嵯峨景子の『今月の一冊』|第四回は『向日性植物』|掲示板発、台湾を舞台にしたレズビアン小説

更新:2022.8.26

少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。第四回となる今回は光文社様から2022年7月20日に発売された『向日性植物』です。台湾でもベストセラーとなった本作の魅力と、もたらした”役割”について語っていただきました。

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 「嵯峨景子の今月の一冊」、第4回目。今月は取り上げたい本が多く、何を紹介するか選ぶまでかなり時間がかかってしまいました。悩みに悩んだ末に、7月に刊行された台湾のレズビアン小説『向日性植物』(李屏瑤著/李琴峰訳、光文社)を取り上げることに決めました。

著者
["李 屏瑤", "李 琴峰"]
出版日

私が初めて読んだレズビアン文学は、10代の終わりに手に取った松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』でした。その後は吉屋信子の少女小説に傾倒し(ちなみに吉屋は門馬千代という同性のパートナーと生涯を共にしたことで知られています)、百合小説も愛読するなど、女性同士の関係性を描いた物語を好んで読み続けてきました。  

『向日性植物』は、台北生まれの小説家・劇作家・ライター李屏瑤のデビュー作です。本作はPTTという、台湾版5ちゃんねるともいえる掲示板のレズビアン板で2011年から2015年まで連載されたのち、2016年に書籍化され、現在までに9版まで増刷されるなど大きな話題を呼んでいます。日本語訳を手掛けたのは、『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した、台湾出身の作家・李琴峰。新宿二丁目にあるレズビアンバー「ポラリス」に集う、多様な女性たちの姿を描いた『ポラリスが降り注ぐ夜』に魅了されて以来、私は彼女の仕事を追いかけていて、本書の刊行も楽しみにしていました。

『向日性植物』のあらすじを簡単にご紹介しましょう。

台北の女子校に入学した1982年生まれの「私」は、一学年先輩の小游と出会い、付き合い出します。けれども、小游には親の無理解で別れさせられた元恋人・小莫がいたことが判明。入院していた小莫が学校に復帰したことで小游と「私」の関係も変化し、小游と小莫と「私」を含めた家族のような絆が生まれました。台湾大学に合格した小游と小莫はアパートで同居を始め、そこには「私」の部屋も用意されている。しかし、とあるきっかけで「私」は二人と距離を置き、受験勉強に没頭することに。無事台湾大学に合格した「私」は、小游とはやり直しをせず、新しい生活を送ろうとするが――。

物語は「私」の高校時代から大学時代、そして卒業後の会社員時代までと、長いスパンの中で進んでいきます。「私」を中心に展開される女性同士の恋愛の物語は、台湾のレズビアンを取り巻く社会状況や、歴史的な経緯に誠実に向き合っているのが特徴です。本作はまた、極上の青春小説という一面も持ち、繊細かつ美しいタッチで描かれた少女たちの揺れ動く感情や関係性は、読者を魅了してやみません。とりわけ高校時代を描いたパートが詩的で瑞々しく、強く印象に残りました。

翻訳小説を読む時の醍醐味の一つが、訳者によるあとがきを読み、物語の背景や作者への理解を深めること。『向日性植物』の訳者あとがきは、解説だけには留まらない問題提起もなされていて、充実かつ示唆に富んだ内容に仕上がっています。

「私はレズビアンが自殺しない物語を書きたかった」と作者の李屏瑤が述べているように、それまでの台湾レズビアン小説は自死と深く結びついていました。1994年に刊行された台湾レズビアン文学の記念碑的作品である邱妙津の『ある鰐の手記』や、1995年刊行の陳雪『悪女の書』、そして現実に起きた女子高生の心中事件の影響などもあり、悲劇的な結末に終わる物語が少なくなかったそうです。『向日性植物』の中でもとある人物の死が描かれますが、彼女は自ら死を選んだわけではありません。本作は悲劇的な死に逃げ込むことはなく、あくまでも光に向かって歩もうとする女性たちの物語なのです。こうした物語の背景を知ったうえでタイトルを見直すと、深い感慨を覚えます。

 

李琴峰が訳者あとがきの中で指摘した要素の中で、一番胸に刺さったのは以下の一節でした。

「レズビアンを描く日本と台湾の作品群を比較した時、例外もあるとはいえ、「社会との関わり方」が一つの大きな違いだと言えそうだ。『ナチュラル・ウーマン』にしろ『白い薔薇の淵まで』にしろ、登場人物たちの関係性はどこか密室内での出来事のように読めてしまい、そこには「社会」――例えば政治や社会制度、権利向上運動、LGBTコミュニティなど――への眼差しが希薄である。それは恐らく個人の内面を描くことに重きを置いてきた日本文学の伝統の影響だろう。」(p.240)

『向日性植物』の中には実在するレズビアンサークルやコミュニティの名前が登場し、また2003年に発足した「台湾プライドパレード」というセクシュアル・マイノリティのイベントに「私」が参加するシーンも描かれます。

李琴峰が指摘するコミュニティへの歴史の敬意は、彼女自身の創作の中でも垣間見ることができます。私が好きな連作短編集『ポラリスの降り注ぐ夜』を例に出せば、「夏の白鳥」は新宿二丁目にあるポラリスの店主・夏子の物語で、バブル崩壊後の就職氷河期に二丁目に辿り着いた彼女の歩みには、レズビアンコミュニティの歴史が刻まれています。また「太陽花たちの旅」の語り手である怡君は、2014年に台湾で起きた「ひまわり学生運動」という学生が国会を占拠した運動の参加者です。ここで紹介したのはほんの一例で、李琴峰の作品からはLGBTQにまつわる政治や歴史の問題に向き合おうとする姿勢が、一貫して浮かび上がってくるのです。

著者
["李 屏瑤", "李 琴峰"]
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