コロナ禍で、イベントやロケの仕事がどんどんなくなった。憂さ晴らしにぱーっと飲みに行きたいところだがそういうわけにもいかないし、旅にも出られない。ならば少々気合いを入れて食事を作ろうと張り切れば、張り切った分だけ太る。これからどうしようとか、考える時間はたっぷりあるのだが、これも考えた分モヤモヤが蓄積されてしまって、気が滅入る。タレントという職業の不要不急さを目の当たりにしたようで落ち込む。“・・・コロナとか関係なく自分の需要の無さでは?”とか考え始めたらもうモヤモヤのモヤ自体になってしまいそうだった。仕事がなくなって、太って、落ち込んで、引きこもって・・・行き着く先は一つだ。“仕事、やめよう。”
しかし、やめた後の自分がうまく想像できない。昔、同じ事務所の子が引退したときに「売れたいとかそういうことから解放されて本当に楽になった!」という風に話していたと聞いた。自分もそうなるのだろうか。せいせいするのか、後悔するのか。最初は寂しいけど、だんだん慣れるものだろうか。肩の荷が降りたような気持ちになったあとで、どっと寂しさが押し寄せてくるのかもしれない。それならいっそのことテレビとかスマホとか捨てて、仙人のような生活をするのはどうだろうか。暇か。いろんなパターンを考えてはみるもののやっぱりわからなかった。わからないことは、怖い。
怖いものには近寄りたくないが、目を背けることはできない。そこで私は、もうひとふんばりして、自分の好きなことを掘り起こせるように考えてみることにした。しかし浮かぶのは苦手なことばかりだ。自分の容姿やキャラクターには全然自信がない。自分が求められることなどあるのだろうか?私がこの仕事を続ける意味はあるのだろうか?つい、そんなことばかり考えてしまう。でも、仕事が楽しくないわけではない。じゃあ今、何が楽しいんだろう?・・・そうだ。書くことだ。
このコラムを書くことが苦しくて、楽しい。苦しいから、楽しいのかもしれない。どんなことを書こうか、どんな書き出しにしようか。計画性というものがまるでないので、いつもほとんどゴールを決められないままに出発する。仮にゴールを決めていても、そこにたどり着くことができず、書いては消して、書いては消してを、何日も繰り返す。パソコンを睨んだまま、ただ時間が過ぎていったり、“でも”と“しかし”どっちがしっくりくるかを夜な夜な考えたり。気持ちをリセットしようとしてネットで衝動買いしたり(さっきiHerbで洗剤とナッツバーをたくさん買いました)
深すぎる時間に血眼になって書いた大作は、だいたい朝の光と共にこっぱずかしい駄文に変わる。全部消して、まっさらな状態に戻って一から出直す。その間はとても苦しいが、出来上がって保存のボタンを押す瞬間の爽快感がたまらない。いつも脳内に自由の女神が浮かぶ。毎月ちょっとしたお産をするような、この作業が好きなのだ。
私は、書ける場所を探してみることにした。アドバイスをくれそうな友人に相談してみると「きっと需要はあるよ。今までタレントとしてやってきた経験も活かせるはずだから、がんばろう」と背中を押してくれた。とてもポジティブな友人は、自分の道を自分でザックザク切り開いて進んでいくような女性だ。うじうじネチネチ話す私の悩みをたくさん聞いてくれた。思えば、今まで悩んだりモヤッとしたとき、人に相談するのが苦手だった。話し始めるときっと、自分の中にあるヘドロみたいにドロドロでくだらなくてどうしようもない負の感情が流れていってしまって、呆れられそうだからだ。“言わない”と決めてるんじゃなくて“言えない”。それは消化されることなく、積もり積もって、固くなっていた。
友人は「楽しそう!紹介できる人もいるよ。いろんな人に話を聞いてみよう!」と、まるで自分がこれから楽しいところへ行くかのように目を輝かせてくれた。どんよりしていた気持ちに光が差して、柔らかくなった。
それから何ヶ月か経って、私は今猛烈にカレーを食べている。理由はのちほど。ほとんど毎日のようにカレー三昧だ。ランチに別々の店で二皿ミールスを食べたときは、胃がひっくり返りそうになった。元々好きで食べ歩いていたけれど、食べたい時に食べたいカレーを食べるただの趣味だったので、グルメブロガーさんとかのすごさがわかる。気になる店を探しては足を運んで食べる、食べる、食べる。カレーなのが救いだ。昼間にもりもり食べて、夜を控えめにすれば全然太らないし、むしろ健康的。スイーツとかラーメンだったら、あっという間にまんまるになっていただろう。(今でもまるくなくはないけど)ありがとう、カレー。やっぱり好きです。
とにかくたくさんのカレーを食べながら、私は憧れだった“書く仕事”の入り口に立っている。いや、既に少しずつ歩き始めているのだ。
