いつの時代でも、どのような立場でも、性産業で働く人々は存在する

更新:2021.12.1

吉原、と聞いて何をイメージするだろうか。 江戸時代、豪華絢爛な衣装を着た、最上級の遊女「花魁」が練り歩く華やかな通りか。今は亡き、「赤線」があった土地か。それとも、売春防止法が施行されている現代、性風俗サービス店が多く集まる土地としてか。 遠い昔か、現在か、私が「吉原」に持つイメージはこの2つであった。それをつなぐもの――。

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大正13年。
吉原に売られた少女が自力で脱出するまでの2年間を綴った日記がある。

吉原花魁日記

著者
森 光子
出版日
2010-01-08

当時、日本には公娼制度があった。限定地域内の登録者のみが、「娼妓」として、売春を許可するという法律があったのだ。光子は家の借金のために、売られることになった。自分がこれから売春するのだとしらないまま、法に則って「娼妓」となる。酒席で酔客の相手をするだけと信じ込まされている彼女が、そのまま警察署で手続きを行わされ、合法的に「娼妓」になる過程が、克明に記録されている。

当時も法律上では、娼妓になるのも辞めるのも本人の自由で、強制的にさせるものではないとされていた。自分の意思で娼妓を辞めることを「自由廃業」と言う。しかし、警察に捕まったり、報復を受けたりすることを恐れて、「自由廃業」など自由にできないのが現状であった。借金を背負わされ、更に手持ちの金なども持たせない環境で、身動きができない娼妓が大半であった。

何も知らなかった光子は、自分の立場、自分や他の娼妓たちが置かれた環境、そして客たち、すべて日記に記す。働いても働いても、借金は中々減らない。搾取するシステムがあることを告発している。公娼制度が娼妓たちを囲い込み、人身売買ビジネスを大いに手助けしていたことがわかる。

彼女がありのままに記した娼妓としての生活。苦海に生きる女性たちの生活。ただの「記録」ではない。文学として、読者を引き込んでいく。生活に呑まれず、自分を保つための方法が、日記を書き続けることだったのだ。

「娼妓なんて良い方だよ」「君なんか、着物は好きな立派なものが着られるし、仕事だって楽だし、性慾には不自由はないし(後略)」
などと、女工より娼妓のほうが楽だと言った客に、光子はこう返した。
「牢屋に入って、五年も六年も出られない貴方だと思って御覧なさい。そのあなたが、どんなに立派な、綺麗な着物を着たつて、それをあなたは喜んでいられますか。(略)尊い人間性を麻痺さして、殺して了う様なものじゃないの。(略)性欲に不自由ないなんて、まさか、蝮や毛虫を対象に、性慾は満足出来ないでしょう?(後略)」
(鍵括弧内、『吉原花魁日記』から引用)

彼女たちを閉じ込めていたのは、証文、借金、法律……それだけではない。「娼妓」に対する社会の目も、彼女たちの自由を奪っていた。法律上は、人身売買は禁止されていたはずだった。しかし実質的に、光子は人身売買によって娼妓になり、スティグマとなる。

著者
荻上 チキ
出版日
2012-11-29

光子も入院していた「吉原医院」の病院長が記した『売春婦の性生活』という本を読んだことがある。戦後、1952年に出版された。公娼制度が廃止された以後の、重要な統計資料だ。現在は絶版となっているが、この本の調査結果を一部引用している本はある。荻上チキ『彼女たちのワリキリ』だ。この本では、個人売春を行う女性たちへインタビューを行っている。

日本では売春は合法ではない。合法な性風俗店では、一切売春は行われていないことになっている。しかし、性サービス業と法律上の「売春」の社会的扱いは、きっちり線が引かれているわけではない。

職業は売春婦

著者
メリッサ・ジラ・グラント
出版日
2015-07-24

メリッサ・ジラ・グラント『職業は売春婦』では、セックスワーカーでもあった著者が、米国の偏見その社会的仕組みについて解き明かしている。米国と日本の状況は同じではないが、性産業従事者に対する差別と偏見は共通している。「一般大衆に淫売とみなされたなら、どんな形で攻撃されるかわからない」

大正時代の娼妓も恐れていたことだ。人身売買の被害者でも、自分の意志で遊郭に入った者でも、同じように恐れていたことだった。現代でも同じだ。

光子たち、ワリキリをする者たち、メリッサ・ジラ・グラントのようなセックスワーカーたち。彼女らは、女性で、「売春婦」であるが、彼女らを一絡げに語るのは、とても暴力的だ。人身売買も存在しているし、合法的な性産業も存在しているし、いつの時代でも、どのような立場でも、セックスワークで働く人々は、存在している。

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