ハードボイルド小説と聞いて「トレンチコートに身を包み、バーボン片手に事件を解決する私立探偵」を思い浮かべる方は多いと思いでしょう。今回はそんなハードボイルド小説おすすめベスト10をご紹介します。
ハードボイルドは「固ゆでたまご」という意味で、たまごを混ぜる行為を「ビート」といいます。このビートには「殴る」という意味もあり、そこから転じて「殴らないのがハードボイルド」ということを指すようになりました。
「ハードボイルド小説」とは、自分の意思や思想を外部の力で変えない(変えられない)者を主人公にしたものです。
フィリップ・マーロウを筆頭に、ハードボイルド・ガイを主人公とした私立探偵小説が数多く産み出されました。映画やドラマでその名を耳にされた方も多いでしょう。
今回のランキングベスト10では、「本当の意味」でのハードボイルド小説を紹介していきたいと思います。
『老人と海』はアメリカで1952年に出版された短編の傑作です。
1899年に生まれたヘミングウェイは1920年代なかばから1950年代なかばまでにほとんどどの作品を書き上げていたと言われています。『老人と海』発表後の1954年にノーベル文学賞を受賞しました。
- 著者
- アーネスト ヘミングウェイ
- 出版日
- 2014-09-11
主人公のサンチャゴは一本釣りで大物を狙うキューバの老漁師です。ある年、何か月も不漁が続き、助手の少年が他の船に移る事も阻止できませんでした。独りになっても黙々と漁に出るサンチャゴでしたが、そんなサンチャゴの釣り針に巨大なカジキがヒットします。
小さな帆掛け船にたった一人の船員。相手は海面下何百メートルも下の化け物カジキです。釣り上げるのに何時間かかるのか分からない状況で老人とカジキとの死闘が始まります。途中老人は若かりし頃の想い出をとりとめもなく思い出します。
結局4日間に渡る死闘を制した老人ではありましたが、一人では船に引き上げられないほどの大物カジキに、今度はアオザメの群れが襲い掛かるのです。突き殺したアオザメの新しい血の臭いにさらに増えるアオザメ。希望を失いそうになった老人は「死ぬことはあっても敗北は無い」と考えます。
短い物語の中に人生が詰まっています。それは老人の人生だけでなく読む人すべてに共通する人生のように思えます。沢山の物を得、沢山の物を失う、そのたびに「欲求」が少なくなって行く。欲しいのはただ一つ「カジキ」のみです。老漁師サンチャゴの激闘の果てをぜひご自身の目と心で確かめて下さい。
『武器よさらば』『日はまた昇る』『誰がために鐘は鳴る』などヘミングウェイの小説のほとんど全てがハードボイルド小説と言っていいと思います。その中でもこの『老人と海』は短編だからこそかも知れませんが、叙述の秀逸さが芸術の域まで達している一冊だと思います。
1981年に西村寿行の手によって世に送り出された「無頼船」シリーズは6作品からなる海洋冒険物です。主人公は弧北丸のクルー全員です。
1930年、四国の香川県で産まれた西村寿行は幅広いジャンルの小説を手掛け、同世代の半村良と森村誠一と共に「三村」と呼ばれるほどの人気作家でしたが、作品中では女性の尻に異常なこだわりを持つ作家でしたから、当時ファンを公言するのをはばかられる作家の一人でした。
- 著者
- 西村 寿行
- 出版日
「弧北丸」は包木一善(かねきいちぜん)を船長とする6人乗りの不定期貨物船です。船がオンボロならば乗組員もまたポンコツ揃い、周りからはケンカ船やら無頼船などと揶揄されていますが、正義感と乗組員の絆だけは強く、様々な難敵と対峙していきます。
一巻目にあたる『無頼船』ではロシアの警備艇に追われている日本の漁船を身を挺して(特に金髪娘のジェーンが)助けます。
凄惨な暴力シーンや女性を蹂躙するシーンの続出する作品で、初めて西村作品に触れる方は少し引くかもしれません。しかし作品全体を見た時、それは「文学的必要悪」だったと気付きます。
