芸能プロデューサー×原武史“近代の皇室を題材にするということ”|ダメ業界人の戯れ言#3

更新:2022.11.4

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を語る連載。仕事の傍らこれまでに読んだ本と、仕事やプライベートでの出来事を重ねて思うところを酸いも甘いも綴ります。#3は、プロデューサーとして『情熱大陸』にキャスティングした政治学者の原武史氏の著作を巡って、近現代の皇室の歩みについての考察です。

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特集「仕掛け人」コラム

近代の皇室を映像の題材にするということ

2005年2月26日。

この日は旧国鉄時代から半世紀近い歴史を持つ寝台特急「あさかぜ」のラストランの日でした。この列車は、松本清張の代表作の一つ『点と線』の<東京駅での4分間のトリック>でとりわけ知られ、東京―博多を結んでいました。

著者
["松本 清張", "松本清張記念館", "完, 風間"]
出版日

この日、JR横浜駅の構内で、僕とディレクターは政治学者の原武史さんと待ち合わせ、『情熱大陸』で氏を取り上げる回の撮影を、横浜駅のホームから最後の「あさかぜ」を見送る原氏、というところから始めました。

横浜駅のホームは、「あさかぜ」の最後の雄姿を撮影せんとする人々でごった返し、しかしその様子を見つめる憮然とした表情の原さん。氏は、そんなに「あさかぜ」に思いを寄せるなら、なぜみんな、JRなどに残すように抗議するとかしないのかと当時のエッセイに書いていましたが、まあそんな人です。

僕がこの原武史さんを『情熱大陸』で取り上げてみたいと考えたきっかけは、2000年に氏が書いた『大正天皇』という本を読んだことでした。朝日新聞の天声人語にも取り上げられて当時少し話題にもなり、そこで大正天皇が帝国議会で起こした「遠眼鏡事件」(天皇が議場で詔勅を読んだ後に、その紙をくるくる丸めて遠眼鏡にして議場内を見渡した事件。その奇行が当時世間でも噂になった。)というものがあったのを知って、興味を惹かれたのです。

著者
原 武史
出版日

原氏は、昭和末期の1988年、日経新聞の宮内庁詰めの記者として働いていて、折しも天皇のXデーが近いと言われていたこともあり、毎晩皇居内の宮内記者会に深夜まで詰めていました。毎晩その日の勤めを終えると坂下門まで車で他の記者たちとともに皇居の中を走ったらしいのですが、門を越して日比谷通りに出た瞬間に急に江戸時代から現代にワープしたような得も言われぬ衝撃を受けたらしいです。皇居内には当然街灯などもないし、天気のいい日は星空もよく見え、これがほんとうに東京の都心なのかと感じたとのことでした。

この話を聞いて、僕はちゃんと読んだこともないフランスの哲学者、ロラン・バルトがかつて、東京は世界で唯一“空虚な中心”を持つ都市だ、と言ったことを思い出し、何だか急に腑に落ちた気がしました。

とにかくそのようにして、原氏はその後天皇制を中心とした政治思想史の学者としての道を歩み始めるわけですが、新聞連載が本になった『鉄道ひとつばなし』を読むことで俄然、僕は氏の考え方に興味を持ちました。

著者
原 武史
出版日

1936年2月26日に、東京で二・二六事件が起きた時、昭和天皇の一歳年下の弟・秩父宮は、陸軍大隊長として青森県弘前市にいました。秩父宮は、東京で起きた事件を聞いてすぐに東京に向かうのですが、その当時の最短ルートであったはずの青森から常磐線経由で上野へという道をなぜか取らず、奥羽、羽越、信越線など新潟県側を通って迂回する形で向かいます。原氏は、秩父宮が東京に着くまでに何らか時間稼ぎをする必要があったのではないかと考えました

実際、秩父宮は途中の群馬県水上駅で、恩師のような立場であった平泉澄という学者と合流した形跡があります。

二・二六事件を起こした陸軍軍人たちは、“昭和維新”を謳い、その中には、昭和天皇ではなく、秩父宮が皇位につくべきだと言う意見を持っている者がいたと言われていますが、秩父宮自身は公的な発言の中で一切このようなことを口にはしていません。

この時、皇居に着いた秩父宮は、まず兄・昭和天皇に面会し、そこで事件を起こした陸軍軍人たちに対する兄の強い怒りに触れ、非常に驚き、そのまま実母である貞明皇后(大正天皇の妻)に会いに行き、二人で長い時間話し合ったと言われていますが、そこで何が話されたかは分っていません。

ただ、母・貞明皇后は、長男の昭和天皇と考えがぶつかることが多く、その分、次男・秩父宮により一層の愛を注いだと見られるのは一般的にも知られています。

原武史氏は、2015年、この貞明皇后についての研究・考察を中心にした『皇后考』という分厚い本を出します。この頃にはちょっとした原ファン読者になっていた僕は、あいまを見つけて慈しむようにこの本を読みました。

著者
原 武史
出版日

明治天皇の時代まで、天皇は側室を持つことを許されていて、大正天皇の実母も側室なのですが、世界の王室の傾向を受けて、大正天皇からは皇室も一夫一婦制になりました。その中で当時の宮内省は、男児をたくさん産めそうな九条節子(=後の貞明皇后)に白羽の矢を立て、彼女はその期待通り、後の昭和天皇を初めとして4人の男児を設けることになるのです。

彼女は病弱な夫・大正天皇を支え、天皇が亡くなった後も終生その弔いを決して怠らない人でしたが、欧州留学なども経てより国際的な視野を持つようになる長男・裕仁皇太子(=後の昭和天皇)と皇室のあり方などについて意見が食い違うようになり、その一方で次男・秩父宮へと心は傾斜していきます。しかし秩父宮も太平洋戦争後半に大病になって皇室の表舞台から退いていくことになるのですが。

日本の敗戦が近づく中で、結局、貞明皇后も長男・昭和天皇にすべてをかけるしかなくなっていきます。僕は原氏の著作の影響も受けて、今のこの時代こそ、この貞明皇后を主人公にした映画企画を考えられないものかと、企画書にまでしましたが、やはりと言うか、どこも乗ってくれそうな様子はありません。

まだ歴史になり切っていない近代の皇室を舞台にした映画企画など、日本ではまだ難しいのかもしれません。その点、英国王室を舞台にしたNetflixの連続ドラマ『ザ・クラウン』(私見ですがこれは凄く面白いです)のような物を作るのは難しいようです。

原武史さんを取り上げた『情熱大陸』は当初2005年5月1日に放送予定で前週の4月24日の放送時の最後に次週予告が流れました。しかし翌25日、JR福知山線の脱線事故が起き、それは死者107人となる大惨事になり、鉄道を一つの軸として考察する原さんの回をその6日後に放送することはできなくなり、ほぼ一か月後の5月29日放送になりました。それでも、大事故が起きても鉄道趣味を表立って映像で見せられるようになるまでは、これぐらいの時間で大丈夫だったようですが、皇室に関してはスケールの違う時間の経過が必要なのかもしれません。


info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

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