カレー屋さんになりたい【小塚舞子】

更新:2021.12.12

一日だけ、カレー屋さんをやることになった。生放送の空き時間、突然たむらけんじさんに「まいまい、自分が作ったカレーを人に食べてほしいとか思わんの?」と訊かれた。深く考えないまま「そうですね。思ったりしますよ。」と答えたら「ふーん。わかった。」と言ってそのまま去っていかれたというこの短い会話がすべての始まりだった。その後、飲食店にチャレンジしてみたい人がレンタルできる「コロコロレストラン」というスペースをたむらさんが作り、そこに誘って頂いた。

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カレー屋さんになる…!

しばらくしてからLINEで「いつにする?」と言われ、焦った。私は飲食店の経験がない。それどころか、今の仕事以外まともに働いたことがない。趣味程度に家でカレーは作っているものの、決まったレシピもないし、いつも作っているカレーがだいたい何人前くらいあるのかも全くわからない。ないない尽くしのスタートは不安しかない。しかし、私は芸人じゃないにしてもたむらさんは先輩だし、「思ったりしますよ」と答えてしまった。今更「やっぱ、やめときます」なんて言えるわけない。このまま忘れてくれないかなぁとか考えたりしつつも、その時はちょうどカレーライターの仕事が始まったばかりだったので、とりあえずはそっちが落ち着くまで待ってもらうことになった。

保留にしたものの、毎日そのことが気になって仕方ない。カレーの記事を書きながら自分のカレーのことも考えていたら、脳みそのほとんど全てをカレーに捧げるような生活になってしまった。そして頭にカレーがあるとどうしてもカレーが食べたくなる。毎日のようにカレーを求め、あちこちのカレー屋さんに足を運ぶ。スパイスの香る店内で美味しいカレーを食べていると、今度は「私なんかがお店でカレーを作って出してはいけないのでは?」と思えてきて、ますます悩んだ。

そこで、失礼ではあるがカレー屋さんのシェフに相談してみることにした。今はもうないお店で、でも私はそのカレーの味が大好きだった。ドキドキしながら連絡してみると「いつでも作り方教えますよ!」と言ってくれた。ありがたく甘えさせてもらうことにした。早速カレー作りを教わることになった。あらかじめ調合したスパイスを持ってきてくださり、たくさん作るときの一番簡単な方法を教わった。それはもう両目からウロコ。私が作っている作り方とは全然違っていて、しかもとても美味しい。これならある程度の量を美味しく作れるかもしれない。少しだけ自信をつけた私はたむらさんに連絡を取って、カレー屋さんになる日程を決めた。

日程が決まると、今度は告知のための文章と写真を送って欲しいと言われた。最近の写真のほうがいいかなと思ってスマホのカメラロールを探してみる。自分の写真が全然なかった。なんとなくせつない気持ちになったが、夫がカレー屋さんで撮ってくれた写真を見つけたのでそれを送ると「マスクしてない方がよくない?こんな時くらい、コロナ忘れようや」というメッセージが返ってきて、それもそうかと思って違う写真にしてもらった。カレーの名前もいろいろ提案していただいたが、そんな大層なものじゃないなと思い、ただの「チキンカレー」にしてもらった。 

予約制にするか否かも考えなくてはならなかった。予約してもらうほどのことでもないかなと思ったが、誰も来なかったら寂しい。それに仕込む量もあらかじめ把握したかったので、やはり予約制にした。告知文も考えて、いざ予約開始。お店のホームページに載せたよという連絡を頂いた時間に私はもう寝ており、朝になって自分のInstagramで告知をしてみた。盆明けの平日の上に、正直言ってお店のアクセスもあまりよくない。カウンター8席を4回転は、もしかしたら多すぎたのかもしれないなぁと思ってTwitterにも告知文を載せてみたところ、「既に予約埋まってましたよ」というコメントがきた。びっくりした。嬉しい反面、プレッシャーがぐんと迫ってきた。

自分の「好き」を目指して

ちょうどその頃、わたしは一冊の本を読み始めていた。“不器用なカレー食堂”という本だ。以前カレーに関するコラムを書いたときに編集の方が勧めてくださり、取り寄せていた。東京にある“砂の岬”というカレー店のご夫婦が書かれた本で、お店を始めるまでの道のりから、料理、空間、音楽、お店の空気づくりに接客など、お二人のこだわりがつまっている。それは“こだわり”という簡単な言葉で表現できないくらいの想いで、だからと言って“信念”みたいに頑固な感じもしない。風のように自由でしなやかで、だけど時には自分たちの身を削ってまで、真心の込もったおもてなしをされているのがとにかく素敵で、またもや私がカレーを作って良いのかと不安になってしまった。

