』、初となる詩集『路上のロリータ』を発表した。 http://ameblo.jp/hanae-officialblog/
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フィクションの中に存在する食事風景に憧れたことが、誰しも一度はあるのではなかろうか。美味しそうな食べ物を目にした時の歓喜、挑発される摂食中枢、刺激される味蕾……その歓びは想像すれば想像するだけ無限の拡がりをも見せる。

新年、何かと食にまつわる誘惑が多いこの時期。食欲と体型維持(もしくは健康維持)とを天秤に掛けて狼狽している方も多いだろう。そんな新年に追い打ちを掛けるように、今回は食にまつわる本を紹介したいと思う。

徹底的に食べ物と向き合うエッセイ

著者
森 茉莉
出版日
明治の文豪・森鴎外の娘として生を受け、父に寵愛されお嬢様として育った森茉莉。彼女に備わった生活能力は皆無だったが、料理だけは例外だった。作ることにも食べることにも、美意識と言っていいほどの拘りを貫いた彼女の食エッセイ集。

このエッセイの面白い点は、森茉莉自身が恐ろしいまでに徹底的に食べ物と向き合って言葉を紡いでいるところだ。まるで、私に食べられる為に存在する食べ物でないと食べる価値がない、と言わんばかりに。卵料理の美味しさを語る章では、冒頭からいきなり“私と卵とのつき合いの歴史を言うと”と語り始めたりする。大袈裟すぎやしないか? 否、食事なぞ本来はごくごく個人的なもの。これが好き、これが最高、これは嫌い、これは赦せない。選り好みしたって良いではないか。栄養バランスを考えて食べなさい、好き嫌いを無くしなさいと子供の頃に幾度となく言われ続けたけれど、大人になれば自分の肉体になる食べ物くらい自分で選びたいというものである。

森茉莉による食にまつわる独断と偏見のオンパレードは、わがままで、気ままで、煌びやかで、読んでいて気持ちが良い。チョコレエト(チョコレート、ではなくチョコレエト。このお耽美な表記も良い)を“コカイン的嗜好品”と言い切ってしまうストレートさも痛快だ。

贅沢をこよなく愛した森茉莉だからだろう、食べ物の見た目や香り、食感、味を表現する言葉も極めて贅沢だ。ページをめくるたび漂ってくるかのような芳醇な薫りと、文字のリズムが奏でる愉しい食感に心が踊る。贅を尽くした美しい言葉で描かれた食べ物たちが美味しそうなのではない。贅を尽くした美しい言葉、それ自体がもう既に美味しいのだ。

この世界のあらゆるデートは食を中心に回っている

「うんとお腹をすかせてきてね」(「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」に収録)」

2005年02月01日
江國 香織
集英社
“女は、いい男にダイエットをだいなしにされるためにダイエットをするのだ”という圧倒的破壊力を持った一文からこの短編は始まる。なんて暴論、しかしとてつもなく正論だ。ほとんど泣いてしまいそうになる。恋愛至上主義的な傾向を持つ(とわたしは思っている)江國女史の言葉だから“いい男”に限定されているが、わたしは“いい女”にダイエットをだいなしにされるのも好きである。好きな人とお酒を飲みながら、禁忌的な時間に食べるジャンクフードや甘いものは最高。例えぜんぶ脂肪になっても愛おしいとさえ思える。

この短編は、恋人である裕也と美代がひたすら食事をする話だ。たった17ページの短い物語。普段はそれぞれの職場で社会人として働くふたりが、ふたりだけで居る時間はただの“裕也”と“美代”になり、身体全部を使って食事をする。プランスパンをちぎってバターをのせ、香辛料や果物と煮込まれた鹿肉のソースをすくい、恋人に差し出す。濃い油で深く揚げられた熱く強い味のする串揚げを、礼儀正しく食べる。甘いお菓子のその甘さを、皮膚で吸収するように食べる。野蛮ともとれるほど幸福な食事風景に、胸が掻き乱される。

この世界のあらゆるデートは食を中心に回っている、と思う。わたしたちの対人関係は、恋愛は、食に翻弄され続けている。健康で単純で誠実な正しい動物として食事が出来ること。その素晴らしさを分かち合える人と一緒に居られる幸福を改めて実感出来る一編。

憧憬のような崇拝のような恋慕のような、とにかくとても強い好意を抱いている女性に誘われ初めてふたりで食事に行った時のこと。わたしは無意識のうちに、メインからドリンクに至るまで全て彼女と同じものを注文していた。ふたりでシェアして食べる料理は、彼女と同じぶんだけ食べた。二十歳を越えてすぐのことだったので、すぐに酔っ払ってしまわないかどきどきしながら彼女と同じお酒を飲んだ(案の定すぐ酔ったし、未だにお酒にはひどく弱い)。琥珀色のアマレットジンジャーを飲む彼女の喉元が白く艶めかしく動いていたのが印象的で、それを見ながらわたしはとても満ち足りた気持ちになっていた。今考えれば、好きな人と同じ肉体的組織の構成要素を体内に得られることが嬉しかったのかもしれない。

食事。基本的には毎日するもの。本能的であり、日常的な行為だ。ひとりでも出来るし、適当に済ませることも出来る。生命維持の為だけの摂食ならば、香ばしい焼き色も、つやつやのグラッセも、まるで無意味だ。一年のうち、幸福で身体いっぱい満たされるような食事をとることが出来るのは何回だろう。人それぞれだろうが、きっとそんなには無い筈だ。だから、食事というごく普遍的な行為をドラマチックに描いた本が、わたしは堪らなく好きだ。