「聞こえる子ども」コーダが主人公のミステリー、丸山正樹『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』レビュー

更新:2022.4.20

障がいや障がいを扱った小説は世界中に数多く存在します。 その中には障がい者を悲劇的な存在、健常者の庇護を必要とする弱者として描いたものも多いのではないでしょうか。 丸山正樹『デフ・ヴォイス』シリーズもまた障がいを扱った話ですが、主人公は障がい者ではありません。 障がい者がマジョリティな環境で疎外感に苛まれながら育った、マイノリティな健常者の価値観の変化と成長を描いたのが、『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』の見所です。

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『デフ・ヴォイス』シリーズのあらすじ

主人公は元警察官の荒井尚人。

ある事情で警察を辞めた尚人は生活の為、自身の特技を生かして法廷通訳士となります。実は尚人は聴覚障がい者一家の次男で、家族の中で唯一耳が聞こえる子ども……コーダだったのです。

幼少時から他の家族の手話を周囲に通訳してきた尚人。一方では自分一人だけが聞こえることで聾者のコミュニティに入れず、疎外感と孤独感を抱き続けてきました。

そんな彼が法廷に立ち、加害者として、あるいは被害者として事件に関与する聾者の本音を伝えることになり……。

コーダの苦悩の光をあてた、革新的な小説

『デフ・ヴォイス』シリーズを斬新な小説足らしめているのは、コーダとして生まれ育った主人公の特性です。

一冊目冒頭にて、尚人は手話を身に付けていながらもその事を「特技」として積極的に話そうとはしませんでした。

これには彼の特殊な生い立ちと、家族への複雑な心情が関係しています。

耳が聞こえる読者の多くはコーダの存在や日本語対応手話と日本手話の違いなど、日常意識せずに暮らしているのではないでしょうか。

ちなみに日本語対応手話とは日本語を声に出しながら、それに合わせた手話の単語に置き換えていくもので、健常者がボランティアサークルなどで習得するものが該当します。

かたや日本手話とは聾者たちがオルタナティブに身に付けた手話で、日本語対応手話に比べて砕けています。

 

『デフ・ヴォイス』を読まなければコーダの意味や手話の違いを知らず、その本質的な問題や当事者の苦悩に寄り添うことができなかった、と感想が寄せられているのに注目してください。

マジョリティに属する健常者は、マイノリティに属する障がい者を気の毒な弱者と認識しがちです。

ですが本当にそうでしょうか?

『デフ・ヴォイス』シリーズはマジョリティの偏見や先入観に問題提起をし、障がい者の方が多数を占める環境では、健常者といわれる人々が居心地悪い思いを強いられる矛盾に触れています。

著者
丸山 正樹
出版日

尚人の成長と家族のドラマが感動を呼ぶ

手話通訳士に転職した尚人は、様々な聾者と知り合うなかで価値観を改めていきます。

聴覚障がい者の中には誇りを持って聾者を自称する者がいます。

これは聾唖者とは違い、「自分は聞こえないが喋れないわけではない」という意思表示でした。彼らは手話を自在に操り、手話を「言葉」として育ってきた個人なのです。

言葉を他者とのコミュニケーションツールと見なすなら、少なくとも聾者の間では立派に役目を果たしています。そんな聾者の人々と交流を通し、尚人は次第に過去を乗り越え、一人の人間として成長していきます。

 

『デフ・ヴォイス』シリーズは作中で時間が経過します。

一冊目にて、バツイチの尚人は警察官の恋人と交際中でした。二冊目では彼女と再婚し、三冊目では子どもが生まれるも、新生児の時点で娘の聴覚障がいが判明。最新刊はコロナ禍の世相を反映し、荒井一家にまたしても苦難が降りかかります。

 

最初は人付き合いに頑なだった尚人が、聾者や聾者を支える団体と交流を通して恋人に心を開き、自身の娘の障がいと向き合いながら自立していく姿は実に感動的。

三冊目にあたる短編集『慟哭は聴こえない』にて、印象的なエピソードがあります。

尚人と妻はまだ赤ん坊の娘に人工内耳の手術を受けさせようとするのですが、妻はある朝の新聞を読み、その手術を取り止めるのです。

妻が読んだのは人工内耳の第一人者の記事で、そこで彼は「人工内耳の研究が進めば世界から障がい者はいなくなる」と得意げに断言していました。

 

「障害者はいなくなったほうがいいの?存在しちゃいけないの」

 

この妻の言葉に尚人はハッとします。

聞こえないことは確かに不便かもしれません。しかしそれさえも健常者の先入観に過ぎず、当事者たちが本当にそう感じているかはわからないのです。

尚人と妻が子の障がいを受け入れ親として成長していく姿は、読者に勇気を与えるのではないでしょうか。

障がい者を消費する社会と安易なフィクションの氾濫に警鐘

『慟哭は聴こえない』の第2話『クール・サイレント』には聾者のイケメン俳優が登場します。

彼もまた健常者と障がい者の間に存在するイメージのずれや、リアルとフィクションの乖離に悩んでいました。

演技指導ではもっとオーバーにと言われるも、それは従来の手話とは違います。

彼は自分の演技が聾者に対する誤解を招くではないかと悩み、あるエピソードが決定打となって番組を下りる決断をしました。

障がい者をメインにしたドラマは国内外で多く存在しています。しかしその全てがリアルな障がい者を描いているかというと、疑問符を付けざるえません。

障がい者への理解を促すどころか、誤ったイメージを植え付けるフィクションもあるのです。

そんな気付きを与えてくれる『クール・サイレント』。障がい者は各々異なる性格を持った個人であり、故にこそ健常者に消費されるフィクションに貶めてはいけないのです。

著者
丸山 正樹
出版日

『デフ・ヴォイス』シリーズと合わせて読みたい本

『耳科学―難聴に挑む 』(鈴木淳一/小林 武夫)  

難聴にも色々な種類があります。

第二次世界大戦以降、画期的な抗生物質の開発によって難聴を引き起こす中耳炎は減りました。その代わり新たなストマイ難聴が増え始め、現在も多くの専門家たちが研究や治療にあたっています。

『耳科学―難聴に挑む』は鈴木淳一と小林武夫、二人の専門家が難聴の種類や治療法を徹底的に解説した一冊。

『デフ・ヴォイス』シリーズをより深く理解する為の手引きになります。

著者
["淳一, 鈴木", "武夫, 小林"]
出版日

『手話の学校と難聴のディレクター』(長嶋愛)

こちらは手話学校の生徒たちと難聴のテレビディレクターの交流を追ったノンフィクション。意欲的に手話を学ぶ子どもたちと、テレビ業界においてマイノリティの難聴者として生きてきた著者が、手話を通して絆を育んでいきます。

聾者と聴者が住んでいる世界の差異を把握する上で、ぜひ押さえておきたい一冊です。

著者
長嶋 愛
出版日
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