しかし、それと同時にちょっと楽しみだなとも思うことができた。“砂の岬”は今回カレー作りを教わった方がおすすめしてくれた店で、実は二年くらい前に店の前まで行って「子連れNG」というまさかの事態で食べられなかったのだが、この流れに縁を感じずにはいられなかったのだ。ずっとタレント業しかしてこなかった私を変えてくれる機会なのかも。そこから見えるものがあるのではなかろうか。そう思うとドキドキした。そしてこの本を読んでいたことで、お店でカレーを食べるときの気持ちも変わっていた。今まではただ食べたいという欲求だけだったが、どんなカレーをどんな環境で出しているのか、それはいくらなのか、などということを考えるようになった。何が入っているかとか、どんな作り方をしているのかはわからない。でも、味のバランスとか副菜がどんな感じかとか、私のカレーとどんなところが違うのかを考えながら食べることは面白く、カレー店巡りを始めた頃のような気持ちになれた。

いろんなカレーを食べているとどれも美味しいのだけれど、好みに合うものも、合わないものもある。お店で出すには誰が食べても美味しいと思えるカレーを作らなくてはと意気込んでいたのだが、とりあえずは私が好きな味に仕上げたいなと思った。カレーの好みは難しい。酸味が苦手な人、カレーは好きでも辛さが苦手な人、ある程度辛くなくては物足りないと言う人もいる。辛さの好みも人それぞれだし、粘度の好みだってそうだ。脂っこい方がいい人もいれば、胃もたれしてしまう人もいる。みんなが好きな味というのはもちろんあるけれど、それはもうプロにお任せするとして、とにかく自分が好きなカレーを作ろうと決めた。

カレー屋さんへの道のり

教えてもらったレシピを参考に試作を繰り返す。最初は買ってきたパウダースパイスで作っていたが物足りず、ホールスパイスを焙煎して粉砕することにした。本当は臼みたいものでゴリゴリ手作業するのが良いそうだが、そこまでできる気がしなくて電動ミルを購入した。ネットで注文し、届いたミルを使って早速スパイスを焙煎して砕いてみると、もう倒れそうなくらいいい香りがした。甘い香り、爽やかな香り、香ばしいようなビターな香りが合わさって、それだけでいっちょあがりの気分。上々だ。

せっかくいい香りになったので、調味料はあまりいろいろ使わないようにした。カレーに合わないものはほとんどないと思う。特に市販のルーで作るカレーにおいては、よく隠し味としてコーヒーやチョコレートを入れたり、メーカーの違うルーを混ぜたりと複雑な味わいに仕上げるレシピを目にする。しかしなるべくシンプルに、身体に優しく作りたかった。お肉、野菜、油、お肉を漬け込む用のヨーグルト、それにスパイスと塩。最低限のものを使おうと決めた。

いつも作っているカレーは最初にも書いたとおり、決まったレシピがない。スパイスを入れる順番とかも間違えているだろうし、プロから怒られるような作り方をしているかもしれない。なので、美味しくできるときもあれば、あんまりのときもある。しかし一つだけこだわりがあって、それは“生のトマトを使うこと”だ。カレーを作り始めたとき、ネットや本でカレーの作り方を見ているとホールトマトを使うレシピが多くあった。私もずっとトマト缶を買ってきて使っていたのだが、あるときトマト缶を切らしていたことに気が付き、冷蔵庫にあった生のトマトをみじん切りにして入れてみたらとても美味しくなった。爽やかな酸味と旨味が加わる。教えてもらったレシピにはなかったけれど、トマトを入れてみることにした。

まずは教わったレシピで作ってみながら、ここかな?というタイミングでトマトを入れる。スパイスの香りが飛んでしまい、青臭さくなってしまうこともあった。量を減らしてみたり、皮を剥いたり、ペースト状にしてみたりして、なんとかギリギリトマト臭くならない方法を見つけた。いつも作っているカレーより割合としてはかなり少量になってしまったので、もはや入れなくても変わらないのでは・・・というくらいだったが。

次に鶏ガラでスープを作ってみることにした。近所のスーパーをいくつ回っても鶏ガラが見つからず、少し足を伸ばして業務用のスーパーに行ってやっと手に入れた。最初は怖くてトレーから出すこともできなかった。夫に出してもらい、下処理のほとんどをやってもらってから、トングを使って恐る恐る鍋に入れることが精一杯。しかし、ほとんど毎日のように鶏肉の皮を剥いだり余分な脂を取っているうちにすっかり慣れて、ゴシゴシ洗っていらない部分がないかチェックできるようになった。そうして処理した鶏ガラと野菜の切れ端を使ってスープを取る。美味しい。