ワケ有りのクズのような男達が大きな勢力(国家やヤクザ)から逃れ、一艘の船に集い、そこを楽園として生きていく小説です。でたらめに生きているようでそこにはきちんとした規律があり、絆があり、友情があります。海の厳しい掟なども学べる一冊です。
お待たせ致しました。レイモンド・チャンドラーの大人気小説から飛び出した私立探偵フィリップ・マーロウの登場です。
1888年アメリカのイリノイ州に生まれたチャンドラーは、それまで勤めていた石油会社の職を大恐慌の煽りを受けて44歳の時に失います。以降、小説家として活躍するわけですが、長編小説は『ロング・グッドバイ』を含む7作品だけでした。チャンドラーの凄いところは、その長編のほとんどが映画化されているところです。当時の人気が想像できます。
- 著者
- レイモンド・チャンドラー
- 出版日
- 2010-09-09
私立探偵フィリップ・マーロウは高級レストランの前でロールスロイスから放り出された男と知り合います。男とは妙に気が合い、互いに友情を感じました。ある晩、その男がマーロウに国外脱出の手引きを頼むのですが、男の妻は自宅で殺されており、男も逃亡先で自殺してしまいます。
海外作品を読むうえで大切な事の一つに「訳者」の問題があります。昔からのチャンドラーファンは清水俊二訳で読んでいると思いますが、2010年に村上春樹の訳でも出版されました。どちらの訳が良いとか悪いなどはありませんが、読み比べる価値はあります。村上訳の「訳者あとがき」は50ページにも及んでおり、熱量を感じられるものになっています。
私立探偵であるフィリップ・マーロウに「警官にだけはさよならを言う方法がない」と言わせて締めくくられるこの小説は、2014年に浅野忠信の主演でドラマ『ロング・グッドバイ』としてNHKで5回放送されました。ドラマから入った方にも、ぜひ小説を読んでいただきたい一冊です。
笹沢左保によって書かれた「木枯らし紋次郎」シリーズ(1971年~)は、数える人によって本数に上下があるものの100本以上のロングタイトルとなりました。
笹沢左保は1930年に東京で生まれ、2002年に東京の病院(狛江市)で亡くなっています。1988年以降は木枯らし紋次郎の出生地である「三日月村」に地名が似ている「三日月町」のある佐賀県に移り住み「帰ってきた木枯らし紋次郎」シリーズ(1996年~)を執筆しました。
- 著者
- 笹沢 左保
- 出版日
幼い頃、間引きされそうになった主人公の木枯らし紋次郎は故郷の三日月村を後にします。成長する過程で友人に騙され、兄貴分に騙され、女にも騙され、あげく三宅島に島流しにされます。そこでできた仲間と島を脱け、騙した兄貴分に復讐するまでが一巻目『赦免花は散った』のストーリーです。
己以外の者を信じず虚無的に世を渡っていく紋次郎ですが、その心根は人情もあり仁義も通す渡世人なのです。それを隠して生きていく紋次郎に痺れてしまいます。シリーズ自体は一巻読み切りの形をとっており、どこから読んでも構わないのですが、紋次郎の人間形成の発端となった『赦免花は散った』から読み進めることをおすすめいたします。
テレビシリーズで有名になった「あっしには関わりのねえこって」というフレーズがハードボイルド感を煽る一冊となっています。
1940年代の代表的なハードボイルド小説『裁くのは俺だ』を紹介いたします。
1918年生まれのミッキー・スピレインが小説家としてデビューしたのは1947年のことでした。金に困って書き上げた『裁くのは俺だ』が出版されると一気に人気作家の仲間入りを果たします。
- 著者
- ミッキー・スピレイン
- 出版日
- 1976-05-22
戦友を射殺された私立探偵マイクは事件の全貌を解明するために動きます。魅力的な秘書ヴェルダとの二人三脚で犯人を追うマイクですが、「君を殺した野郎は電気椅子にも座らない、絞首刑にもならない。君と同じ死に方をする。俺がそいつをあげてやる」と、殺(や)る気満々で追うのです。
