西村賢太×芸能プロデューサー “社会的弱者”の物語|ダメ業界人の戯れ言#1

更新:2022.7.31

華やかな芸能界には、必ず「裏方」と呼ばれる人々の試行錯誤の跡がある。ホンシェルジュではその「裏方」=「仕掛け人」が、どんなインスピレーションからヒットを生み出しているのかを探っていく特集を立ち上げました。 初回、筆を執るのはドラマや映画などの制作に長年携わってきた藤原 努。未完の長編『雨滴は続く』を遺し、54歳で世を去った西村賢太という人物を偲んで綴ります。

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特集「仕掛け人」コラム

西村賢太という“社会的弱者”の未完結物語

はじめまして。僕は1987年に大学を卒業して(株)ホリプロという会社に入り、来年(2023年)定年になる予定の藤原と申します。

わかりやすく言うとバブル世代のなれのはてです。

かつては、タレントのマネージャ―をやっていた時期もありますが、1997年1月以降現在にいたるまで、テレビ番組を中心とした映像制作にずっと携わっています。

小説、ノンフィクションなど割とジャンルを問わず読むほうなのですが、本の中にも「なんだか上手く生きられない」みたいな人物を探し求めてしまいます。

自分で言うのもなんですが、僕の人生は公私ともに失敗続きでありまして、それでもこの会社で定年までいられそうなのはもはや奇跡なのか、あるいは会社自体が鷹揚(ゆったりとしている様子)であるせいなのか……。

そんな僕でありますので、これまで会社でいわゆる管理職というものについたことがなく、世間的に言う“出世”というようなものとは無縁なのです。すごくカッコをつけて言うと僕の仕事は“クリエイティブ”であったりもして、それはそれで楽しくもあるのですが。

しかしどちらかと言うと“社会的弱者”(これ、いろいろ総合的な意味ですが)ではないかという自覚が結構あるので、個人的志向としては、ついこれも“弱者の物語”に惹かれがちなのです。

2006年に『どうで死ぬ身の一踊り』という私小説でデビューした西村賢太という作家もそういう一人でした。

著者
西村 賢太
出版日

作家として名を成したいのに、ある意味自分の才能を過信して周囲と上手くつき合うことができず、好きで一緒に住むようになった女性にも肉体的精神的なDVに及んでその一方ですぐ別の女性に気を向けるし、人からお金を借りる時だけちょっと小賢しくなったりもする……

つまりはもし近くにいたら、大半の人はおつき合いを避けようと考えるであろう主人公です。まあ西村氏自身が私小説以外自分は書けないと言っているので、この主人公(作中では北町貫多)はすなわちほぼ西村賢太自身なわけですが。

何にしても、この人の罵詈雑言身も蓋もないと言っても過言ではない作風に僕はあの頃強い衝撃を受けたのでした。

 

しかし彼はその後『苦役列車』で念願の芥川賞を受賞し、急にテレビなどにも顔を出し始めます。

ややシャイな柔和な笑顔の人、というような感じで作風とえらいイメージが違うなと思っているうちに、僕自身がプロデューサーの一人でもあるテレビ朝日『Qさま!!』にも2012年4月に初出演、その後2017年10月までなんと19回もクイズ回答者として出演しました。

テレビでニコニコする西村氏を見ているうちに、あんなにどうしようもない作風の人なのにこんなになってしまっては「それこそ身も蓋もないじゃないか」と、自分の担当する番組にも出ていてもらいながら、僕はある時を境に氏の作品から急に興味が失せ始めました

著者
西村 賢太
出版日
2012-04-19

 

しかしそれは、僕の誤解でした

彼は少しでも世に出ることができれば、ある程度の売名行為をしてステータスを上げることもそもそもの最初から織り込み済みだったのです。

今年2月、西村氏は移動中のタクシーの中で急に倒れそのまま亡くなりました。54歳でした。そう言えばここ数年は、『Qさま!!』にも出ていないし、他のテレビ番組などでもあまり目にしていなかった。

今思えば、あれだけのテレビ出演などもしたことによって売名はもはや十分の域に達したから、「テレビなんか出てもクソ面白くもないしやめてやらあ(こういう口調の表現を主人公の北町貫多はよく使う)」ということだったのかもしれません。

文芸雑誌「文學界」今年7月号の特集は、「西村賢太 私小説になった男」というもの。書店で何となく手にして購入し、その特集を読んでいるうちに、急に西村賢太の遺作『雨滴は続く』を読まずにはいられない思いになりました。

 

僕は『雨滴は続く』を貪るように読みました。

これは、西村氏が芥川賞を受賞する前の37歳頃の時のこと。作家として売れず、お金もなく、何とかしてひとかどになりたい、一方で何とかして女が欲しい、そんなことを悶々と思い続け、運命の好転暗転の中、日々周囲のいろんな人に罵詈雑言を心の中でたまには実際に声に出して、延々七転八倒しているようなお話なのですが、これがもう読めば読むほど切なくてたまらない。

なぜそこまで酷く不細工な心のうちを吐露し、わざわざ上手くいきそうもない道を選んでしまうのか。だけどこの作家は、自分自身のあまりにもダメな部分を客観的に淡々と否定も肯定もせず書くことで、そんな風にしか生きられない人間・北町貫多をえげつない手触りで描き出していくのです。

著者
西村 賢太
出版日

 

中卒で学識もない北町貫多=西村賢太は、20世紀初頭に生きたほぼ無名の私小説作家・藤澤淸造(1932年1月に42歳で東京・芝公園で凍死)に傾倒して、自ら“没後弟子”を名乗りました。

藤澤淸造の作品は、西村が取り上げるまですべて絶版になっていましたが、今ではその代表作『根津権現裏』は新潮文庫で再刊されて、少し読まれるようにもなっています。

結果的に北町=西村は、自分の“師匠”の業績に寄与したとは言えるのかもしれません。彼は生前、石川県七尾市のお寺にある藤澤の墓の横に自分のための墓地を購入し、死後そこに葬られました。

485ページに及ぶ西村の遺作『雨滴は続く』は、未完のまま唐突に終わります

「文學界」には、北町貫多が一方的に岡惚れ(わきからひそかに恋すること)した北陸の新聞社の女性記者が、本名を匿して作品中の役名・葛山久子として手記を寄せています。

彼女は「未完に終わったこの遺作の結末も本人から聞いて知っているけど、それについては自分の心の中にしまっておきたい」と書いていました。

 

未完の遺作といえば、たとえば夏目漱石の『明暗』は、現代の作家・水村美苗氏が作品への愛を込めて『続・明暗』として完結。松本清張の『神々の乱心』は、政治学者の原武史氏などがある程度結末を類推して出しています。

しかし“100%私小説作家”である西村賢太の場合は、彼がこの世からいなくなったことで唐突に終わり、もう誰にも書きつなぐことなどはできません

読了後、そのことを考えてまた切なくなる。

こんな風に書いているうちに『雨滴は続く』の映画化に挑戦するのはどうだろうと今、急に思い始めました。山下敦弘氏が監督した映画『苦役列車』とはまた全く違う空気感で。

ああ、西村賢太。もしかしたらなかなか罪な男なのかもしれません。


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