今月から、少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく連載をスタートいたします。今月お届けするのは2022年4月19日に東京創元社から刊行された『あの図書館の彼女たち』。「戦争」を身近に感じざるを得ないこの時代に、ぜひ読んでいただきたい1冊です。(編集)
「この図書館はわたしにとっての安息所です。いつでも、わたし自身のものと呼べる書架、本を読み、夢を見られる場所が見つかります。誰にでもそのチャンスが、必ずあるようにしたいと思います。とりわけ違和感を抱き、我が家と呼べる場所を必要としているひとのために。」(『あの図書館の彼女たち』14ページより)
このたび、その月に読んだ印象的な本を一冊紹介するという、新連載を始めることになりました。小説からノンフィクション、人文書と本のジャンルは限定せず、その月に読んだものであれば新刊でも旧作でもOK。そんなルールのもとで、毎月心の琴線に触れた本を紹介していきます。
第1回で取り上げるのは、2022年4月刊行のジャネット・スケスリン・チャールズ『あの図書館の彼女たち』(髙山祥子訳/東京創元社)です。“戦争という暗闇のあとに、本という光がある”を旗印に掲げ、1920年に創立されたパリのアメリカ図書館。第二次世界大戦中、この図書館にはナチスに抵抗してユダヤ人利用者を支援した、勇気ある司書たちがいた――。
- 著者
- ["ジャネット・スケスリン・チャールズ", "髙山 祥子"]
- 出版日
『あの図書館の彼女たち』のモチーフとなったアメリカ図書館は、第一次世界大戦後に創立され、2020年に百周年を迎えた実在する機関です。作者のジャネット・スケスリン・チャールズは、2010年からここでプログラム・マネージャーとして働いた経験があり、その時に戦時下の知られざるエピソードと出会います。司書たちの勇気と献身に感銘を受けた作者は、実在する人物を登場させながら独自の物語を創造し、『あの図書館の彼女たち』という傑作ビブリオ小説が生まれました。本作はチャールズの第二長編小説にあたり、日本語訳が刊行された初めての作品でもあります。
1939年、パリ。図書館と本をこよなく愛する20歳のオディールは、利用者の大半を外国人が占めるという、国際色にあふれたアメリカ図書館の司書として働き始めました。信頼できる上司や、個性豊かな同僚、そしてさまざまなバックグランドをもつ図書館登録者たち。オディールは勤務を通じてさまざまな人たちと触れ合い、友情や恋を花開かせます。
けれども、ドイツとフランスの開戦で状況は一変し、暗い時代が到来する。司書たちは戦場の兵士に本を送り、ナチスによる占領が始まると、図書館から締め出されたユダヤ人登録者のためにひそかに本を配達するサービスを開始します。ドイツ軍に対する抵抗や敵対行為は、死刑になりかねない。外国人職員や図書館の登録者たちは敵性外国人とみなされ、スタッフの身にも危機が迫る中、それでもオディールたちは愛する本と人々のために抵抗を続けていくのでした。
一方、1983年のアメリカモンタナ州。閉塞感が漂う田舎町で暮らす少女リリーは、隣の家に住む孤独なフランス人のオディールに興味を抱き、彼女に近づきます。1945年からモンタナ州の片田舎でひっそりと暮らすこの女性には、一体どのような過去があり、なぜアメリカに渡ってきたのか。年齢の離れた二人は親交を深め、謎めいたオディールの過去が少しずつ明かされていきます。そしてある時リリーは、彼女が隠し続ける秘密に踏み込んでしまうのです――。
『あの図書館の彼女たち』は、戦時下のパリに生きるオディールのパートと、1983年のアメリカモンタナ州で暮らすリリーの視点を行き来しながら進みます。パリの図書館でいきいきと仕事をして、ポールという恋人もいたオディールは、一体なぜ家族も仕事も国も捨ててアメリカ人と結婚し、モンタナに移り住んだのか。2つの時代を交互に描くことで、オディールの生き様を巡る謎や、戦時下の図書館の様相がより重層的に浮かび上がっていきます。