元CIA、ベトナム戦争、性的不能、覚醒剤など当時の話題や、読み手の興味の大きいものを次々と作中に取り入れながら首謀者を炙り出していく構成は現代でも立派に通じる手法です。当時は内容の過激さに賛否のわかれた作者ですが、逆に根強いファンを獲得することになったのです。
日本では映画『探偵マイク・ハマー俺が掟だ』で公開され、大藪春彦にも大きな影響を与えたと言われているこのシリーズは、ハードボイルドファンならば絶対に外してはいけない一冊です。
江戸川乱歩に才能を見いだされ文壇デビューした大藪春彦が、大学時代に発表したのが『野獣死すべし』です。
1935年2月、朝鮮の京城で教師の家庭に生まれた大藪春彦は10歳の時に朝鮮半島で日本の敗戦をむかえました。この頃の経験が後の大藪作品の礎になっていると言っても過言ではありません。なぜならば彼は、「経験したこと以外書けない(本人談)」作家(もちろん殺人を犯したことは無いでしょうが)だからです。
- 著者
- 大薮 春彦
- 出版日
主人公の伊達邦彦は自身の信じる正義(金と武器)を貫くために日々ストイックに肉体と精神の鍛錬をします。大学院に籍を置き、優秀な院生を演じながら壮大な完全犯罪を成し遂げます。史上最高のダークヒーローと言っても過言ではないでしょう。
純粋悪である伊達邦彦はプロファイリングの枠内での人格障害などでは計りきれない大物の悪党です。シリーズ5作目からは愛国心の全くないジェームズ・ボンドのようなスパイアクション物になりますが、根底に流れる大藪イズムに濁りはありません。CIAやKGBの工作員と死闘を繰り広げる、荒唐無稽とも言える内容も、大藪の緻密な武器やマシンの書き込みのおかげでリアリティが湧いてきます。
日本のハードボイルド小説の先駆的一冊です。
大衆向け雑誌「ブラック・マスク」に1929年から連載され1930年に単行本として出版された『マルタの鷹』は、いわゆるその後のハードボイルドの定義を確立した本と言っていいでしょう。主人公は私立探偵サム・スペードです。
作者のダシール・ハメットは1984年にアメリカの農場で誕生しました。13歳で学業と決別すると、以来職を転々とし、「ピンカートン探偵社」に就職します。その頃の経験を活かしコンチネンタル・オプやサム・スペードを生み出したのは有名な話です。
- 著者
- ダシール ハメット
- 出版日
- 2012-09-07
実在する領土を持たない主権団体「マルタ騎士団」の宝、「マルタの鷹」を巡る陰謀サスペンスです。
家出をした妹を探し出して欲しいという単純な人探しの依頼だったはずが相棒を殺され、その嫌疑を警察から掛けられ、マルタの鷹像のことを「何か知っているはずだ」と「G」ことガットマンという人物に疑われ、せっかく手に入れたマルタの鷹像はロシア人から偽物を掴まされたと知り……。
とにかく心理描写の少ない手法で描かれているハメットの世界は読み手をやや混乱させるところもありますが、文体自体が簡潔なため読み進めていく内に「ああなるほど」と納得させられます。
この小説の技法は俗に「三人称カメラアイ」と呼ばれるもので、主人公周辺に視点(神の視点と呼ばれることも)があって、全体を見渡しながら話を進めていくものになります。利点の一つとして「主人公の知らない事実を書き込むことが可能」などがありますが、文章力の足りない書き手がこの技法で書くと分かりずらい小説になってしまいます。その点、ハメットの文章はかの村上春樹をして「我々をシュールレアリスティックなまでにハードでクールな場所に、ある場合には前衛的ともいえそうな場所に連れていく」と言わしめている名文。まるで「読む映画」のような一冊です。
1995年に発行された『テロリストのパラソル』は、その年の江戸川乱歩賞を受賞し、次いで翌年の直木賞も受賞してしまいました。同一作品のW受賞は後にも先にもこの作品のみです。