そんな風にして、なんとか好きな味に近づけることはできたが、問題は塩加減だった。最近は娘のための薄味料理に慣れていたり、菜食のごはんを好んで食べていたり、お酒を飲まなくなったりしていたので、塩分の濃いものが苦手になっていた。しかし、外で食べるカレーは塩味をはっきり感じるものがほとんど。私の作るカレーではきっと味が薄く感じてしまうだろうけれど、塩分を濃くすれば後で喉が渇いたり、翌日浮腫んだりして、身体に優しいカレーではなくなってしまう。口に入れた瞬間の美味しさを取るか、食後の心地よさを取るか。一回きりの営業ならばインパクト重視にしたほうが良いのか。悩み抜いた結果、やはり塩は控えめにすることにした。自分が塩辛いと感じないくらいのギリギリのところで抑えて、その分副菜は塩を多めに使ってバランスを取る。誰も気が付かないかもしれないけど、水が欲しくならないカレーを作るのも、小さなこだわりだった。

その他にも問題は山のようにあった。スープを前日に作ったほうが安心できるが、32人前ものスープを作れる鍋がない。あらかじめ寸胴を借りたとしても、家庭用のコンロでは限界があるし、出来上がったスープをどうやって運ぶのかも考えつかなかった。2〜3種類は添えようと思っていた副菜も前日に作っておくか、当日の方がいいのか。お米はちゃんと炊けるだろうか。サラサラのチキンカレーをジャスミンライスで軽やかに食べてほしい。家だと炊飯器の早炊きモードであっという間だけど、お店にある炊飯器はどうだろう。そもそも全部で何合くらい必要なんだろう。お皿はお店のものを使わせてもらえるけれど、盛り付けの練習は当日までできない。お水や飲み物はこちらで用意するのだろうか。だとすると何がいいのか。

ぐるぐるぐるぐる。頭の中は完全にカレーに支配されていた。毎日のように、起きてから眠る瞬間まで、どんな手順で作ろうか、どんな風に運ぼうか、作戦を練り続ける。考え込んでいると、また怖くなってきてもいた。失敗したらどうしよう。わざわざお休みを取ってくれた人も、楽しみにしてくれている人もいる。後戻りはできないのだから、前に進むしかない。でも・・・

こんな風に、気持ちがあちらこちらに引っ張られる中、本番の日は迫っていた。
(つづく。長くなりすぎましたごめんなさい)

食べるスパイスと、生きるスパイスが味わえる本

著者
["克明, 鈴木", "有紀, 鈴木"]
出版日

東京・桜新町で「砂の岬」というカレー店を営むご夫婦がそれぞれの目線を描いたエッセイ。生い立ちから、人生の迷い、食との出会い、インドとの出会い、おふたりの出会い・・・。カレー店を開くまでのエピソードも、生々しいほど正直に書かれています。その正直さというか真面目さというか、おふたりの真心に魅了されながら、インドに旅したような気持ちになったり、恋の行方に涙したり、心が揺さぶられる素敵な一冊です。

お店に流れる空気やスパイスの香り、そこにいる人の息遣いが感じられるこの本を読むと、もう砂の岬に行きたくて行きたくて、うずうずしてしまいます。そして、“生きること”“食べること”を学ぶこともできる貴重な内容は、日々に活力を与えてくれます。私の人生にとって、大切なスパイスになった本です。

著者
["小此木 大、本田 遼、濱田祐介", "LLCインセクツ", "衛藤キヨコ"]
出版日

神戸のスリランカ料理店「カラピンチャ」、京都のインド食堂「タルカ」、大阪のネパール料理店「ダルバート食堂」。関西の美味しいカレー店の店主から教わるレシピ本です。日本では馴染みのない食材やスパイスのことが書かれていたり、スリランカ、南インド、ネパールの食文化や現地のレストランガイドがあったり、カレーを作らない人にも楽しい内容です。

しかしやっぱりレシピを見ていたら、作りたくなってしまいます。「こ、これはめんどくさそうだからお店で食べたいな」というものもありますが「これなら家でもできるかも」というシンプルなレシピも。本を開くたび目に飛び込んでくる、美しくおいしそうな写真も魅力的です。三軒ともとっても素敵なお店なのでレシピにも目を通しつつ、足を運んでいただけたら嬉しいです。

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