魅惑的な図書館の情景や、本にまつわる心躍るエピソードを詩情豊かに紡いだ『あの図書館の彼女たち』。作中には実在するさまざまな本も登場し、本好きの心をくすぐらずにはいられません。言及される作品も、ドストエフスキーやシェイクスピア、ブロンテ姉妹のような古典から、アフリカ系アメリカ人作家ゾラ・ニール・ハーストンの『彼らの目は神を見ていた』や、ドミニカ出身のイギリス人作家ジーン・リースの『おはよう、真夜中よ』のような、同時代文学まで幅広く登場します。とりわけ最後の二冊はオディールの人生とも深く関わる書物で、作中でも重要な役割を果たします。
そして、『あの図書館の彼女たち』の大きなテーマである戦争。第二次世界大戦中という厳しい時代の中でも、書物の力を信じて行動する人々の姿と覚悟は、私たちに勇気や希望を与えてくれます。ロシアのウクライナ侵略以降、戦争の脅威はより一層身近なものとなりました。第二次世界大戦を描いた物語は、はからずも今の時代と共振する問いを投げかけるのです。
本作にはさまざまな読みどころがありますが、私が一番心を打たれたのは、世代を超えた女性たちの絆でした。たとえば、オディールの最も尊敬する人物である、アメリカ出身の女性館長ミス・リーダー。若い女性が世界を正してくれるとはずだと希望を託し、たくさんのことをオディールに教えてくれた彼女は、本の力を信じて自由な世界への窓口となる図書館の運営を続け、多くの職員たちの心の支えとなりました。あるいは図書館の登録者で、のちにユダヤ人としてナチスから迫害を受けるコーエン教授。プリマ・バレリーナを経てソルボンヌ大学で学び、男性たちの偏見をはねのけて大学で教鞭を執ったコーエン教授は、自身の体験に基づきながら、オディールに欲するもののために闘う強さを教えます。
オディールは図書館で、かけがえのない友人とも出会います。その一人が、児童書担当の司書で、読書への情熱で結ばれたビッツィ。そしてもう一人が、英国大使館随行員の妻としてパリで暮らすイギリス人のマーガレットです。異国での暮らしになじめず、夫とも不和が続く孤独なマーガレットにオディールは声をかけ、彼女は図書館のボランティアとして働き始めて居場所を見出します。「図書館が好きだけど、あなたのことはもっと好き」。互いにそう感じるオディールとマーガレットの友情は、ナチスのパリ占領によって思いがけない展開を迎えます。友情は美しい感情ばかりを引き出すわけではなく、ときには嫉妬や反発を生み出していく。そんな残酷な一面も、『あの図書館の彼女たち』は余すところなく描いているのです。
1980年代のアメリカで、かつての自分にとってのミス・リーダーやコーエン教授のように、オディールは若きリリーを新しい世界の扉へといざなう存在となりました。物語を読み進めるうちに、異なる人生を歩んでいるはずのオディールとリリーに、さまざまな共通点があることに気付かされるでしょう。過去にあやまちを犯したオディールと、同じ間違いを犯しつつあるリリー。それぞれの存在によって、両者の心は救われていくのです。オディールはリリーに、こう告げます。「あなたはわたしの人生に、夜の星のように現れた」。そんな二人の絆や、戦時下のパリと80年代のアメリカを結ぶ感動の結末を、ぜひ見届けてください。
日々たくさんの本に触れているものの、『あの図書館の彼女たち』を読んだ時のような、心の深い部分で共鳴し、感情を揺さぶられる読書体験は得難いものです。今年はあと半年残っていますが、この作品が2022年に読んだ本のベスト1になるだろうと、今から確信しています。忘れ難い人々の姿や、本と図書館の記憶を封じ込めた美しい物語は、これからも私の心を捉え続けるでしょう。
- 著者
- ["ジャネット・スケスリン・チャールズ", "髙山 祥子"]
- 出版日
書評家・ライター嵯峨景子の本棚
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