作者の藤原伊織は1948年に大阪で生まれ、2007年に没するまで波乱の人生を送りました。東大仏文科卒業後、電通に勤めながら作家活動を開始しますが、幾つかの新人賞を獲った後執筆依頼をことごとく断ります。すると注文が入らなくなり、ギャンブルで作った借金返済の為『テロリストのパラソル』を書き、江戸川乱歩賞に応募して見事に受賞し、賞金1000万円を獲得します。見事な生活設計ですね。
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
- 2014-11-07
新宿中央公園で爆発事件があり、その容疑者にされた主人公島村圭介(旧名・菊池俊彦)は犯人を追います。
島村はアル中のバーテンダーです。もちろん今回の事件との関わりは無い、はずなのですが、事件の被害者に学生時代共に体制と闘った仲間・桑野や、ある期間同棲をしていた女性・優子が含まれていたことから疑われます。しかも爆発現場近くに指紋の付いたウィスキー瓶を置いてきてしまっていたのです。
20年以上前の過ちから偽名を使っての逃亡。同じ容疑で姿を隠していた桑野。指紋から菊池(島村)が割り出されるのにくわえて、なぜかヤクザの襲撃を受けたりします。
南米の麻薬組織がらみのテロリストや学生運動家、インターポールに日本の警察、コロンビアのメデジン・カルテルに日本のヤクザ、とにかくスケールは壮大で読み応えがあります。とにかく自身で手に取って読んで頂きたい一冊です。
ストーリーやキャラクターも秀逸ですが、何と言ってもニューヨークの雰囲気を肌で感じられるのが『八百万の死にざま』です。
1938年ニューヨーク州生まれのローレンス・ブロックは、1960年に娯楽小説作家としてデビューしました。ニューヨークを舞台にした犯罪物が得意で、主人公も私立探偵、コソ泥、殺し屋など多種に渡っています。
- 著者
- ローレンス ブロック
- 出版日
主人公のアル中探偵マット・スカダーに、キムというコールガールが足を洗いたいと相談してきたところから物語は始まります。どんな凶悪なヒモが彼女を縛っているのか?マットは乗り込んでいって驚きます。ヒモが教養のある物腰の柔らかな黒人だったからです。キムの願いもあっさりと受け入れてくれました。しかし事件はすぐに起きます。キムが滅多切りにされて殺されたのです。当然黒人のヒモを疑いますが、そのヒモからの事件解決依頼があり……。
このシリーズは警官時代の悲しい事件をきっかけにアル中の道に入り、職も家族も失ったマットが凶悪事件を追っていく姿が描かれています。人間臭い一人の男が都会の虚無に打ちのめされる、荒廃都市小説とも言っていい作品です。
幾度か直木賞の候補に挙がり、『破門』でその栄冠を勝ち取った黒川博行の人気シリーズ。主人公は二宮と桑原のデコボココンビです。
黒川博行は1949年に愛媛県に生まれますが、6歳からの大阪暮らしで本人は大阪人であると自認しており、その作品も大阪府警が舞台の物が多いです。
- 著者
- 黒川 博行
- 出版日
- 2000-01-28
二宮の商売は毒を以て毒を制す、「前捌き」と呼ばれるヤクザを斡旋する仕事です。廃材処理場建設にかかる利権に群がる有象無象の排除を暴力団の幹部、桑原に依頼します。この仕事にしがみつかなければならない理由のある桑原と、巻き込まれてしまった二宮がお互いを「疫病神」と呼びつつ関西弁で掛け合い漫才をしながら(もちろん本人たちはいたって真面目に罵り合うのですが)絵解きをしていきます。
スカッと爽やかな勧善懲悪……とはならず、忸怩たる思いをわざと残した社会派ハードボイルド小説と言えるでしょう。前出の西村寿行も同じようなデコボココンビの活躍するお話を書いていますが、『疫病神』は関西弁ならではのテンポの良さが光る一冊となっています。
これからハードボイルド小説と関わっていこうと思っておられる方、またハードボイルド小説こそ最高のエンターテインメントだと思って読み込んでおられる方、すべての方に満足頂ければと選んだ10選です。最後までお読みいただきありがとうございました。