『塀の中の美容室』再生を描いた物語を、原作版とマンガ版を比較しながら紹介します。

更新:2022.4.16

第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞し、高い評価を受けた『塀の中の美容室』(作画・小日向まるこ、小学館ビッグコミックススペシャル)。女子刑務所の中にある美容室を舞台に、重い罪を犯して服役中の受刑者と、彼女に髪を切ってもらう一般客の姿を通じて「再生」を描く物語は、大きな話題を呼びました。 マンガ版の『塀の中の美容室』はコミカライズとして展開された作品で、原作は桜井美奈による小説『塀の中の美容室』(双葉文庫)です。原作のエッセンスをうまく取り込み、物語の間口を広げたコミカライズと、登場人物たちの心情を丁寧に掘り下げながら濃密なヒューマンドラマを展開する原作小説、それぞれに魅力と読みどころがあります。この記事では物語のベースとなった小説版を中心に取り上げて、マンガ版にも触れながら『塀の中の美容室』の世界をご紹介します。 『塀の中の美容室』は、躓きながらも前に進もうとする人たちの背中をやさしく押してくれる物語で、社会生活や人間関係で疲弊したり、悩みを抱えている人にとりわけおすすめです。またコミカライズ版のみを読んでいる人には、この記事を通じて小説版の魅力を知ってもらい、原作にも挑戦してほしいと願っています。

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作家・桜井美奈の紹介

コミカライズが人気の『塀の中の美容室』や、発売後約1年で15万部を突破した『殺した夫が帰ってきました』が話題になるなど、近年注目が高まっている小説家の桜井美奈。作家としては10年近いキャリアがあり、これまでにもさまざまな作品を手がけています。

桜井美奈は2012年に第19回電撃小説大賞の大賞を受賞し、翌2013年に受賞作の『きじかくしの庭』(メディアワークス文庫)でデビューをした作家です。『きじかくしの庭』は、恋や友情・家庭の事情などさまざまな悩みを抱えた女子高生たちと、生徒を見守る男性教師の両方に光を当てながら、それぞれの葛藤や心の成長を描いた物語。

タイトルにもなった「きじかくし」とはアスパラガスのことで、学校の片隅にある荒れ果てた花壇を舞台に、少女たちと教師の交流が連作短編形式で展開されます。女子高生たちの世界のみならず、大人である教師側の悩みや恋愛事情も掘り下げられるなど、丁寧な心理描写と人間ドラマが魅力的な物語に仕上がっています。

メディアワークス文庫から2作品を発表した後、桜井はさまざまなレーベルへと仕事を広げていきました。

『嘘が見える僕は、素直な君に恋をした』(双葉文庫)は、人の嘘が見える特殊能力をもった少年を主人公にした青春ラブストーリー。『居酒屋すずめ 迷い鳥たちの学校(文響社)は、潰れた居酒屋の再生とそこで昼間運営されるフリースクールをテーマにした物語。『さようならまでの3分間』(一迅社メゾン文庫)と『幻想列車 上野駅18番線』(講談社タイガ)は、連作短編集形式でさまざまな人の未練や忘れたい記憶に光を当てながら、生きることの意味を問いかけていきます。

そして現時点で最新作の『殺した夫が帰ってきました』(小学館文庫)は、死んだはずの暴力夫が記憶をなくし、別人のように穏やかになって妻の元にあらわれるという、異色のサスペンスミステリー。一体夫は誰なのか、そして過去に何があったのかというスリル満載のストーリーを堪能できる一作です。

 

原作版『塀の中の美容室』のあらすじ紹介

著者
桜井 美奈
出版日

桜井美奈の代表作のひとつである『塀の中の美容室』。女子刑務所の中で営業を行う美容室を舞台にした物語は、全6章で構成された連作短編集の形をとり、毎回異なる人物が主人公として登場します。

最初に美容室を訪れるのは、激務に追われて恋人とのデートもままならない、テレビ番組制作会社勤務の芦原志穂。以前から有給を申請していた恋人の誕生日という大切な日に、志穂は上司から刑務所の中にある美容室の取材を命じられ、恋人との約束をドタキャンしてしまいます。

行きの電車の中で恋人から別れを告げるメールを受け取った志穂は、今後の身の振り方を考えながら取材先へと向かいました。そうして訪れた「あおぞら美容室」に一歩中に足を踏み入れると、晴れた日の空のような透き通ったブルーの壁と、白い雲のような床と椅子という開放感にあふれた内装が目に飛び込んでくる――。

志穂の髪を切ってくれたのは、長い髪の毛をお団子にまとめた20代の若い女性でした。ある程度刑期が長くないと、刑務所の中で美容師の資格を取ることはできません。つまり美容師となったこと自体が、重い罪を犯した証なのです。

一体なぜ、あおぞら美容室の彼女――小松原葉留は受刑者となり、そして刑務所の中で美容師という道を選択したのか。志穂をはじめとする美容室の利用客たちの視点を通じて、葉留の過去と罪、そして再生への苦闘が次第にあぶり出されていきます。

第2章の語り手は、40年ぶりに美容室を訪れた老女の鈴木公子。彼女は息子家族との関係が上手くいっておらず、美容室の利用も注意されています。第3章の主人公の加川実沙は、転職して刑務所の美容学校の講師になったものの、新しい環境と仕事を前にもがき続けている女性です。第4章では、パーツモデルとして活躍していた一井彩の歩みを通じて、犯罪者の身内というテーマも掘り下げられていきます。第5章は、スリルを求めて興味本位で美容室を訪れる中学生の藤村史佳の物語。そして第6章では、葉留の姉の小松原奈津が登場し、妹の罪と自身の葛藤が語られます。