友人は、私が気になっていた会社の方をすぐに紹介してくれた。どんな風に話したのかは怖くて聞けなかったが、タレントの端くれが書く仕事に就きたいなんていう舐めた話を受け入れてくれて、会ってもらえることになった。緊張していつも以上にモジモジしていたら「こんなに声の小さいタレントの人っているんですね」と言われた。なぜかうれしかった。そういえば最初、よくわからないくせに「コピーライターになりたい」と口走って変な顔をされた。よくよく聞いてみれば確かにコピーライターにはなれなさそうだなとは思ったが、名前の響きがかっこいいので今でも憧れている。
こうして私は“好きなこと”に一歩近づくことができた。その会社は、“面白くて変なことをしている会社”で、いろんな人がいて、いろんな仕事をしている。(いろんな、で濁したがほぼ何をしているのかわからない)
さらに、夏目前という季節が味方してくれた。雑誌のカレー特集があるから、それを書いてみませんかと言ってもらえたのだ。(カレーといえば夏)もちろん「やりますやります!」と飛びついたわけで、鼻息フガフガ言わせながらあちこちでカレーを食べまくっているという今に至る。担当する企画やお店も決まってきて、初めて名刺も作った。(これも作り方がわからず嘆いていたところ、優しくてセンスの良い友人が可愛い名刺を作ってくれた)できたてホヤホヤの名刺を持って、まずは別の企画の現場を見学させてもらった。初めての名刺交換はルールが全くわからず、失礼な作法になっていた気がする。初心者マーク型の名刺を作り直そうか。
来週からは私の担当する企画の取材が始まる。取材を終えるとそれを元に原稿を書く・・・はずだ。「初めてやるにしては、量が多いのでハードだと思います」と編集の方に言われたのだが、実はまだ何をどういう風に書くのか、全くわからないでいる。なのでどの辺がどうハードなのかもよくわからず、嵐の前の静けさのような、シーンとしているのにドキドキソワソワした複雑な気持ちだ。だがひとつ言えるのはとても、とても楽しい。友人知人の力をたっぷりと借りたわけだけれど、少しだけ自分で道を切り開いたような気がしているし、自分でじっくり考えて動くのはやりがいがある。
おそらく大変なのはこれからで、再来週くらいには音を上げているかもしれない。でも、逃げ出さないよう、自分を捕まえておくためにこの記事を書いた。これが公開される頃には、私が初めて書いた記事が雑誌に載っているはずなのだ。もちろんどの雑誌なのかはあとで紹介するが、ページをめくってみて私の名前がなかったら・・・そっとしておいてください。
そうそう。不思議なもので、楽しいことが見つかると、どんよりした気持ちで続けていた本業の方もつられて楽しくなってきた。環境を変えてみると、物事を見る角度も変わってくるのかもしれない。(つまりタレント活動もやめてませんので、そちらもよろしくお願いします。)
- 著者
- 弘之, 阿川
- 出版日
勤めていた出版社が倒産し、職を失った六助と千鶴子が、一国一城の主になるべくカレーライス屋を開業しようと奮闘する物語です。これだけ聞くと、なんだか脱サラして蕎麦屋を開くドキュメンタリー番組のようでもありますが、この小説が書かれたのは昭和36年。戦争が終わって16年の高度経済成長期。特製インドカレーは150円。カレーライスは100円。やり取りは手紙や電話で、東京から広島へは寝台列車で行く時代です。人々のやや興奮したような息遣いが聞こえる一方で、戦争が残した悲しみもまだ生々しく残るこの作品は、生きること、働くことにおいて何が大切かを易しく面白く、そして温かく教えてくれます。
読み終わるまで、そんな前に書かれた小説だったなんて気が付かないくらいに、本当に面白くてどんどん引き込まれました。いつの時代にも必要な物語です。ぜひたくさんの方に読んでいただきたいです。もちろん、カレーが食べたくなりますので、カレー巡りのお供にもおすすめ。
Meets Regional2021年9月号
2021年7月30日
例の一冊です。告白しますと、2企画で何かやっているはずなので、探してみてください。情熱を持って、お店選びも、企画も、取材もされていて、meetsが愛される理由だなぁと思いました。厳選されたカレー店にもぜひ足を運んでいただきつつ、本はぜひ何冊か買って配ったりしてください。
- 著者
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- 出版日
こちらでは毎年カレーアワードの審査員をさせてもらっているのですが、コメントの文字数制限など無視して好き放題書いたりしていて、本当に申し訳なかったなぁと反省しています。情報量がものすごいので『この近くにカレー屋はなかったかなぁ?』と本を開けばほぼある、という素晴らしさです。すみませんが、こちらも自分で読んだり配ったりしてください。
小塚舞子の徒然読書
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