原作小説では最後まで小松原葉留が語り手とはならず、彼女の姿はあくまで他者の視点から語られていきます。間違いを犯しながらも、自身の罪と真摯に向き合い、前に進んでいこうとする葉留。物語を読み終えてからカバーを眺めると、微笑みを浮かべながら自らの髪を切り落とす彼女の姿に、思わず目頭が熱くなるかもしれません。

 

原作版『塀の中の美容室』の魅力とみどころ

刑務所の中にある美容室という、ユニークな場所を舞台にした『塀の中の美容室』。作者が得意とする連作短編という形式をベースに、罪と再生という重いテーマと、青空が描かれた美容室という魅力的な情景が溶け合った、唯一無二の世界観。とびきり鮮烈な物語の設定は、多くの人の関心をひきつけるフックとなっています。

美容室を訪れる一般客と、受刑者の美容師・小松原葉留の人生が交差することで立ち上がる濃密な人間ドラマも、本作の読みどころのひとつです。物語にはさまざまな語り手が登場しますが、個人的にひときわ印象に残ったのが、第4章の一井彩でした。

髪の毛のパーツモデルを仕事とする彼女が、一体なぜ髪を切り落とそうとするのか。その理由を知った葉留の提案を通じて、彩は忘れたくても忘れられない記憶と向き合うことになります。彩は身内が起こした犯罪の影響で人生を狂わされた過去があり、加害者と被害者という相違はあるものの、葉留と重なる要素を備えた人物でもあるのです。

第4章のラストで、彩からラプンツェルのエピソードを教えてもらった葉留は動揺し、涙を流します。小説版では葉留の罪が明かされるのは遅く、過去に起こした事件の詳細は第6章で初めて語られます。謎めいた葉留の抱えている事情が垣間見えた彩のエピソードは、さまざまな意味で示唆的でした。

多くの物語では、刑務所の職員は嫌われ者のキャラクターとして描かれる傾向がみられます。ですが『塀の中の美容室』では一味異なり、職員たちも魅力的な人物として活躍をみせるのです。

美容室の受付にいる明るくておしゃべり好きな刑務官の菅生は、本作のムードメーカー的存在として明るい風を吹き込んでいます。そして、あおぞら美容室を今の形に作り上げた所長は、物語のキーパーソンといえるでしょう。「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」ということわざから生まれた、刑務所の中のあおぞら美容室。職員たちは、罪と向き合いながら更生への道のりを模索する受刑者たちをやさしく、そしてときに厳しく見守り続けます。

ただ髪を切ってもらうというある意味地味な行為を、心を揺さぶる物語へと見事に昇華させた小説版『塀の中の美容室』。限られた話数のコミカライズでは描ききれない、繊細かつ丁寧な人間の感情の揺らめきや人間ドラマにあふれています。

 

マンガ版『塀の中の美容室』特徴とみどころ

マンガ版『塀の中の美容室』を手がけたのは、第一次世界大戦後のヨーロッパを舞台に、貧しくも元気に生きる少年少女たちの姿を描く『アルティストは花を踏まない』で注目を集めた小日向まるこ。コミカライズでは話数が限られているため、『塀の中の美容室』の小説をそのまま漫画化するのではなく、原作のエッセンスを巧みにすくいあげながら、漫画向けのストーリーとして独自のアレンジが加えられています。

具体的な改変箇所を紹介すると、芦原志穂の職業が週刊誌記者に変更されており、さらには物語の案内役として最後まで登場するなど、葉留の新たな歩みを見守る存在として描かれています。ほかにも刑務官の菅生を主人公にしたエピソードを作ることで、原作小説の複数の章の要素をまとめあげ、チャーミングな菅生のキャラクターを掘り下げることにも成功しています。

マンガ版では、小松原葉留をメインキャラクターに据えて全体のストーリーが構成されています。それゆえ彼女の過去は原作小説よりも早めに明かされ、葉瑠が未来への一歩踏み出した特別編のエピローグでは、社会復帰を果たして姉とともに美容師として活躍する葉留の姿も描かれました。マンガ版では、小説版にもあった姉妹の要素をふくらませた物語が展開されているのが特徴です。小説版と読み比べ、エピローグの違いを楽しむのも面白いかもしれません。

小日向のマンガ版『塀の中の美容室』の最大の読みどころは、あたたかな絵柄と、美しいカラーイラストの表現。とりわけ青空が壁と天井に描かれたあおぞら美容室の内装は、思わず歓声をあげてしまいそうになるような開放感に満ち溢れています。刑務所の中にある青空のような美容室を視覚的に堪能できるのも、コミカライズならではの醍醐味でしょう。

著者
["小日向 まるこ", "桜井 美奈"]
出版日

 

あたたかく描かれた「再生」の物語

登場人物のそれぞれの人生と、受刑者・小松原葉留の歩みを交差させながら、社会に生きる女性たちの再生をあたたかく描いた桜井美奈による小説。原作の持ち味を最大限にいかしつつ、刑務所の中の美容室で過去の罪と向かいながら社会復帰を模索する小松原葉留を中心に物語を再構成した、小日向まるこ版のコミカライズ。原作小説とコミカライズにはそれぞれの良さがあり、両方を読むことで、より一層『塀の中の物語』の世界を楽しむことができるでしょう。

人生は思うようにいかないことが多く、また人はときには判断を間違い、過ちを犯すこともあるかもしれません。過去を変えることはできないけれど、己の罪を受け止めて、前に進もことはできる。『塀の中の美容室』は、希望を失っている人の心にもやさしく寄り添いながら、新しい一歩を踏み出す勇気をくれるのです。小説とコミカライズ、どちらも名作なので、この機会にぜひ手に取ってみてください。

著者
桜井 美奈
出版日
著者
["小日向 まるこ", "桜井 美奈"]
出版日

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